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2008.12.15

雨宮塔子の食事日記21

雨宮 塔子

雨宮塔子の食事日記21

11月14日

 アルゼンチンのお肉はうまい。いや、本当にうまい。
 あれは息子を妊娠中の時だったから4年ほど前のことになるけれど、テレビ番組のロケで赴いたかの地でいただいて以来、私の中ではアルゼンチン、イコールお肉という図式ができあがってしまった。
 アルゼンチンではアンデス山脈からの突風が吹きつける平野に集落を構える“ガウチョ”を早朝から訪れ、身重もかまわず馬にまたがって平野を散策したり、屈強な身体のおじさま方と“マテ茶”を何回も回し飲みしたりと、相も変わらず体育会系のロケだったっけ。日没も間近の頃、その男衆が私たちスタッフのために、子羊を目の前で丸焼きにしてくれた。時々串を回しながら羊がいい焼き色になると、慣れた手付きで捌き、アツアツを差し出してくれる。あの湯気の立つ肉の美味しさといったら!!
 その日の夜遅くには地元の洗練されたレストランへ皆で出かけ、飽きもせずに名物の“アサード”(一種のバーベキュー)を食べたが、これまたつるりと胃に収まってしまうのだった。牛肉の他にチョリソーといったバリエーションがあったからかもしれない。
 だから、パリに知る人ぞ知るアルゼンチン料理店があると聞いた時、まず浮かんだのが二つの光景だった。夕陽に染まる山々に囲まれて素朴で力強い肉を頬ばったのと、そして人々の喧噪の中、網の上で焼き上げられたばかりの肉の載った大きな盆を頭上に掲げてサービスの人が飛び回る姿と。
「ここにずっと塔子ちゃんを連れてきたかったんだから」
 ものすごい鼻声のノリノリ(お向かいに住む関西人マダム)が、店内の座席に腰を下ろすや否や、しんみりと呟く。そう、私たち女四人は噂のアルゼンチンレストラン、“ANAHI”のテーブルに陣取っていた。半年も前に食通の知人の紹介でこの店の存在を知ったノリノリと、ロケでの濃密な思い出を抱える私とで、アルゼンチン料理について盛り上がったのだけれど、なかなか予約までたどり着けなかったのだ。今夜はせっかく親しくなった料理研究家の渡辺有子さんが間もなく日本に帰ってしまうということもあって、皆のスケジュールを半ば無理矢理合わせ、席を取った。ノリノリは重い風邪を押しての参加。せっかく取れた予約をキャンセルにはできないと、ドリプラヌ(フランスで解熱と鎮痛といえばコレ、という薬)を服用してさえいるらしい。
「ノリノリ、食べられるの?」
「頑張るよー」
 楽しみごとの外食に頑張ってどうするという気もするが、これがノリノリという人だ。大人の女の友情には、時には無理も必要なんだよね。胸の中で秘かに十字を切る。
 メニュー選びは「一回食べてみて間違いはなかった」という彼女のおすすめに従うことにする。

 飲み物はやっぱり本場のものがいい。ワインもアルゼンチン産のものを。丸々としたフォルムも可愛らしいワインボトルがすぐに届く。なんてったって私たちが今夜のお客、第一号なのだ。食通の間で大人気のこのお店は19時と21時30分で二回転させるという。今夜の19時なら一席あるということで予約を取ったのだけれど、21時30分には出ていかないといけないから、なんとなく気ぜわしい。まぁ2時間30分もあるんだけどね。それにしても、19時から開店しているレストランなんて、パリではレアだ。でもそれにも納得した。私たちに続いて入ってくる他の客の“外国人度”が非常に高いのだ。そういう我々も外国人だけど。とくにアメリカ人が多い。アメリカも夕食は早いもんね。
 私たちのテーブルにまっ先に料理が運ばれてきた。周囲の視線が一斉に私たちの注文した料理の上に注がれる。うぅ、ここまで食い意地の張った人々で埋めつくされたレストランはないって。

