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2008.04.15

雨宮塔子の食事日記6

雨宮 塔子

雨宮塔子の食事日記6

3月7日

(まさかこの二人が!?)
 人気ビストロ、「ラミ・ジャン」の扉を引いて、初めに目に飛び込んできた日本人の二人連れの男性を盗み見る。ひとりは頭頂部がいささか寂しい四十代後半の男性。グレーのスーツに黒縁の眼鏡をかけている。もう片方は、黒の革ジャンというスタイルの三十代ぐらいの男性。なぜか二人は向き合っておらず、鏡を背にした壁側の席に仲良く並んで座っている。
 なにしろ今日はちょっと不思議な会食。娘のバレエ教室で顔を合わせる日本人の駐在員の奥様、よしこさん、ゆうこさんとは、子供たちのレッスンの間、カフェでお茶はするものの、食事はしたことがないのに、その初めての食事会に、お二方はカップルでの参加なのだから。
 私だけ単発1? と戸惑ったものの、最近はひとり行動にも慣れてしまった。彼は日本に滞在中だから、同席できるはずもないのだけれど、パリにいられたとしても、金曜日の夜の会食なんか、行けるわけがない。菓子屋の金曜日は、花金(死語?)とはさかさま、超多忙なのだ。
(この二人がよしこさんとゆうこさんの旦那さん? お二人は連れ立ってトイレに手でも洗いに行ってるのかしら……)
「黒縁の眼鏡氏」と、かつての「峠の走り屋くん」に長すぎる視線を送るも、ノーリアクション。っていうか、こちらの目線にむしろ引いている。内心ホッと胸をなで下ろしながら、店内の奥へと進む。店の中央近くに、二組のカップルが向き合っているのが見える。約束の時間に10分20分遅れるのが当たり前なパリジャンに対し、時間通りに着いても、すでにこうして席を温めてくれているのが日本人の、特に駐在の方の気配りだと思う。
 初対面の旦那様方は、先ほど視線を絡ませた二人連れより、ずっと親しみやすい風貌をしていた。よしこさん夫婦、ゆうこさん夫婦が並んで座っていたのを、よしこさんがひとつ座席をずれて、旦那様とよしこさんの間の席を空けてくださる。だけどそれも照れ臭くて半ば強引にゆうこさんの隣の席に陣取った。
 さっそくカルト(メニュー)を開く。なにせ「ラミ・ジャン」は、一度は行ってみたいと思い続けながら、8年も果たさなかった店なので、メニューを追う目にもつい力がこもる。
 前菜にメイン、デザートの3品で32ユーロというコースでいこうと、皆の意見が一致するも、それぞれ10品目ほどの選択肢があって、大いに悩む。しかも、この店はジビエ(猪、鹿、野ウサギなど野生の動物の総称)をスペシャリテとするだけあって、どれも個性の強いメニューだ。
「私はウサギにしようかな」
 うさぎをマルシェで買って、自分で捌いたこともあるというよしこさんが頷けば、
「この間、子豚のフリカッセ(ホワイトソースで煮込んだ料理)は『ムーリス』で美味しいのを食べちゃったから、僕は子鳩にしよう」とすかさず旦那様が応戦。
 その旦那様がワインのお仕事に携わっていることもあって、よしこさんは家庭でも和食よりフレンチをよく作ると言っていたけれど、癖のあるフレンチにもかなり強いと見た。
 対するゆうこさんカップルは、さっぱり系の好みだろうか? 先日マルシェで鯖を買って、しめ鯖にしたというゆうこさんは、前菜に載っていた鯖を使った一品に興味を示している。
 さんざん悩んだ末、私は思い切ってフランケンシュタインのように前頭葉が大きいサービスのお兄さんに、お勧めを聞いてみた。
 「前菜は“Langue d’oiseau”(鳥の舌のような形をした小指の爪ぐらいのパスタ)を使ったイカのリゾットだね」
 サービス係が勧めるものは、その夜に処分しておきたい食材を使ったメニューだよと、彼はよく毒づくけれど、イカを使ったリゾットは好物でもあったので、素直にフランケンのお勧めにのることにした。
 メインには豚の頬肉のココット仕立て。ジビエをスペシャリテとするだけに2対8の割合で肉料理が多かったので、ここは肉料理にしておいた方が正解だろうと、中でも気分だったものを選ぶ。デザートにはバラ風味のメルバを。半年前、テレビ番組のロケで「リッツ-パリ」のレストランを取材した時に味わった“ピーチメルバ”の華やかな味が忘れられなかった。あれ以来、メルバと聞くと反応してしまう。
 この店はオープンキッチンとはいかないまでも、厨房の仕切り壁が大きく切り取られていて、厨房内の様子がよく窺えた。その仕切り口から料理ができている旨を不機嫌そうに伝える前髪長めのお兄さんや、スキンヘッドの目つきの鋭い見習いっぽい人まで、ここの店は料理もだけれど、スタッフまで個性派ぞろいのようだ。
前菜

