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2014.05.09

タックスヘイヴンという異次元世界

藤井 厳喜

タックスヘイヴンという異次元世界

『タックスヘイヴン』橘玲
小社刊/1700円(税別)

 本書『タックスヘイヴン』は、超一流の知的エンターテイメント・ノベルである。

 一面から見れば本書は3つの連続殺人事件を解明するミステリー・ノベルでもある。しかしその舞台背景は、個人的怨恨や、旧家の遺産相続ではなく、アングラマネーが暗躍するタックスヘイヴンという異次元世界である。本書に登場する中心的なタックスヘイヴンはシンガポール。

 本書では2つの舞台でのドラマが並行して進展する。1つは日本である。ここは我々の知る日常世界であるが、この世界で起きた異常事態が発展することにより、異次元世界であるタックスヘイヴンと結びつく。その異次元世界の舞台となるのがシンガポールである。本書では、日本における日常性とシンガポールにおける非日常性が見事に対比されている。

 この小説の魅力は何と言っても脱税、もしくは租税回避の方法のリアルさである。租税回避に興味のない読者をも引き付けるだけの精密な描写が展開されている。読者はあたかも合法・非合法すれすれの国際的な租税回避の現場に居合わせるようなスリルを十二分に味わうことができる。スパイ小説ではない、新しい種類の国際謀略小説と言ってもよいだろう。

 男女のアバンチュールを含む複雑なストーリーを、国際舞台を背景に手際よく進める著者の筆力には抜群のものがある。書評のために、本書のゲラ刷を手にした私は、その面白さに惹かれて400ページ強を一挙に読み終えてしまった。最後の最後までどんでん返しが続く複雑な展開は読者を飽きさせることがない。

 本書は一面、ハードボイルド小説と言ってもよいだろう。タックスヘイヴンを巡るトラブルシューター(問題解決人)である主人公・古波蔵は、フィリップ・マーロウ並みのタフガイである。ご存じのように、フィリップ・マーロウはアメリカの作家レイモンド・チャンドラーが生み出したハードボイルド小説のヒーローだ。あらゆる魅力的な小説がそうであるように、本書の魅力の半分以上はこの主人公・古波蔵の魅力である。彼には官のバックグラウンドも弁護士というような特殊な資格もない。ただ金融界の裏に精通した情報力だけが彼の武器であり、その情報力に強面の交渉力を加えて大企業、犯罪組織、国家機構などと対等に渡り合って行く。そこに新しい時代のヒーロー像を見る思いだ。古波蔵並みの交渉力をもった政治家や外交官が5、6人もいれば、日本は世界外交の一流国になれるだろう。

 本書では、主人公のみならず様々な登場人物の華麗なライフスタイルがふんだんに描かれている。登場人物たちの服装、宝飾品、宿泊するホテル、食事、酒、どれをとっても超一流のものばかりである。いわゆる「セレブ」の世界の豪華さが小説の随所にちりばめられている。しかし、それがいやらしい成金趣味を感じさせないのは、主人公のニヒリズムの故であろう。古波蔵の生活はいわゆる「一流のブランド品」に囲まれているが、彼は常にそれに虚しさを感じているようだ。

 本書の後半に次のようなやりとりがある。検察官の榊原がこんなセリフをはく。「今年、初めて桜を見ました(中略)こんなに近くで毎日働いているのに自然の美しさを知る暇もなく、見せつけられるのは社会のゴミ溜めばかり」。これに、古波蔵はこんなセリフを投げ返す。「この世界はゴミから創られているのだからしょうがねえだろう。あんた達だってしょせんゴミの一部だ」。ここに彼の厭世観とニヒリズムが露骨に表れている。勿論、このセリフの背後にあるのは、自分自身もゴミの一部だという自覚だ。そのニヒリズムの故に、彼は自分を囲んでいる一流ブランド品をもまた、軽蔑しているにちがいないのだ。そこに、むしろ救いと爽やかさを感じることができる。

 しかしそんなゴミ溜めのような世の中でも、自らのプライドと愛するもののために戦い抜こうというのがこのタフガイの心情である。そこがクールなのだ。

 スーパーヒーローである古波蔵に対置されている脇役が牧島慧だ。彼はそれなりに有能だが、誠実であり過ぎたために出世競争から落ちこぼれた人物として描かれている。日本人の男性読者が感情移入しやすい人物である。主人公のそばにこんな脇役を配するところに、作者のストーリーテラーとしての巧みさを感じる。

 この小説では、シンガポールという国際金融都市の実態が見事に描かれている。シンガポールは富裕層には天国だが、庶民には必ずしも生きやすい町ではない。著者はその事実を、主人公古波蔵の恋人であるシンガポールの刑事アイリスの口を通じて、次のように言わせている。「シンガポールはほんとうは貧しい国なのよ。(略)いまはタックスヘイブンとして金融業で生きていくしかない。だからみんなMBAを取って、外資系の会社や大手銀行に入ってキャリアを積もうと必死になる」。また他の登場人物には「金融ビジネスには新しい価値は創造できません」とも言わせている。

 著者自身も指摘しているように、タックスヘイヴンを利用した租税回避は年々難しくなっている。日本でも2013年から国外財産調書制度が採用された。外国に時価で5000万円を超える財産がある個人はその財産調書を国に提出しなければならなくなった。世界のタックスヘイヴンの最も堅固な城であったスイスはすでに落城している。シンガポールなどを使った租税回避も、租税情報交換協定で非常にやりにくい環境になってきている。しかし、税金がある以上、それをごまかそうという人の営みに終わりはない。文明国はどの国も立派な刑法をもっているが、だからといって犯罪が根絶されるわけではない。様々な法律が存在するのは、逆説的に言えば、社会に常に犯罪が存在するからである。犯罪が法律の規制をより厳しいものにしているのだ。しかしそれは犯罪がなくなることを意味しない。法律の網の目をくぐる行為はより緻密になりながら常に続いているのだ。

 著者は主人公にこんなセリフをはかせている。「(略)どんなにコンプライアンスを厳しくしても、大金の前では誰もルールなんて気にしなくなるんだ」。

 本書はエンターテイメントながら、脱税問題を切り口にして日本の政治資金の闇にも鋭い切込みを見せている。著者が指摘するように、戦後は東南アジア諸国への戦争賠償金が政界の裏資金の源泉になっていた。戦時賠償が一段落すると今度はODAのキックバックがその大きな源となった。実は、4兆円近くに及ぶ対中ODAそのものが日本政治を腐敗させた原因の1つになっているのだ。いわば、チャイナが日本にとってのタックスヘイブンとして機能しているのだ。

 本書の後半では、実は事件の本質は、北朝鮮絡みであるということが暴露される。ストーリーは韓国絡みの小さな脱税事件から始まり、最後は北朝鮮という、ならず者国家の謀略で終わっている。本書を読み終えて改めて思うのは、朝鮮半島の存在が日本社会の構造的病理の深い原因となっているということだ。

 

『ポンツーン』2014年5月号より

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