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2004.03.15

vol.89

第2回 紫式部 その2

酒井 順子

第2回 紫式部 その2

 前回も記しましたが、紫式部は一条天皇の中宮・彰子に仕えていた、女房でした。身分の高い女性は、様々な才色を持つ女性達を女房として揃えることによってサロン様の集団を形成しており、サロン全体の評判が、その中心にいた貴人女性の評判をも高めることとなったのです。
 これを今にたとえて言うならば、スチュワーデス(今はキャビンアテンダント、と言うらしいですが、ここではスチュワーデスでいかせていただきます)の世界のようなものなのかもしれない、と私は思うのです。JALなりANAなりといった航空会社は、その会社の評判を高めるために、容姿や知性の優れた女性をスチュワーデスとして採用する。スチュワーデス達は、飛行機の中においても外においても、美を磨き、機転の利いた対応をすることによって、自分自身と会社の評判を高めようとする。
 スチュワーデスの世界が平安時代のサロンと異なるのは、中心となっているのが貴人女性ではなく会社である、という部分です。しかし女房達もスチュワーデス達も確実に持っているものは、中心に存在する女主人なり会社なりに対する忠誠心であり、また他のサロンなり会社に対する対抗心であることは、間違いない。
 平安時代における紫式部達の忠誠心と対抗心の持ち具合がよく理解できる部分が、「紫式部日記」の中にも存在します。
 それは、彰子サロンの一員であった紫式部が、斎院サロンの一員である中将の君という女房が誰かに書いた手紙をコッソリ読んだことに、端を発します。
 斎院というのは、賀茂神社に仕える未婚の内親王のことであり、賀茂神社とは、現在で言うところの上賀茂神社と下鴨神社の総称。賀茂神社は山城の国を護る神を祀る、京都でも最も歴史の古い神社の一つなのです。賀茂神社のお祭り、すなわち葵祭りは今でも続いているのであって、その行列を見物すれば、斎院の格好をした人が牛車に乗っているのを見ることができるでしょう。
 当時、斎院は、村上天皇の第十皇女・選子が勤めていました。彼女は、五代の天皇の在位期間中ずっと斎院を勤め、大斎院と呼ばれた人。そのサロンも、華やかなものであったようです。
 いわばライバル関係にあった、彰子サロンと斎院サロン。紫式部も当然、斎院サロンの女房に対してはメラメラと対抗心を燃やしていたはずです。斎院サロンのメンバー・中将の君が誰かにやった手紙をこっそり読むというスパイまがいの行為をしたのも、その対抗心があったからこそ、でしょう。
 現代を生きる私達からするとここで、
「他人の私信を勝手に読んだりしていいのか。それだけでなく、盗み読み行為を堂々と自分の日記に記して発表してしまっていいのか」
 と驚くわけです。が、この時代、プライバシー保護の観念はほとんど発達していませんでした。鍵だの厚い壁だのといった、プライバシー保護に必要な設備もほとんど整っていなかったため、盗み読み、覗き見、盗み聞きといった行為は驚くほど盛んに、そして堂々と行なわれていたのです。
 中将の君が書いた手紙を盗み読みした紫式部は、激しく怒っています。
「中将の君の手紙はすごく気取っていて、この世の中で自分だけが物事の情緒を理解して思慮深さも類無い、という様子。自分以外の人は全て感受性も分別も無いと思ってるようなその手紙を読んでいるとむやみに不愉快で、自分には関係ないことながら腹立たしいとか、いやしい人の言うように、憎らしく思えたのでした」
 さらには、
「中将の君の手紙には、『手紙の書きようでも、歌など優れたものであっても、我が斎院の他に、誰がお見分けになれることでしょう。今の世に優れた人が登場するなら、我が斎院だけがその人を理解なさるでしょう』なんて、書いてあった!」
 と、怒る。
 紫式部は、ここで中将の君と、その向こうに存在する斎院サロンに対して怒り心頭といった気分になるわけですが、周到な性格の彼女のこと、むやみに「なにさ偉そうに、フン!」みたいな態度は見せない。最初は、
「確かに斎院は風情があって、優雅な生活なさっている所ではあるようですね……」
 と相手を持ち上げておいてから、
「でもお仕えしてる女房を比較するなら、私のいる彰子側より斎院側の方が優っているってことはないんじゃないのかしらん?」
 と、おもむろにキバをむく。この辺、貴族の女社会で磨かれたケンカのテク、のようなものを感じさせる部分です。
 どうやら当時は、斎院サロンは優雅でおしゃれな雰囲気があったのに対して、彰子サロンは地味でおとなし目、という評判があったらしいのです。紫式部は、このことについても激しく言い訳をします。まずは、
