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2012.04.01

その74

お絵描きを始める

望月 昭/細川 貂々

お絵描きを始める

 ずっと絵を描くことに興味のなかった、四歳になる息子だが、ついに紙に向かって何かを描き始めた。色鉛筆をへんな握り方で持っている。最初は直線とか、ひたすら同じ場所を強く塗りつぶすだけだったが、そのうちに線で四角を描くようになった。
「なんなんだ、それ?」
「サンダーバードだよ」
 やっぱり電車か。息子が初めて描くようになった絵も、鉄オタらしく電車の絵だったのだ。
 最初はなげやりに四角を描くだけの電車の絵も、少しずつ細かく描き込まれるようになり、ヘッドライトや車窓の描き分けもするようになった。
「このまどは、はんきゅうでんしゃ、きゅーせんけいだよ。つながっているんやで」
「けいはんとっきゅう、にかいだてー」
「けいようせんは、いーにーさんいちけい。にーにーいちけいも、あるの」
 いろいろ言っているが、色がぜんぜん正しくない。適当に取った色鉛筆で、ぐりぐり描いてしまう。形にはこだわりがあるようだが、色に対する意識はまだないようだ。
 それでも、輪郭を描いたあと、別の色鉛筆を取って塗りつぶすときもある。限られた色使いだが、それなりに美しい絵になるときもある。
「なりたえくすぷれす。こわーいんだよう」
 正面から描く電車の絵は、どうやら「顔」として認識しているらしい。二つのライトが目で、その他の形状が鼻とか口にあたるのかな。とまあ、そんな「顔」は描くわけだが、人間とか動物を描くことはない。
 同じくらいの年齢の女の子たちは、どんどん人間や動物を描くのに、息子はひたすら電車しか描かない。風景もお日さまも描かない。
 それでも、以前はまったく興味を示さなかった「お絵描き」に精を出すようになったことは大きな変化だ。ラクガキ。「ラクガキ作曲」ではなく、正真正銘のラクガキ。朝から「おえかきがしたい」と主張して、紙に向かって何かを描き始める。そしてどんどん紙をめくって、消費していってしまう。
 最初のうちは、よく描けたものを「これは傑作だ。取っておいてやろう」などと言っていた親バカな僕と相棒なのだが、あまりに大量に生産されるので、もう食傷気味だ。
 そのうち、紙を与えないでおくと、床のじゅうたんに指を強くこすりつけて、何か四角い跡を刻みつけるようになってしまった。息子よ、お絵描き中毒になったのか?
「ぶぅーーーーん。ぴんぽーん、ぴんぽーん」
 口から出てくる声は、以前からの電車の模型を持って床に這わせているときとまったく同じなんだが。動作は違っても、脳の同じところを使っているように思えなくもない。

 ところで、毎日きちんと歩いて通えるようになったところで、幼稚園は春休みになってしまった。無事に年少クラスを修了したのだ。四月になると年中クラスになるらしい。たぶん、半分くらいは息子より体格の大きな年少クラスのコが入園してくるんだろう。四月の間は「いきたくない」とか「おもらしした」とか大騒動があるんだろうな。息子はきっと、年少クラスのコたちを見て「ぼくもおにいさんになったんや」と思うかもしれない。本当は三カ月しか年少クラスをやっていないので、年中クラスに進級してもいいのかどうか、父親としてはちょっと心配だったりもする。

 それはそれとして、春休みだ。年末年始以来の休みなのだが、息子が一日中家にいるようになったといっても、幼稚園生を体験する前と後とで何かが違う。親である僕たちも、息子が不在な時間のある生活に慣れてしまっていて、なかなかタイヘンだ。息子も、幼稚園で走り回ってしっかり体力をつけてしまった。朝起きてゴハンを食べたあと「きょうはなにをするの?」と質問してくる。今日はなあ、さすがに掃除して家事して仕事もしないとあかんのやがなあ。君はテレビでも視ててくれると助かるんやけど……。
 どうも、一日中連れ出さないわけにもいかない。買い物のときは連れて外出するし、それ以外にもお楽しみプログラムを考えて遊びに出してやらないといかんらしい。
 幸いなことに、例年に比べて僕の花粉症の程度が悪化しないので、息子を連れて近所の公園に出たりする。午後には家の近所の温泉に連れていったりする。もちろんときどき電車にも乗せる。
 そして、平穏な関西での生活の合間に、やはり昨年の今頃のことを考える。
 あれから、もう、一年経ったんだなと。

 一年前には、あの大きな震災があって、部屋がガチャガチャになって、水道が止められて、近所の公園に毎日水汲みに行っていた。寒い日も、風の日も、雨の日も行った。そして、その雨の日には、当時は気づきもしなかったが、放射性物質が降り注いでいた。
 やっと水が出るようになったとき、水道水には放射性ヨウ素が含まれていた。もちろんヨウ素だけではなく、その他の核種も含まれていた。今なら、それらの量の単位や、人体に与える影響などがよくわかるのだが、そのときは何がなんだかわからなかった。
 それでも、川を越えた向こうの東京都では、行政が動いてペットボトルの水を配ったりしているので、何か途方もないことが起きているのはわかった。その後の行政の一貫した無策を徹する態度から類推しても、やはりあのときは相当にまずい状況だったんだろう。
 川のこっち側では、目に見えない放射性ヨウ素のことよりも、喫緊の困難としては、毎日予告が行われる「計画停電」のほうが重要だった。実際に電気を止められたのは三、四回程度だったのだが、路上の信号機も含めて全ての電気の供給を止められてしまうというのは、非常事態ということをいやおうもなく認識させられた。
 そして、ひっきりなしに襲ってくる余震。
 地震の被害によって、通っていた保育園は唐突に終了になってしまった。四月になれば新しい保育園に通う予定になっていたが、実際にはその保育園との相性も良くなかったのだ。
 暮らしていた部屋での大規模修繕とリフォーム工事も無期限で中断してしまった。もう八方手詰まりな雰囲気の中で、関西に新生活を求めることになったのだ。
 そして、関西での暮らし。コツコツと部屋を探し、近所に出かけ、知人を増やし、引越し荷物も運び込んできて、託児を探し、幼稚園もみつけて、ついに根を下ろすことになった。どうにか、平穏な「いつもの暮らし」を取り戻して、また春がやって来たのだ。

 息子は育ち、この一年で体重はやっぱり1キロしか増えなかったが、オムツが取れ、ベビーカーを卒業し、鉄道オタクに磨きをかけ、歌を歌い絵を描き、幼稚園に馴染んでオトモダチも増えたのだ。今は、半分関西弁を話している。偏食もひどいけど、少しずつ食べられるものも増え、メンチカツとかエビフライなどの揚げ物、唐揚げなどの肉料理、それからスキヤキの中に入っている白菜なども食べられるようになった。春菊はダメだけど。

 今日も息子は絵を描いている。百円均一ショップで買ってきた「らくがきちょう」なる再生紙のパッドをあっという間に書き尽くす。そういえば僕がコドモの頃は、サラリーマンだった父親が勤め先からもらい下げてくる「かいしゃのかみ」にラクガキをしていたな、と思う。「かいしゃのかみ」は、航空会社に勤める父の職場で不要になった書類だったから、天気や風向きと必要な燃料などが書き込まれた地図だったなあと思い出す。その裏面の白紙に、僕はエッフェル塔や太陽の塔やら富士山など風景の絵を描き殴っていたのだ。
 そういえば、僕もなかなか人間を描くことはなかったようだ。 

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