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2010.02.01

第四十六回

「江戸のパパ男子たち」の巻

堀越 英美

「江戸のパパ男子たち」の巻

「パパ男子」である。

 電通が昨年末に発表した父親の子育てに関するリリース記事で、突如この世に解き放たれた衝撃ワード。この連載の第37回で「ママ女子」はありえない、ということを結論としたが、「パパ男子」は、言われてみればありうる。「女子」がこれまでのジェンダーに当てはまらない女性像をくくるときに使いやすいニュートラルな単語だとすれば、「男子」もまた然り。男らしく女を追いかけなければ草食系男子、男のくせに弁当を作れば弁当男子で、男のくせにレギンスをはけばレギンス男子。とすれば、男のくせに育児をすれば「パパ男子」なのだろう。

 そして今はいった臨時ニュース。長妻厚生労働大臣が、参院予算委員会で「イクメン(育児をする男性)」を流行らせたいと発言したそうだ。少子化対策なのだろうが、ここにきて子持ちオシャレ化計画が一気に進行しつつある。「マイホームパパ」を悪と信じてきた一部の男性には苛立たしい現象かもしれないが、そういう層にはファミリーを愛した俳優のチャールズ・ブロンソンにちなんで「ブロンソン男子」を提案してみたい。「ファミリーは命をかけて守れ!」「たまったら出せ!(中で)」……ストレートに少子化に訴えそうな気がするのだがどうか。

 というかそもそも、育児をする男というのは、わざわざ造語を作らなければならないほど目新しい存在なのだろうか。最近寝かしつけの作り話のネタにつまってiPhoneで落語のネタを読みながら一席ぶっているのだけれども、落語には父子のやりとりが実に多い。寝かしつけに昔話を語ろうとして子供にやり込められる「桃太郎」のお父さんや、天満宮に息子を連れて行き、自分が凧揚げに夢中になってしまう「初天神」のお父さんを筆頭に、「真田小僧」「片棒」「雛鍔」等々、落語の育児シーンは完全に父親主導。負担の大きい寝かしつけや子どもの連れ出しを担当してくれる夫なんて、現代においても妻から重宝がられるに違いない。なぜ父子の話が多いのか。噺家が男性ということもあるだろうが、落語に女性が出てこないわけでもないので、それだけが理由とも考えづらい。落語は幕末から明治にかけて成立した文化だが、もしかしてこの時期、「パパ男子」は当たり前の存在だったのでは。

 前回、母子密着と萌えの関連を考える、などと大見得を切ってみたはものの、まずは「日本は母子密着文化、母性原理の国」という大前提を疑ってみるところからはじめてみようと思う。ああ、ノープランで行き当たりばったりな連載でごめんなさい。

 さて、落語の舞台になりがちな江戸時代の育児状況は、実際どんなもんだったのだろうか。『江戸の子育て』(中江和恵)と『江戸の親子―父親が子どもを育てた時代』(太田素子)を読んでみたところ、両著者ともに江戸時代の父親の育児熱心ぶりを挙げている。その活躍ぶりは育児参加というより、育児の主体が父親であるといってもいいほど。まず育児書を書くのも男性なら、読むのも男性が中心。儒学者・貝原益軒が書いた教育書『和俗童子訓』によれば、

 婦人や無学の人は小児を愛する道を知らず、姑息に愛するだけで、ただおいしい物をたくさん食べさせ、よい衣類を暖かく着せ、その子のしたいようにさせるのを、その子を愛することだと思い、それが子の成長を損なうことを知らない。
(『江戸の子育て』中江和恵)

 育児のような大事な仕事を女なぞにまかせれていられるか!と言わんばかり。さすがは劉備ママや孟子ママを生んだ国の教え。貝原益軒の教育書は庶民よりも武士階級に読まれていたらしいが、お家の継承がなにより大事の武士なら、跡継ぎたる男児を家長に仕込むのは自分の仕事と心得ていても不思議はない。もちろん哺乳養育の雑事は母親もしくは乳母の仕事だったろうが、さまざまな教育書は「育児の責任は男にある」という前提で書かれている。実際、武家では藩校に通う以前の家庭教育は父親が担当するのが基本だったらしい(『江戸の親子』)。一方庶民はといえば、当時の史料や文学作品では「子どもを外に連れ出したり風呂に連れて行ったりして世話を焼いているのは、男親である場合が多」かったようだ(『江戸の子育て』)。今のように西松屋だの洗濯機だの炊飯器だの電子レンジだの生協の宅配などなかった時代、母親は機織りや衣類の手入れ、洗濯、炊事などで忙しかったのだろう。自然、子供の相手は現代ほど労働時間の長くなかった男親が担当することに。息子は父親の家業を継ぐものとして育てられているため、娘の育児は母親、息子の育児は父親というように分担していたとも考えられる。

