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2009.06.01

第三十二回

「鼻水パンデミック」の巻

堀越 英美

「鼻水パンデミック」の巻

 鼻水が出た子を病院に連れていくタイミングが難しい。

 元気で熱もないのに小児科に連れていったら過保護と笑われそうだし、待合室で別の病気をもらってきそうで怖い。鼻水くらいならほっとけば治るんじゃ、と悠長に構えていたのだが、その考えはアンパンマンシロップ並みに甘かったみたいだ。

 つい先日、保育園のピクニックで鼻水の出ているわが子を膝にのせて電車に乗ったときのこと。鼻水がのどに流れ込んだのか、軽く咳が出た。すると数メートル離れたところで座っていたマスクの女性がギロリ。このご時世だから仕方がない、と子の体をくるりと回転させて向かい合わせにだっこすることにした。幸い咳はその後出ることはなかったのだが、しばらくしてからふとマスクの女性のほうに目をやると、ギャー! まだにらんでる!

 それもこれも新型インフルエンザの脅威が連日報じられている中、マスクもせずに外出した我々の不徳のなすところなのだが、薬局に行っても大人用マスクはすでに売り切れ、わずかに残っていた子ども用も目の前でオバチャンに買われてしまう、というオイルショックさながらの状況でいかにせよと。あ、病院行けばいいのか。もしかしたら本当に新型インフルエンザに感染しているのかもしれないし。その場合、うちの子のせいで東京中の学校が休校になったりするのかしら。保育園の上を飛び交うヘリコプター、沿線住民も大パニック、バイオテロリストとして石もて追われるわが子……、そうなったら謝罪会見開くしかないな。渡航経験のない庶民な1歳児のくせにうっかり都市機能をマヒさせちゃってあいすみません。

 休日の朝から診療している小児科が隣駅にあることがわかったので、さっそく診察を受けることにした。わが子は待合室の絵本を片っ端から取り出して読めと迫る狼藉ぶりで、ぐったりしている他の子に悪い。逃げるように診察室に向かい、平熱なのに病院に連れてきた負い目から思いつく限りの不調をお医者さんに伝えたところ、あっさり風邪という診断が下る。ついでに私も診てもらうと、私も同じ風邪をもらっていたようだった。おそるおそる「インフルエンザってことはないですか」と聞いてみると、「バカいっちゃいけない。こんなもんじゃないですよ」と一笑に付されてしまった。ああ、今の私完全に報道に踊らされてる哀れなママさん……。

 風邪と診断されたからには保育園に預けるわけにはいかないが、仕事は山積み。子供を家においたまま仕事をするしかない。ところが元気が有り余っているのに家に閉じ込められたわが子は、「アタイをかまわないなら、かまわざるをえないようにしてやんよ」とばかりにハンドクリームをボトルから全部出して、全身とドアをデコレーションしてみたり、野菜ふりかけを全部ぶちまけてペロペロなめたり、テープ式の修正液を引き出して体に巻きつけたり、次々と新手の非行(奇行?)に走ってくれる。ごはんを与えている間くらいはおとなしくしてくれるかと思いきや、ガラスの食器をぶん投げて割る始末。荒れ果てた家に思わず「積み木くずし」というなつかしの大映ドラマのタイトルが思い起こされるが、むしろなんで積み木で遊んでくれないんだという気持ちでいっぱいだ。そうこうしているうちに私のほうがぐったりしてきて、いよいよこれは本格的な風邪に違いない、正々堂々と仕事を休んでやる、と計ってみれば37度。微妙……。われらの体の免疫部隊はやる気がなさすぎる。せめてわが子も風邪らしくぐったりしてくれたら家の中も荒れずに済むのに。

 その後、子も私も37度になったのをピークに熱は大して上がらないまま、鼻水をひきずるだらしのない風邪っぴき状態が続いた。傍目にかなりのダメ親子感。不謹慎かもしれないが、いっそ新型インフルエンザだったらよかったと思ったりもする。ありきたりな風邪で寝込むのは免疫力と抵抗力がない証拠、なっとらんと私の中の森田健作が裏声で叱りつけるが、新型インフルエンザはみんながおびえるくらいだから感染したら最後、努力ではいかんともしがたい発症力だったりするのだろう。それなら誰はばかることなく堂々と寝込めるんじゃないか。いっそみんなでかかってみんなで寝込めば戦時中のような連帯感が芽生えるかもしれない。インフルエンザで一億総玉砕。

 免疫力といえば、一部ホメオパシー系のサイトが「日頃からホメオパシーを実践していれば免疫力がついているのでインフルエンザにかかることはない」というような便乗記事を掲載して、大いにバッシングを受けたらしい。叩かれるのはもちろん、医学的効果が実証されていないホメオパシーで予防などできるはずがないからだが、そういう主張をするからこそこの手のニセ科学は人気があるんだよなあ、と思う。

 バカは風邪をひかないというのは昔の話。これだけ健康情報があふれ、健康管理も仕事のうちと言われるなかで病気になるのはバカか、だらしがないか、あるいはその両方かと思われかねない。自然と、医学に頼るのは弱くて悪いことだという感覚が育ってしまう。頭痛で鎮痛剤を飲むのは負けという感覚に近いかもしれない。医者にかからなくて済むよう、体を鍛えて自前の免疫力と抵抗力、自然治癒力を身につけるべし、という価値観自体に問題があるわけではないのだが、いついかなるときもそれを求められるのは厳しい。そんな心のスキマに入り込むのが、何かを飲んだり食べたりマッサージを受けたりするだけで免疫力や自然治癒力が上がりますよ、と謳うニセ科学系の代替医療なのだろう。ハマっている人たちも別に医学を全否定する反社会的なカルト集団というわけでもなく、医学を必要としない強い自分イケテル!って思いたいだけじゃないかなあ、と異様にポジティブなホメオパシー系のブログを読んで思う。マクロビオティックも似たような需要なんじゃないか。

 2002年の米国の調査によれば、代替医療にハマるのは男性より女性、低学歴より高学歴に多いらしい("Complementary and Alternative Medicine Use Among Adults: United  States, 2002")。これもなんとなく、理解できる話だ。自分磨きに熱心な真面目な人たちほど医学に頼ることに敗北感を覚えたりするんだろう。ビョーキ自慢で忙しい自分をアピールできたバブル時代はとうに過ぎ、結核にかかった女芸人がCMから消えて、恰幅のよさがメタボと呼ばれるこのご時世。病気にかかる弱さはすなわち悪で、悪だから追放しなくてはいけない。パンデミックも怖いけど、これはこれで怖い世の中だなあ。

 しかし今の私にとって一番怖いのは、家の中の積み木くずし的惨状と、積みに積んだ締切なのだった。こうなったら、実家に帰って親に孫を丸投げするしかない。親離れできないダメ母と笑わば笑え。弱いなりに細く長く気楽に生きたいの……。

 というわけで、この原稿は実家で書いている。すでに「冬のソナタ」サントラが散乱したり、母の化粧水がぶちまけられるなどの被害が出ているが、他人の家なので気楽なものである。それにしてもお医者さんからもらった薬を飲んでるのに、なぜ我々の鼻水は治らないのか。やっぱり、本当は新型インフルエンザだったんじゃないのか。だとしたら鼻水で済むなんてすごく強いんじゃないのうちら。しかしその場合、世間的には恐ろしく大迷惑な存在に違いない。じゃあやっぱり弱くていいです。 

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