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2010.10.01

第六十回

「間違いだらけの『絵じてん』選び」の巻

堀越 英美

「間違いだらけの『絵じてん』選び」の巻

 何かで読んだのだが、子供には図鑑型と物語型がいるそうだ。絵本を読んでいても、好きなシーンだけとばし読みするうちの子は、多分に図鑑型。1歳児台から100%ORANGEによる50音順のイラスト集『思いつき大百科辞典』をめくるのが大好きだった。

 この本を買ったのは、妊娠中のこと。子供が産まれたら最後、文化系生活とはオサラバしてひたすら子に尽くす奴隷生活が始まるのだ……と赤紙気分で陰々滅々としていた頃、ネット書店で衝動買いしたのだった。100%ORANGEといえば、文化系世界で大変に高名なイラストレーターである。新潮文庫を大量に買うと、その寄進度に応じて100%ORANGEのグッズが褒美としてつかわされるほどだ。文化系世界と育児世界の交錯点とも言えるこの本が手元にあれば、多少は産後に希望が持てるのではないか。そんな過大な期待を背負って、この本は我が家にやってきたのだった。

 ひらがな1つの文字ごとに1ページが割り当てられ、たとえば「ひ」のページなら「ひでんのたれ」「ヒーリングこうか」といった「ひ」から始まる言葉と、それに合わせた小さなイラストが40個以上ランダムに描かれているのがこの辞典の特徴。イラストも言葉選びの無茶ぶりに応えて、「むこうみず」だったらセメント容器の中に飛び込む猫だったり、「どうしんにかえる」だったらチョウチョを追いかけ回してるヒゲオヤジだったりと、かなり自由なテイストだ。教育目的を大きく逸脱した「思いつき」感がすばらしい。しかし子供が言葉に興味を示すにつれ、説明がややこしくなるのが難点だった。

「これ、ねんね?」
「ちがうよ、「ゆうたいりだつ」」
「これ、おにんぎょう?」
「これは藁人形で、「のろう」って書いてあるんだよ」
「「のろう」ってにんぎょうなの?」

 もう少し3歳児の言語圏に見合った絵辞典を、別に買ったほうがいいのかもしれない。図書館に『小学館ことばのえじてん』があったので、ひとまずこちらを借りてみることにした。奥付には2008年初版第一刷発行とあり、比較的新しい絵辞典らしい。さすが教育用の辞典だけあって、全編まともだ。まともなんだけれども、ときどき考え込む定義に行き当たる。

おんな
にんげんで、こどもをうむほうのひと

 うんまあ、そうかな? でも、必ずしも産むとは限らないし……。この説明文では、はるな愛は女ではないことになってしまうし、もっと的確な定義がありそうなものだ。子供にとっての男女の明確な違いといえば、「ちんちんの有無」あたりか。でも教育用辞書で「ちんちんのないひと」はNGなのかもしれない。となると、この定義しかないか。とりあえず、某自動車のCMコピーにこの定義を代入してみた。

「私たち、主婦で、ママで、にんげんで、こどもをうむほうのひとです!」

 もともとのコピーにあったねっとりとしたしつこさが、さらに糸引くねばっこさに進化したように見えるのは気のせいだろうか。

「おとこ」の定義も気になる。

おとこ
にんげんで、こどもをうまないほうのひと。

 そうくるのはわかっていた。でもいいんだろうか、そんな後ろ向きな定義で。かっこいいはずの「男の隠れ家」も、「にんげんで、こどもをうまないほうのひとの隠れ家」では、後ろ暗い雰囲気が醸されやしないか。『にんげんで、こどもをうまないほうのひとはつらいよ』『にんげんで、こどもをうまないほうのひとたちの挽歌』……名画もいろいろと台無しである。