 実際に江戸時代の父親たちがどのような育児を行っていたかは、明治以前に書かれた唯一(唯二?)の育児日記とされる『柏崎日記』『桑名日記』に詳しい。幕末の下級武士・渡部勝之助と、赴任する彼の長男を預かって育てていた勝之助の義父・渡邊平太夫の交換日記である。孫を預かっている祖父母夫婦と、遠方で小さな子どもたちを育てる若夫婦。世のママさんブログ同様、書くことといえばやっぱり子どものことなのだろう。『柏崎日記』には、「仕事も大変なのに家に帰れば子守りもさせられる、ああ大変だ」という内容のボヤキが綴られている。ボヤキつつも子供を抱きながら話をしたり、寝かしつけたり、風呂に入れたり、トイレに連れ出したり、月代を剃ったりとお父さん忙しい。子供の面倒を見ることに「無上の喜び」を感じていたとも記されている。さらに自分が宿直の時には、子供を職場まで連れてきて一緒に泊まり、勉強を見てあげることもあったようだ。パパ男子を通り越してアグネス男子だ。

 『桑名日記』のほうには、九歳にもなるのに平太夫と抱っこして寝て、トイレにもついてきてもらっているおじいちゃん子な鐐之助の姿が生き生きと描かれている。
 平太夫もその妻も、3日とあけず孫を買い物や見せ物に連れ出して孫育てを楽しんでいたようだ。お正月にたくさんの大人が来たことでハイになり、下半身をさらして「これはえヽちんぼ、えらいもんぢや、でらぶつじや」と大人たちに誉められて得意満面というエピソードもあった。武士の子のくせに「クレヨンしんちゃん」並みに自由。母方の祖父母や若衆、近所の人々など周囲の大人たちも彼をかわいがっていたらしい。甘やかされつつも、たくさんの大人に囲まれて天真爛漫に育っていったのだろう。

 1822年に刊行された『心学奥の桟』(鎌田柳泓)には、子供がお風呂を嫌がるので神仏に祈る父母のエピソードがある。「叱ればいいのに」と思うのだが、それで実際に子供がお風呂に入ったりするらしいから結果オーライ。ガミガミ言うのが苦手な日本の父母像が浮かび上がってくる。正直私も苦手です。風呂を嫌がるときは「言うことを聞かないとサンタさんがおもちゃを取り返しにくるよ」とサンタを泥棒扱いして対処だ。

 儒学者による教育書が、どれもこれも「甘やかしてはいけない」と口を酸っぱくして繰り返していたということは、逆に考えれば当時の日本人がいかに子供を甘やかしていたか、ということの証左なのかもしれない。

 農村はどうだったのだろうか、と『子宝と子返し―近世農村の家族生活と子育て』(太田素子)を読んでみたのだけど、父親が積極的に育児参加したというような記述は見あたらない。それどころではないというか、母親自身も農作業で忙しいため、育児負担に耐えかねて子供を天にクーリングオフする「子返し」と呼ばれる嬰児殺しがひんぱんに行われていたようだ。あまりに「子返し」が多いので、「とかく取揚さへすれハ人力はさほと労せすとも子ハそたつ物と知るへし」(『育児図説』猿田玄碩)と、育児で家業に差し障りが出るならほったらかしでもよいから育てなさいよと訴える人もいたようだ。そして猿田氏が古くからある「天理自然の道」として紹介したのが、「えじこ」「ゆさ」と呼ばれる乳幼児収納籠。赤ちゃんの首がすわったらこれらの籠の中に入れたまま両親は作業をし、子供が6~7歳に成長したら両親と一緒に田畑に出て草取りや道具運びの手伝いなどをする……というのが一般的な農村の子育てだったようだ。実際、各地にこうした「えじこ」(地域によっては「つぐら」「えんつこ」「いづめ」「いづめこ」など異名多数)が残されており、昭和30年代頃までは普通に使われていたらしい。少なくとも母子密着している暇はなかっただろうし、農作業を教える過程で父親が子供に関わることも多そうだ。

