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2010.04.15

第五十回

「モヤモヤ育児雑誌クルーズ~『主婦之友』大正時代編」の巻

堀越 英美

「モヤモヤ育児雑誌クルーズ~『主婦之友』大正時代編」の巻

「実は、普段着しか、いらない!」
「ファスト・ブランド戦国時代、30代が軍配をあげるワケ ZARAは大人を救う!」
「関東・関西 エレガンス派の隠れファストファッション利用術」
「関西ミセスは「2コインアイテム」でお手軽華やか♪」

 最近、美容院で手渡される『VERY』が親しみやすすぎて困る。往時とはケタ一つ二つ違いそうな価格帯の掲載アイテムを見ていたら、うっかり自分もナントカネーゼになれるんじゃないかと勘違いしてしまいそうだ。しかしこのところみるみる薄くなっていた同誌が再び鈍器ばりの分厚さを取り戻したということは、この路線がウケているということなのだろうか。そういえば昨年は『プレジデントファミリー』でも、「大変身!ママが輝く働き方」という、40代からの復職・就職をサポートする特集が。高収入夫+専業主婦をターゲットとする両誌にも、不況は着実に陰を落としているらしい。

 さすが生き馬の目を抜いてDHAをすするほど厳しい雑誌業界、読者のニーズを素早くつかまねば生き残ってゆけないのだろう、と他人事のように感心している場合ではなかった。これまで「母性」のなりたちを書籍を中心に探ってきたけれど、それが庶民レベルに浸透していった過程を知るには、当時の雑誌を読んでみるのが一番なのかもしれない。

 そこで挑戦してみたいのが、2年前に休刊した『主婦の友』のバックナンバー読み。1917年(大正6年)、婦人誌といえば上流女性向けのものばかりだった時代に、中流家庭の主婦を対象に創刊。大正から昭和にかけて全婦人雑誌中首位を占めるシェアを獲得し、1941年(昭和16年)には180万部を達成したという最強主婦誌だ。91年分のバックナンバーは、一般主婦の関心の推移を知るにうってつけのはず。フェミニスト・平塚らいてうが「母性」という言葉を輸入し、現首相の曾祖母・鳩山春子がインテリ女性の新しい生き方として「少なく生んで賢く育てる」母性を称揚していた大正時代、市井の主婦はいったいどんな夢を見ていたのだろうか。

 創刊年である大正6年の『主婦之友』を手に取ってみると、家事よりも育児よりも、まず目立つのは金の話である。「共稼で月収三十三圓の新家庭」「六十五圓で六人家内の生活法」(大正6年3月号)、「何うしたら養鶏の利益が多くなるか」(大正6年5月号)、「誰にも出来て収入の多い西洋寝衣の裁縫」「編物内職に必ず成功する仕方」(大正6年7月号)、「妻の働で収入を殖した經驗」(大正6年12月号)……。まだまだ日本全体が貧しかったため、主婦の一番の仕事は内職とお金のやりくりで、「素敵な奥さん」を夢見るどころではなかったらしい。現代の主婦誌には欠かせない料理レシピは、後ろのほうにおまけのように1品ほど載っているだけ。当時の中流主婦にとっては、炊事洗濯掃除などの家事は女中に任せ、自分は内職でお金を稼いだり家族の服を仕立てたりするほうが、やりくりの面では効率がよかったのだろう。料理といっても今ほど食材が豊かに揃うわけでもなく、何品も用意できるほど裕福だったわけでもないだろうから、腕のふるいどころがなかったのかもしれない。そして紹介される内職・副業は裁縫に限らず、薬草栽培から鶉飼、鹿子絞りまで結構多彩。

