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2009.04.15

第二十九回

「『オカン力』のひみつ」の巻

堀越 英美

「『オカン力』のひみつ」の巻

 オカンの言動は、ときどきとてもミステリアスである。

「あんた、電子レンジをあまり使わない方がいいよ。野菜の細胞が壊れて栄養がなくなっちゃうんだって。ほら、この本を読んでごらん」
「この本、歩くと大地のエネルギーを足が吸い上げて元気になれるって書いてあるよ」
「そうよ。実際歩くと健康になるじゃない」
「そこは詳しく突っ込まないけど、電子レンジの原理は(略)で、普通にゆでるより栄養の損失はむしろ少ないんだよ」
「お前のことだからどうせインターネットの情報でしょ?」
「ネットとか本とか関係なく一般常識よ」
「だっておかしいじゃない。電子レンジで野菜がゆでられるなんて。なんだか気味が悪い」

 原理が理解できないものを恐れ、避けたくなる感覚はわからなくもない。わからないのは、そう言いながら電子レンジをフル稼働させている母の言行不一致ぶりなのだった。疑似科学を真に受けているの?いないの?どっちなの?

 そんな得体の知れない本を読んでいるかと思えば、パソコンのマニュアル本は読む気がしないらしく、ときどきこんな電話がかかってくる。

「インターネットなんとかっていうのが消えなくなっちゃったのよ」
「何が何だかさっぱりわからないよ」
「えーとね、○○○って書いてある」
「それはwebサイトのタイトルだね。ブラウザが消えないってこと? 右上にクローズボックスがあるでしょう」
「何それ」
「バッテンマーク。そこをクリックするの」
「クリックって右クリック?左クリック?」
「左」
「2回?」
「1回」
「消えない」
「もう一度最初から状況を説明してください……」

 わからない。そんなおぼつかない知識でいちいち人に聞きながらパソコンを使うくらいなら、本を読んだほうが早くないか。そう思ってわざわざ図版中心で文字数が少ない中高年向けのマニュアル本を買ってきたのに、なぜオカンは頑迷に読もうとしないのか。

 うちのオカンだけが特別というわけではないらしい。知人の女性が、オカンが数多く訪れるサービス業の受付の仕事をしているのだが、看板や資料を読めば済むことを、職員をつかまえて教わろうとするオカンたちが非常に多いことに辟易していた。

 育児にかまけているうちに社会でもまれる機会が減り、社会性が目減りしていくという話なら、他人事ではないし、私も日々実感しているところだ。しかし、この話はそれだけではないような気がする。自助努力で解決できる問題を、わざわざ人に頼る。世にあふれる健康情報を吟味せずあらかた真に受けたあと、すべてを右から左へ受け流す。そこには「老人力」ならぬ「オカン力」とでもいうべき、オカン業の秘密が隠されているのではないか。

 オカン力とは何か。それをうっすら実感したのは、子供の好き嫌いが出てきた1歳前後の頃だった。離乳食のレシピ本の通りに作っているのにほとんど食べてくれない。顔をそむけられ、それならと別のメニューを作ってみても結果は同じ。昨日は食べたはずの離乳食を解凍してみてもダメ。レシピ本には読者ママたちが朝昼晩おやつとそれぞれ3品ずつこしらえた献立が掲載されており、ただでさえ劣等感に苛まされるのに、そんな立派な離乳食にすら「野菜が少ない」「カルシウムが足りない」と厳しいツッコミが入れられていて、焦りは募る一方。挙げ句「ヤー!(なんでマズイものばかり食わすのじゃー!)」と器ごと床に投げ捨てられた日には、こちらもプッチン切れて「なぜ食わぬ。さあ食えさあ食え」と口を無理矢理こじ開けて離乳食をねじこんだりもした。もちろん子は大泣き。わあ、育児ノイローゼの人みたい。ていうか、そのものかも。

 作ってはポイ、作ってはポイ。賽の河原の石積みもかくやというむなしさに、栄養不良への不安、毎度毎度の床掃除へのウンザリが加わって、知らぬ間にストレスがたまっていたようだ。むりやり冥土縛りで喩えるなら、石を100個積まないと成仏できないのに1個積むごとに鬼に蹴倒され、さらに散らかった石を掃除しろと強要されているような理不尽感。働き盛りの同年代が有意義な仕事をしている頃、私はなぜ死後の罰ゲームみたいなことを……。