“carviche”という、レモン汁とコリアンダーと唐辛子でマリネしたスズキと、アルゼンチン産のトウモロコシのグラタンで“pastel de chocho”という料理名のもの。それから“cuacamole”はちょっぴりピリ辛いアボカドディップのことだ。前菜に頼んだ三品がすべて運ばれてきたことになる。


 まずはアボカドディップを……。お──、濃厚です。トマトの酸味もうっすらと感じる。この辛味はタバスコだろうか? アルゼンチン産のワインとよく合う。さらに驚いたのが、付け合わせのパンのようなもの。ナンでもなく、クッキーでもなく、しいていえば、おせんべいに近い硬めの食感なのだけれど、塩気が少し効いていて香ばしく、美味。


「うん、これは作れるかもしれない」
 考え込むようにじっくり味わっていた隣の有子さんが呟く。なんて頼もしいのだ、有子さんは。なんてセリフのひとつひとつに真実味があるのだろう。同じセリフを私が呟いたとしたら、すぐにでも、
「んなわけねぇだろう」という突っ込みが返ってきそうだ。
 スズキのマリネはその鮮度が素晴しい。スズキの身に歯を当てると、ぐっと押し戻される感覚があるぐらいプリプリしているのに、硬くはまったくないのはどうしてだろう? 一度軽く蒸してから、酢漬けにしているのかな? とにかく、魚はほとんど食べられないというまりちゃん(パリの友人)ですら、これには箸が伸びてしまうという一品だった。
 トウモロコシのグラタンはなんとなく甘ったるいような気がして、じつを言うと私的にはあまり食指が動かないものだったのだけれど、これがいい意味で裏切られた。太陽の恵みからなる天然の甘さはちっとも嫌味がなく、とくにスズキのマリネと交互に食べると、その酸味が中和されるのだった。
 斜め前に座るノリノリも、風邪を引いているとは思えない気持ちの良い食べっぷり。うれしい、うれしい。神様、彼女の身体をもたせてくださってありがとう。
 メインは“cururu de camarao”と“Bife de lomo”。スペイン語がまったくわからないので、メニューの下に書かれたフランス語での説明をじっくり読まねばならない。前者は“gambas”と呼ばれる海老のリゾットで、後者は本日の主役、ビーフステーキ。お肉はリブロースとヒレ肉と二種類あって迷ったけれど、満場一致でヒレ肉に軍配が。やっぱりあっさり目よね、といいつつも、女4人でリゾットとステーキを二皿ずつ取っているのだからあなどれない。しかもひとりは病み上がりどころか、病み中ときている。

 こんな大ぶりな“gambas”はパリでも初めて目にした。ちょっと大味なことも予感してかぶりつくも、これがとびっ切り美味しい。
「なにこれっ!?」
 皆かなり興奮気味にむしゃぶりつく。リゾットにエキスは吸い取られていそうなのに、この海老は海老で究極の一品になり得そうだった。リゾットの方はどちらかといえば炊き込みごはんに近く、海老のエキスでごはんを硬めに炊き上げ、ナッツ類などで少しエスニックに仕上げてあった。これまた美味しいっ。

 さ──、お肉もいくよ──。隣の有子さんとで厚い塊肉をシェアする。店内がかなり暗く、写真ではわかりづらいのが恐縮だけれど、中はきれいなロゼ色。その肉汁が滴って、肉の表面がしっとりと輝いているのはご覧になれますでしょうか!?
「ガ──ン」
 美味しさの表現としては変かもしれないけれど、一口噛みしめた時、その旨味はこめかみの方に広がっていくのだった。あぁ、アルゼンチンが呼んでいる。あのどこまでも地平線上に続いていく山々の光景が頭の中に甦る。
 アールゼンチーン。
 シンデレラのように幸福な時間は、21時30分をもって幕が降りるのだった。すでに二回転目の客が、メインを食べ終わった私たちのテーブルを凝視している。かなり満腹だったし、気持ちの上でも大満足していたので、デザートに後ろ髪を引かれることなく退散した。
 このまま家に帰ってベッドに入ったらノリノリの風邪も悪化しなかったろうに……。21時30分という食後にしては早すぎる時間に気を良くした私たちは、そのまま夜道を歩き続け、もう一軒立ち寄るべく、マレの街に消えていったのだった。

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