 肝心の育児ネタはというと、創刊3号目で初めて登場するのが、青山学院教授・浅田栄次の妻による「何うしたら子女を理想的に教育し得るか」なる教育論。「妊娠中に高潔な書物でも読んで、気高い心を以て圓満な家庭で楽しく平和に暮すことが出来たならば、頭脳がよくて性質の素直な子供が生れると思ひます」と胎教から始まるその教育法とは、「子供の頭脳をよくするには」「良い小學校を選ぶ必要」「小學校へ入れるための苦心」「試験の場合に注意すべき條件」と、もっぱらお勉強に主眼が置かれている。そうまでして良い小学校に入れなければならない理由は、「よい小學校へ入りませんと、よい中學へは行かれませんし、又よい中學へ参りませんと、第一高等學校などへ入るのは難いことでございます」。やっぱり立身出世のためですよね。そんなセレブ奥様の教育論は次号にも持ち越され、「たとへば月夜に生れたからとて、お月と名づけたり。雪が降ったからとて、お雪と名づけたり。(略)北海道で生れたからとて、知志(しりべし)と名づけたり、天塩(てしお)と名づけたり。朝鮮の鎮南浦(ちんなんぽ)で生まれたからとて、鎮南浦と名づけたりするなど、実に滑稽では御座いませんか」(大正7年6月号)と、庶民の珍名にもダメ出しするのだった。というか、実在したんだろうかチンナンポさん。

 大正7年2月号は「子寶繁昌號(子宝繁昌号)」と題する育児特集号。ここでも「何うしたら優良児が出来るか」「堕落し易い中學時代の教育法」「危険の多い女學校時代の教育法」「低能児を有用な人にする教育法」など、教育ネタが多い。なかでも日本で初めて早期教育を紹介し、教育界にブームを巻き起こした木村久一の「子供に早教育を施す方法」が興味深い。

お話は子供に極めて必要なものであるから、これは盛んに話して聞かせ、又子供にこれを繰り返させる方がよい。お話の材料は、勿論よく選択しなければなりません。かくの如くにして言葉と常識を教へ込むのが早教育の初歩であります。

 当時流行の早期教育は、「お話を聞かせる」がメインだったらしい。そこで第二特集では、「お伽話の研究」と銘打ってお話の仕方を主婦にレクチャーする。

お伽噺といふものは近来随所に問題にされて、其の種類の本も多く出て、また各方面に真面目な研究がなされて居ることは喜ぶべき事だと思ひます。
・神経質の子供には悪い
・架空的なお伽噺は悪い
架空的な空想に馳せるやうなものは、子供の恐怖心を刺激したり、子供の性質を萎縮せしめるやうなことがなるから、かういふ種類のお伽噺は明かに害があるのであります。
・子供の就眠前はよくあるまい
(医学博士 三宅鑛一「子供にお伽噺をする時の注意」)

若い母にとつては、お伽噺や唱歌を上手に話したり歌つたりすることは、ご飯を手際よく炊いたり家政を巧みに遣繰りすると同じやうに、最も必要なことであらうと思ひます。(略)総領の子供の時は未だ経験もございませず、子供の絵雑誌なども当今のやうに発達して居りませず、どういふ風にして子供に話を聞かしてよいか分りませんでしたので、毎日子供と一緒に幼稚園に参り、先生の話を伺つては宅で又其の通りを繰り返して聞かせました。
(谷信子「私の家庭ではかうしてお噺をします」)

 母親が子どもにお話を聞かせるなんて、いかにも伝統育児のようでいて、そうでもなかったのが意外だ。絵本や児童書などが今のように出回っていなかった時代には、一般女性は話のネタの仕入れようがなかったのだろうか。

 流行の早期教育も貪欲に取り入れる『主婦之友』だが、おそらく一番の人気企画だったのだろう、毎年夏になるとある子供関連の特集を組んでいた。夏休みの過ごさせ方?それとも親子で遊べるリゾート地? いえいえ正解は「子供の死」。「夏は一番多く子供の死ぬる季節」(大正6年8月号)とあるように、昔は疫痢や腸チフスといった伝染病で子供が命を落とすことは日常茶飯事。当時の中流家庭における最も重要な育児ミッションとは、何より「死なさないこと」だったようだ。こうした特集の書き手は、もっぱら読者である一般主婦たち。子供を死なせた経験のある主婦や、子供を健康に育て上げた主婦が手記としてその経験を記し、同じ立場の主婦に注意を促す体裁を取っている。