 この賽の河原地獄から救ってくれたのが、前回も紹介した松田道雄の『育児の百科』だった。1967年初版(1998年に著者が亡くなるまで毎年改訂)の育児書にも関わらず、いまだに絶賛の声が絶えず去年岩波文庫から復刊されたばかりというだけあって、育児全般への考え方が非常にフレキシブルなのである。離乳食についても、基本的に大人の食事の中から食べられそうなものを取り分けたり、ベビーフードでよいと言う。

「育児雑誌の特集号についている離乳食は、主婦を専業にしている母親の趣味をみたすようにできているので、実用的でない。すり鉢ですったりする料理がおおいのは、調理が趣味である母親を満足させるためである。」
(文庫版『定本育児の百科 中』p.65)

「ところが、赤ちゃんに楽しい人生を用意しようとしないで、義務の人生をおしつける母親がおおい。(中略)離乳食献立と首っぴきで、離乳食をつくり、毎日これだけは、ぜひ食べさせようと努力する。赤ちゃんが離乳食を食べてくれればよろこび、食べてくれないと悲しむ。こういう母親は、赤ちゃんに1日何カロリー食べさせたかを計算するが、赤ちゃんに今日は、どれだけ楽しい思いをさせたかということをかんがえない」
(同前p.115)

「食事は栄養さえたりていればなるべく簡単にすませて、生活を楽しむことに時間をついやすという人間の生き方に、赤ちゃんもならさねばならぬ。ごはんを食べたがらぬ子には、副食に十分の動物性タンパク(魚、卵、牛肉、豚肉、鶏肉)を与えればよい。それも食べないなら、ミルクや牛乳を今までのようにつづけていい。」
(同前、p.412)

 離乳食より楽しい人生。こんなことを言ってくれる育児書がほかにあるだろうか。確かにレシピ本に載っている離乳食は、ヘルシーな素材ばかりで味付けも薄く無難には違いないけれど、大人としては積極的に食べたくない類の代物で(例:さつまいもとにんじんを豆腐ときな粉であえたもの)、赤ちゃんが好んで食べないのは道理なのだった。1歳になってあらゆる離乳食を退けて味噌汁ぶっかけ飯しか食べてくれなかったのは、大人のおいしそうなご飯を一緒に食べたかっただけなのかもしれない。1歳児に必要なのは動物性タンパクと楽しい人生。こう考えたらずいぶん気が楽になり、味噌汁ぶっかけ飯にシラスでも足しておけばいいかー、とぼんやり構えているうちに、「おいち!」と頬をおさえながらご飯をむさぼり食ういやしんぼキャラに育っていった。

 振り返ってみれば、オカン力が足りなかったのだと思う。情報に流されても縛られないアバウトさ。母親にふりかかる育児情報には、不安をいたずらに煽って自分の商売を潤そうとするものや、単なる信仰・趣味に過ぎないものも少なくない。全てを実行しようとしたらノイローゼになるし、正しい情報を選別するには時間が足りない。間違った育児信仰に真っ向から逆らったらカドが立つし、完全に無視できるほど育児に自信があるわけでもない。とりあえず全部真に受けてみて、でも実行は適当。これはオカン業に最適化された行動だったのではないか。そういえば、『老人力』には「宵越しの情報はもたない」なんて言葉もあった。これはみのもんたの言うなりにココア、バナナ、きな粉と日替わりで健康っぽい食べ物を買いあさる全国のオカンたちの生き様にも通じる、ような気がする。

 そしてやりつけないことは人に聞いて済ませようとするオカン的態度。もしかして育児情報や健康情報をすべて真に受けることで処理能力を使い果たしてしまい、他の情報を処理する空きメモリがないのかもしれない。だから人間フィルターを使って、必要最小限度の情報だけを得ようとしているとか。いや、それは考え過ぎか。

 しかし最近の自分も、子供にものを教えようとするより、「あれなあに」と聞くほうが多い。「なんだそんなことも知らないのか」とばかりに答える得意げな顔を見ていると、「わからない」という立ち位置も悪くないと思えてくる。うまく言えないが、子供という感情ドリブンの生命体を前に、学校や企業の中で期待されるような主体的な知性体としての振る舞い(「高い目標を設定しそのためにできうる限りの努力をせよ。さらば報われん!」)を遂行しようとすると、煮詰まってしまうような気がするのだ。オカン力、意外に奥が深い。

 そう思えば、忙しいときにかかってくる、

「楽天で買い物したいんだけどID忘れちゃった」
「メールアドレスだよ」
「やだ大文字しか出ない」
「ShiftとCapsLockキーを一緒に押して」
「あ、なおった。えーと、パスワードなんだっけ」
「何度も聞かれて覚えちゃった自分が悔しいんだけど、********」

 という電話も、朗らかに応対できるようになるかもしれない。いや、やっぱり無理。 

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