 では、その「にんげん」はどう定義されているのか

にんげん
ひと。

 何にも言っていないじゃないか。「ひと」を調べよということなのだろうか。「ひと」の定義を見てみると、

ひと
わたしたち、にんげんのこと。

 ループである。でも「脊椎動物門哺乳綱霊長目ヒト科に属する生物」という生物学的な定義を措いて人間を定義するのは、なかなかの難問のように思えてきた。下手をするとダーウィン派と旧約聖書派のバトルが勃発しかねない。適当にぼかして穏便にすませたほうがよさそうだ。

 類書ではこの問題、どう対処しているのだろうか。『小学館ことばのえじてん』にさかのぼること12年前、三省堂から『こどもことば絵じてん』が刊行されていたことを知り、こちらを入手して比較してみることにした(購入したのは2010年刊行の第16刷)。

『こどもことば絵じてん』で「にんげん」を調べると、「ひと」の項に誘導される。「ひと」の定義は「わたしたちのこと」。やっぱりそれ以外、定義しようがないのか。しかし例文に「ひとは、さるのなかまのどうぶつです」とあるので、難しくならない程度に生物学な定義に踏み込んでいるだけ、こちらのほうが使えるのかもしれない。ちなみに「おとこ」を調べると、対義語に「おんな」が出てくるだけで、定義は特になし。「おんな」も同様。小学館版では「あお:はれたそらやきれいなうみのようないろ」「きいろ:たまごのきみのいろ」「くろ:からすのようないろ」と、色についての説明文が用意されているが、三省堂版はその色を使ったイラストが描かれているだけ。めんどうな基本単語の定義は思い切って削り、絵で察してくれという編集方針らしい。

 せっかく手元に2冊あるので、こうなったら『暮しの手帖』の商品テストの感覚で読み込んでみたい。

わざと
(小)しないほうがいいとわかっていて、するようす。
(三)しなくてもいいのに、とくにそうするようす。

「自転車で君を送っていくとき、わざと遠回りした僕を君は~」とかいうありがちな歌詞を想定してみると、三省堂版のほうが正しいように思える。

いのち
(小)いきるもとになるちから。
(三)いきるちから。いきているあいだ。

いきる
(小)いのちがあってまいにちをすごしている。
(三)いのちがあること。

ころす
(小)しぬようにする。
(三)いのちをとること。

かみさま
(小)ひとをまもったり ねがいをかなえたりする、おおきなちからをもつと おもわれているもの。
(三)ふしぎなちからをもつとしんじられているもの。

しごと
(小)くらしていくおかねをもらうためにすること。
(三)くらしていくためにすること。

 難しそうなところを比較してみた。特にどっちがダメということもないけれど、個人的には三省堂版のほうがシンプルでいいような気がする。

 小学館版は新しいだけあって、絵が現代風でかわいいというのが利点。特に「は行」のイラストは100%ORANGEの作風に似ており、すなわち30%ほどORANGE。「か行」は30%おおたうにだ。また「こわいろ」「こもれび」「やぶ」「ゆうかん」「ばかす」「うらめしい」「ゆすぐ」「ひねくれる」「こっけい」など、子供が絵本を読んでいるときにつまずきやすい、やや難しい単語選びを重視しているようだ。三省堂版はこれらの代わりに、「コンピューター」「シャンプー」などの身近な普通名詞が多いという印象。なお、小学館版は見出し語の隣に例文、絵、定義という並びなので、見出し語のすぐ隣に定義が記されている三省堂版のほうが見た目にわかりやすい。しかし小学館版のほうが400円ほど価格が安く、収録語数は小学館版のほうが約3100語と100語ほど多いので、それだけ考えると小学館版のほうがお買い得といえる。どちらも季節や果物など、いくつかの言葉をグループとしてまとめたページがあるが、三省堂のほうがグループ数が倍近く多い。

 と、さんざん比較してみたが、結局三省堂版でいいような気がしてきた。理由は、紙が厚めで3歳児が扱っても破れにくそうだから。ああ、つまらない理由。 

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