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文化系ママさんダイアリー

2010.12.01 公開 ツイート

第六十四回

「文化系の遺伝子戦略」の巻 堀越英美

 最近自転車に興味を持ちだした娘のため、交通公園にやってきた。乳幼児用の小さなコースをひたすらぐるぐる回っている娘を見るのに飽きて、よその子連れを観察する。車のおもちゃに乗った赤ちゃんを押しながら満面の笑みで走り回ってるお父さん。孫に見とれるあまりコースに出て渋滞を引き起こしているおじいさん。私はあれほど無心に子供を愛しているだろうか、と反省してみたり。男親が女親ほど子供を愛せないなんて通説は嘘なんじゃないかしら。それとも子供を無心に愛せる彼らは、男性には珍しいとびっきりのド変態なのかしら。

 種をばらまくことだけが男の本能とするならば、子を愛し妻を愛し、さらに添い遂げるなんて、相当のド変態ということになるのだろう。トーク番組『アメトーーク』の10月28日放送回「嫁を大事にしてる芸人」は、まさにそんなド変態呼ばわりも辞さない芸人さんたちが集まっていた。愛妻家・子煩悩キャラで知られる土田晃之は有吉弘行に「嫁ヤリチン」というあだ名をつけられたとか。彼らが愛する嫁の似顔絵を披露するくだりを見ていて、ふと気づいたことがあった。皆、絵はあまり達者ではないものの、妙に写実的なのだ。鼻の穴を書く人、上の歯はもちろん下の歯まで一本一本描く人、鼻の下の溝をくっきり描く人。一般的に「美人」という記号的な存在が描かれるにあたって省かれがちなディティールが、そのまま実直に描かれてるという印象。

 これで思い出したのが、『喪失と獲得―進化心理学から見た心と体』(ニコラス・ハンフリー)が指摘した、自閉症の少女・ナディアが描いた絵画と3万年前の洞窟画の類似性。6歳になっても言葉を発することができなかったナディアは、3歳5ヵ月のときに驚くほど写実的なウマのスケッチを記したという(>コチラの左端の絵)。彼女とあまり月齢の変わらないウチの子の描くニコニコマークみたいな絵とは似ても似つかない。そして3万年前の人類がウマを記したと思われるショーヴェ洞窟画も、文明が存在していなかったとは思えないほど写実的なのだ。

 著者はこの類似性を、両者の言語能力の欠如に関連づける。人類はかつて写真的な記憶力を持っていて、それが何かの拍子に失われてしまったがために周囲の事物を抽象化して覚える能力を獲得せざるを得なくなり、言語を操れるようになったのではないか、という見解だ。そういえば我が子が2歳くらいの頃、「寿限無」を完コピできるようになって「もしやウチの子天才…?」と驚いたことがあるが、今はワンフレーズたりとも言いそうにない。言語能力が向上した代わりに、長たらしい意味不明な音声を丸暗記する記憶力を失ったのだろう。京都大学の博物館で見た、ランダムに配置された1から9までの数字を瞬間的に全て記憶し、数字が消えたあとでも順番にタッチできる子供のチンパンジーも、同じような写真的記憶力を持っていると聞いた。ちなみにチンパンジーも、大人になる過程でこの記憶力が衰えていくそうだ。

 この話を持ち出して何が言いたいのかというと、過度の抽象概念能力を持たない原始のマンに近い人のほうが、妻子を長きにわたって愛せるのでは……?ということなのあった。土田晃之は元ヤンキーで、ローマ字もわからないらしいし。その他の嫁大事芸人さんたちも、有吉弘行に「説明ジジイ」と命名された関根勤をのぞいては、反射神経や身体能力を駆使して笑いをとるタイプの芸人さんが多いように見受けられる。でもこの見立ては、巷間よく言われる「浮気やレイプは自分の遺伝子をばらまくための男の本能的行動である」とは真逆だ。

 人間と同じように一夫一婦制で知られるペンギンはどうなのだろうか。交代でヒナを寒さから守りながら、命がけで子供を育てるペンギン夫婦たちの絆が描かれたドキュメンタリー映画『皇帝ペンギン』が世界中の人々の感動を誘ったのは記憶に新しい。産卵を終えた奥さんはまず夫に卵を託し、120キロ離れた海まで魚を獲りに出かける。往復にかかる時間はなんと4ヵ月。夫はその間、卵からひとときも離れず絶食したまま待ち続ける。奥さんが働きに出ているからって、「ねえ君、僕とペンペンしないかい?」などとナンパしている余裕はなさそう。なにせ繁殖スポットはブリザードが吹き荒れる極寒の地。足もとから卵やヒナが転げ出ただけで死にかねないのである。「マイホームパパやイクメンなんてまっぴらだ!俺はワイルドな無頼派として生きる!」と妻に卵を託し、巨大マグロの一本釣りを夢見てヨソの若い女と逃げる……なんてした日には、妻も子は飢えて死ぬしかない。浮気性や無頼派の遺伝子は途絶えてしまうわけで、皇帝ペンギンが純愛体質なのは、当然と言えば当然なのだった。