 前菜のリゾットの、まずはその繊細な盛りつけに感動する。イカの剣先の部分は添えられたカリカリベーコンやドライトマトと共に食べる。胴体の太い部分は、型抜きで抜いたのだろうか、中に椎茸やらラタトゥイユのようなものが詰められていて、食感のコントラストが効いている。そしてリゾット。イカのワタや肝のエキスが染み込んでいて美味。グレーっぽい泡は、イカスミをスチーム仕立てにしているのだろう。
 イカの様々な部位の、それぞれの美味しさが引き出された魅力的な一皿だった。
ココット仕立ての豚の頬肉

 ココット仕立ての豚の頬肉は、ビーツや人参といった野菜と一緒に煮込まれているのが嬉しかった。一見ボリュームがありそうだけれど、ヘルシーな一品。パリマラソンに出場するため、走り込みが続き、「おなかが空いて空いてしようがないんですよ」というゆうこさんの旦那様にココット鍋の中にまだあった野菜をお裾分けしながら(野菜だけかよ!?)、ワインがすすむ。
 ワインは白・赤ともよしこさんの旦那様セレクトとあって、各料理とも相性バツグン。とくにご夫妻がボルドー赴任時代によくご家庭で飲まれていたというジュランソンと、スペイン国境近くのイル・レギーの白がよかったな。
 それぞれ取ったメインをこっそり分け合いながら、今は亡き開高健さんの話になった。旦那様方はお二人とも開高さんのファンで、中でもよしこさんの旦那様は、毛筆の得意な奥様に代筆を頼んで手紙を送り、返事をいただいたこともあるという。
 それにしても、開高さんの話をする時の男は、決まって少年のような表情になると思う。これと同じ表情を見たのは、5年ほど前、ユリウス・カエサルをテーマにした番組でローマへ長期ロケに行った時のことだ。その番組の作家さんも連日、ロケに同行したのだけれど、朝のロケバスの中、開高さんが幻の巨魚イトウを釣り上げるのを待って、丸一日、数週間も河岸に詰めたという話を披露してくれた。こうしてロケバスに揺られていると思い出すのだと、六十代の作家さんが、少年のように瞳をキラキラさせて語っていた。
 同じ本が結び付ける縁はあると思う。たしかよしこさん、ゆうこさんとも、レッスンを待つ間のカフェで、辻静雄さんの伝記本のことで盛り上がったことがある。「私たち、同じ本を読んでいたのね」と。海老沢泰久さんの筆になる『美味礼讃』だ。こうして同じ食卓を囲んでいるのも、あの本のことが理由のひとつになっているのかもしれない。
メルバ

 最後に運ばれてきたメルバは、バラの風味がなんとも大人な味わいで、皆に一口ずつ味見してほしくて、あっという間になくなった。
「リッツ-パリ」のものとは、まったく別物だったけれど、これもまた絶品で、私のメルバ熱はしばらく続きそうだ。
 食後のカフェの時、隣の席に新たな客があった。男女総勢10名ほどのパリジャンのグループだ。
「うわっ、あの女の人の服の柄、サイケだなぁ。それにしても、フランス人はああやって男女、ギザギザに座るんだね」
 男女が、隣にも、向かいにも異性がくるように巧妙に配置を取るのを見て、よしこさんの旦那様が感心して頷く。こんな話を、どこかで聞いたことがある。ああ、あれは、それこそ辻静雄さんの伝記本の中ではなかったかしらん。

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