 ちなみに、1993年に母親と父親が育児語でどれくらい子供に語りかけているかを調査した結果、都市部の父親より農村部の父親のほうが育児語で語りかけている率が圧倒的に高かったという(『育児と日本人』正高信男)。長距離通勤で子供が寝ついてから帰宅することの多いサラリーマンに比べると、職住接近の農家のほうが父親と子供の接点が多いからだろうと推測されている。こうしてみると、「日本人は欧米に比べて子供をかわいがりがち」というのは事実にしても、「農耕民族だから父親不在で伝統的に母子密着型育児」はどうやら嘘っぱちに思えてきた。

 では女の役割が「世継ぎを生むこと。あとはとにかく働け!」から「子育てこそが女の仕事。母性愛サイッコー!」になったのはいつからなのか、というとこれは明治以降であるようだ。明治九年に書かれた『文明論女大学』(土井光華)は、貝原益軒の『女大学』が子育てをスルーしていることについて、「子を育つる一条は、最も肝要なる条件なるを」「実に不審の至り」と批判している。西洋の一流国に追いつくために女子教育観を取り入れるようとした明治の知識人たちだが、当時はまだまだ儒教の影響が大きかった。「確かに女がバカばっかしだと外聞が悪いけど、賢くなって男女同権なんてことになると困るなー」と西洋かぶれと儒教の男尊女卑観とをミックスさせた結果、「女が愛に溺れず立派な子育てをするには教育が必要である」という「良妻賢母」主義ができあがったらしい。さらに明治31年施行の明治民法で家父長制が制度化されて男尊女卑が徹底した結果、女性たちは家庭と国家の礎となる責任を担う「母性」業に邁進することで、妻としての地位を確保することになったのだろう。一方で、育児責任主体としての父親の役割は後退していく。

 庶民レベルで母子密着が進行するのは、高度成長期に会社員の妻が専業主婦化し、女性労働力率が45.7%まで下がった1975年頃なのだろうけど(1920年の女性労働力率は53.4%)、上流家庭においては女学校で母性愛を教え込まれ、結婚後夫に顧みられなくなったお母さんが、煩雑な家事を下女まかせにしつつ子供、とりわけ息子をみっちり愛でることで自己実現していた可能性も大いにありそうだ。そして本を書けるほどの教育を受けられた男性の多くは上層出身。幼少期に上品で美しい女性から「無償の愛」をたっぷり受けて育った男性たちが長じて「無償の愛」を求めるようになり、萌え文学が生まれた……と結論づけるのは、明治時代についてもう少しお勉強してからでないと怒られそう。しかし「日本は伝統的に母子密着」「美しい母性愛」というイメージがインテリ層によって文章で繰り返し再生産されてきたのは、明治以降のある階層以上の家庭においては確かにそうだったから、と想像するのは間違ってないだろう。

 こうしてふりかえると、日本人は放っておくと老いも若きも男も女も子供をかわいがりがちであり、そしてインテリ層は中国や西洋の思想にふれるたびに「俺たちがあいつらに負けるのは育児がまちがってんじゃね?」と大慌てでスパルタを推奨したり、はたまた「いやいや我々は間違ってない。なぜならこれは日本の伝統だから。ジャパン・アズ・No.1!」と伝統をねつ造したりと、冷静と情熱と優越感とコンプレックスのあいだで忙しかったりしつつも、メディアが未発達だったため庶民への影響度はさほどでもなかった、という印象。思えば戦後の知識人が日本人の特殊性を示す言葉として「農耕民族」を採用するようになったのも、戦時中に(天皇家の象徴である)米食による強い日本人像を刷り込まれてきた知識階層が、敗戦で一転「米兵って肉食いまくり!女食いまくり!そうか、あいつらに俺たちが負けたのはあちらが狩猟民族でこちらが農耕民族だからだな」とガッテンしたことから始まったのではないか。そしてコンプレックスを植え付けられた戦後の男性が狩猟民族になりたい一心で労働!カネ!車!女!と邁進した結果、育児どころではなくなった、というのが今に連なる男性の育児離れの端緒となったのではなかろうか。余談だが、日本人は伝統的にさほど肉食をしてこなかったのに、「労働!カネ!車!女!」に駆り立てられない若者が「草食系男子」と揶揄されるのは、「狩猟民族=肉食=男らしい」という劣等感が日本人の間でいまだに根強いことを感じさせる。

 少子化対策でパパ男子を増やしたいのなら、とりあえず男性にカネとヒマを与えるところから始めればいいんじゃないかというのをさしあたって今回の結論としたい。我々は、放っておくと子供をかわいがってしまうものらしいから。 

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