 翻ってヒトについて考えると、ヒトの子供はペンギンのヒナ以上に手がかかる。頭部の巨大化と直立姿勢による骨盤の発達で、ヒトの出産はそれ自体命がけの行為。産前産後の女性は1ヵ月ほど使い物にならず、その間誰かがせっせとエサを運んでやったり、昼夜問わず泣きわめく赤子の世話を交代してやらねばならない。犬猫と違ってヒトの子が立って歩くまでには1~2年かかるし、独り立ちして自力でエサを取れるようになるまで成長するには、さらに7~8年かかるのではないだろうか。女の立場で考えてみると、やり逃げされて妊娠した場合、産んだ子を捨てて育児に適した新たなパートナーを探す、というのが適応的な行動のように思えるのである。実際原始的な社会では、嬰児殺しや子捨てはさほど珍しいことではない。さまざまな社会保障が用意されている現代日本ですら、シングルマザーとして生きるのはキツイのに、まして原始時代をや。そう考えると、男性が遺伝子を残すには、少なくとも10年近くは子煩悩なパパとして一穴主義を貫くという戦略を取るのが最適なんじゃないか。というか、犬猫のようにメスのみで育児ができるシンプルな生きものなら、一夫一婦制なんて必要なかったはず。共同体が世話に協力したことでやり逃げマンの遺伝子が一定数生き延びた可能性は充分に考えられるが、すべての男性に流れているとは想像しづらい。

 会社員時代のことを思うと、週末フットサルにいそしむような会社の同僚たちは、30そこそこで落ち着いて子煩悩なパパとなっていたように思う。一方で批評や評論を生業とする文化系人間のうち少なくない人々が、いくつになっても若い女体に貪欲であることをライター仕事をする中で知った。私には彼らの行動は本能というより、抽象概念能力をこじらせた結果のように見えた。つまり「女」という概念をあまりに抽象的にとらえてしまっているために、個別の女が持つ細部を受け止めきれず、手に入れた女に幻滅しては次の女に手を出す、というループにはまってしまったのではないか。そしてそのように抽象概念能力を発達させすぎてしまった人々だからこそ、自らの性行動を「男の浮気は本能」と一般化して語ってしまうのではないだろうか。また目の前の恋人と上手くやっていく問題を、「<女>は何を欲望するか」という抽象的な命題に還元してしまう人も、あまり結婚生活には向いていなさそうだ。これはおそらく、育児にも言えることなのではないかと思う。

 では世界を言葉で分節しがちな私のような文化系人間は、将来的には絶滅する運命にあるのだろうか。そんな絶滅危惧動物・文化系にとって、『アメトーーク』で関根勤が話していた嫁愛しテクは希望に満ちている。35歳の妻の写真を見て、もっとこの頃の妻の美しさを満喫すればよかったと後悔した現在57歳の彼は、自分だけ20年後にタイムトリップして77歳になったつもりで今の妻(55歳)の若さを満喫しているという。さすが「説明ジジイ」と命名されるだけのことはあるややこしさだけど、自分も似たような妄想で育児を乗り切っていたことを思い出した。イヤイヤ期の子供に嫌気がさしたときは、子供が17歳くらいになって本格的に反抗している姿を想像。「ママみたいなガッカリ人生歩みたくない!」……そうなったら絶対、「ああ、小さい頃の娘はかわいかった」と思うはずである。その視点で娘につきあえば、幼児の反抗なんてかわいいものだ。「子供に付き添って公園に行くのめんどくさーい」というときは、心の中でサンバルカンになりきってみる。地球を危機から救った我々のおかげで今日も人々が平和に公園で遊んでいる……。そんな風に地球に対して上から目線で接すると、フツーの公園がキラキラ輝いて見えるから不思議。そのほかにも「いきなり地面が落盤して死を覚悟したが70日後に救出された」バージョン、「余命を宣告された」バージョンなど、さまざまな妄想を準備して家族愛を死守していく所存だ。文化系の遺伝子よ、永遠なれ。

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フニャ~。 泣き声の主は5ヶ月ほど前におのれの股からひりだしたばかりの、普通に母乳で育てられている赤ちゃん。もちろんまだしゃべれない。どうしてこんなことに!!??

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堀越英美

1973年生まれ。早稲田大学文学部卒業。IT系企業勤務を経てライター。「ユリイカ文化系女子カタログ」などに執筆。共著に「ウェブログ入門」「リビドー・ガールズ」。

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