 大正7年8月号には、早くも早期教育に疑問を投げかける手記「子供を早熟的に育てて失敗した經驗」が登場。我が子を脳膜炎で死なせてしまったのは、子守りの老人が幼子に謡曲を暗記させたり夜お伽噺を聞かせたりして脳に負担をかけたのが原因かもしれないと、読者に注意を呼びかけている。そして大正8年3月号の特集「成績不良であつた子供を優良にした苦心」以降、教育記事は控えめになる。当時の中流家庭の主婦には、「少なく生んで賢く育てる」母性はそれほど重大な関心事ではなかったのだろうか。いつ死んでしまうかわからない子供の教育にお金と時間をかけるのは、効率的ではないと判断されていたのかもしれない。また米の値段が半年で倍額になるインフレぶりでは、教育どころではなかっただろう。

 お米が買えなきゃ職を持てばいいじゃない、というわけで、大正7年3月号は職業婦人特集。日本資本主義の父・渋澤栄一も寄稿し、「時勢の変つた今日では、かういふ消費経済ばかりでは足りない、婦人と雖も一家の収入を増し、一家の生活を助ける生産経済の思想も養成して行かねばならない」と主婦が職を持つことを奨励している。物価の高騰で、中流家庭の主婦も本格的に働く必要が出てきたのだろうか。しかし山脇女子実修学校(現・山脇学園短期大学)を創設し、自分の奥さんを校長にした山脇玄「職業を有たぬ婦人は不幸なり」を読むと、そればかりが働きに出る理由でもなさそうだ。「近頃頻々として新聞や雑誌にあらはれる家庭内に起つた悲惨なる出来事を読む度毎に、痛切に感ぜられる事は、女子に経済上独立するだけの素養がないことであります」「女子が自分の生活費を自分の手で求めるといふ事は、まだ女子の人格を認めて居ない我が國の男子の我儘な圧制から免れさせる第一歩であります」。おお、なんだか進歩的。

 主婦たちの手記を読むに、彼女たちも賃労働に生きがいを見いだしていたことがわかる。『主婦之友』に触発され、「もう自分もじつとしてはいられない」と内職を始めた奥様の手記「内職を始めて持病の治つた奥様」(大正8年5月号)には、「人間は常に責任のある仕事にせめたてられ、多少おす気力を以て、絶えず働いていれば、容易に病気しないばかりか家内のやうな重い病気の者さへ治るものですね」という夫の言葉が掲載されている。また「其のうちに昨年の米騒動が起りました通りに諸物価が非常に暴騰して来ましたから、ともに私も徒らに夫の腕に頼つている場合でないと決心致し」女工となって働き始めた主婦は、「規律正しい生活が出来ること」「身体の壮健と成ること」「時間を空費せぬこと」「最も愉快な生活が出来ること」と、働くことの効用を謳う(大正8年11月号「女學校を卒業して女工となつて働く若き妻の経験」)。「併し兎角内気になり易き女の生活が、毎日の外出のために自然快活にせられ、若い人々と共に遊び共に語りなど致しますから、いつとはなしに無邪気な性格に化されます」(大正8年5月号「女學校教師として働きながら主婦と母との務め」)とは、女教師の手記。ワーキングマザーの言葉は、概ね働く喜びに満ちている。大正時代の中流主婦の夢は、まず経済的に自立することにあったみたいだ。

 働きたがるお母さんたちを、男性はどう見ていたのだろう。アメリカ在住の子爵・加納久朗は、「節約主義よりも労働主義」を訴え、女子教育の向上と夫婦共稼ぎを勧めている(大正8年11月号「世界改造と新しき日本婦人の覚悟」)。「今日のような場合に、どこまでも夫の腕にのみ頼つて生きて行こうとする婦人こそ、実に情けない精神の方だと申さねばなりません」と、むしろ働かないほうが悪いくらいの勢いだ。誌面に「お母さんが働いたら子供がかわいそう」という論点は見あたらない。貧乏ゆえに進学を諦めたり病気を治せない子供が少なくなかった時代、母親がお金を稼ぐことは子供にとっても社会にとっても善であると信じられていたのだろう。家事育児との両立は今よりもはるかに大変だっただろうが、攻撃されずに済んだという点では現代のワーキングマザーより恵まれているのかもしれない。「母性」が庶民の母親を職業から引きはがすのは、まだまだ先のことなのである。 

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