「斎院様は俗界から離れた場所で雑事にとり紛れるということもないだろうけれど、ウチの彰子様は何せ中宮様なのだからして、清涼殿(天皇の居場所)に参上することもあれば天皇がお泊まりになることもあるし、色々と大変なのよっ」
 と、「私達はあなた達と違って、雅とか趣とかだけ考えていればいいわけじゃないんだからねッ」というアピール。さらには、
「もし私が斎院様にお仕えしたなら、男性の応対に出て歌を詠みかわしたとしても、周囲の人から軽薄だって言われることもなく、自然と色めいた交際にも慣れるでしょうけどねぇ。でもほら、うちの彰子様は色めいたことを軽薄に思われる性質のお方だから。私達は滅多に男性の応対になんか出ないし」
 と。「私達は斎院側みたいに軽くないんですからね」という主張、と言うよりは一種の負け惜しみを、この辺りからは感じとることができます。
 当時は、貴族女性は段背いに対して顔を見せることはなく、また直接話すこともありませんでした。異性に顔を見せるとか、直に言葉を交わすということは、ほとんど肉体関係を持つのと同義だったのです。
 しかし、やってきた男性客の応対をし、言伝などを主人に取り次ぐことは、女房の仕事の一つでした。もちろん、応対をするといっても直接顔を合わせるわけでなく、御簾などの間仕切り越しではありましたが、当時の深窓の貴族女性にとっては、かなり思い切りが必要な業務だったのでしょう。
 ちなみに、中宮定子(この時は既に死去)の女房だった清少納言は、男性応対業務は大得意でした。「清少納言じゃなきゃイヤだ」と、ご指名でやってくる男性貴族も、いたほどです。同じように斎院サロンの女房達も、優雅でそして機知に富んだ対応を、男性客にしていたのではないか。
 対して彰子サロンの女房達は、あまりに引っ込み思案だったのでした。キャリア女房なのだから、あまりに上品すぎては仕事にならないし、男性客からも「つまんねぇの」と思われてしまうわけですが、業務の一環としての男性との接触すら、うまくこなすことができなかったのです。
 自然、男性貴族達はその風流な雰囲気を求めて、斎院のところに集まることになりました。社交的な女房達とともに月や花を愛で、洒落た会話を楽しんだりしたのでしょう。そんな彼等も彰子側に行く時は、
「なんだかあそこの女房達ってさぁ、ひきこもりがちだし、上品ぶってるし……」
 ということで、用事を済ませるだけでさっさと帰ってしまうというのに。
 紫式部は「ふん、ウチはそんなに軽くないんですからね」と言い訳をしつつも、それでよしと思っているわけではありません。偉い男性貴族がやってきたのに、モジモジするばかりでろくな対応ができない女房に対して、「もういい加減大人なんだからさぁ、もう少しまともな受け答えができるんじゃないのーぉ?」と、心の中で舌打ちをしている。
 紫式部は、「冷静に見れば、斎院サロンの方がウチのサロンよりも男性にとって魅力的であることは間違いない」と、本当は負けを認めています。が、わかっているからこそ彼女は、斎院側の女房・中将の君の手紙の内容にムカっ腹を立てる。
「斎院側の女房も、地味で暗くて引っ込み思案だっていうんでウチ側を蔑む気持ちにもなるのだろうけど。でも、自分の方はすばらしくてよそはダメ、とばかりに非難するっていうのは、どうなのかしらねぇ。総じて、他人を非難するのは簡単で、自分の心をうまくはたらかせることは難しいはずなのに、そうは思わないで『自分は賢い』
という態度で他人をないがしろにして世間を悪く言ううちに、その人の人格の程度ってやつが、顕わになってしまうようね」
 といった記述を読んでいると、
「あのさぁ、中将の君の手紙は確かに自慢気だったかもしれないけど、そう言うあなたも他人のことをバリバリ非難してるじゃないの。ていうか、その手紙だってあなたがこっそり盗み読みしてるわけだし」
 と、言いたくなってくるのです。
 当時、一条天皇には彰子の他に妻はなく、宮中にライバルはいませんでした。だからこそ彰子サロンにはあまりアグレッシブな姿勢が見られず、おっとりと引っ込み思案な女房が多かったのでしょう。
 が、ライバルは宮中の外にいた。彰子は藤原道長という当代きっての権力者の娘ではありましたが、斎院・選子は天皇の娘。
「彰子さんとやらは、いくら権力者の娘とはいっても、所詮は……ねぇ?」
 という斎院側から発せられる空気も、もしかしたらあったのかもしれません。
 サロン間の女同士の確執を記録する人材として、まさに適役中の適役だった、紫式部。女同士の確執も、同僚女房に対するイラつきも、そしておそらくは持っていたであろう「でも私だけは違う」という自負も。彼女にとっては全て、栄養豊かな芸の肥やしになったのであろうと、私は思います。 

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