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2000.04.01

第2回 ボクのキモチ

リリー・フランキー

第2回 ボクのキモチ

 なぜ、最近の女子は乳がデカいのか?
 これは、男でも女でも、昭和に青春時代を送ったものなら感じずにはおれない疑問であり、また、日本の人間学、人体学上、近年、特に目立った現象である。
 我々が10代の頃、クラスのほとんどはAカップだった。統計をとったわけではないが、おそらく間違いないだろう。記憶を辿ってみても、そこに乳があった気がしない。 あの教室にあったのは、ただ、慎ましく平らな曲線だけだ。女子とブラジャーの話なんかをした時も「私はBカップよ」という奴が、ことさら派手に感じたものである。
 しかし、現代社会においては、小売店にAカップのブラジャーの存在すらなくなってしまっているのが現状である(サイズ表示の変更があったせいも多少あるけれど)。ブラジャー自体の質の向上もあるかもしれないが、下着屋に長年勤め、毎日客の乳をブラジャーに詰め込む作業をしている友人の女に聞いてみても、Aの人はほとんどいないらしく、やっぱり「最近の若い子はみんな乳がデカい」という現場からの声も届いている。
「食べ物の違いでは?」
 そんな意見もある。だが、我々とて子供の頃にアワとかヒエとかを食っていたわけじゃない。それに、最近の大人はちょっとでも若者のことでわからないことがあると、なんでも「食べ物のせい」にする。
 バットを振り回したり、ナイフを振り回したりするのはみんな「ハンバーガーが悪い」らしい。
 そんなことではないはずだ。少なくとも、乳に関してはそれだけじゃない。今、ひとつだけ確実に言えることは、「もっと、おそくにうまれてきたかった……」。
 いや、そんな感情的な結論は別に発表しなくていい。
 そこで、今回。「なぜ、最近の女子の乳がデカくなったのか?」という疑問について、独自の研究をすすめていた私の学説を発表することにする。

 まず、これまでに人間は何度もその体型に変化を加えながら進化してきた生き物であるという事実を思い出さなくてはいけない。
 直立歩行を始め、ある部分は進化させ、またある部分は退化させながらヒトは環境と必要に応じてその体型にマイナーチェンジを加えてきた。
 しかし、その変化は長い歴史の中で緩やかに行われてきたもので、今回のように「20年前とはえらく違うじゃないか!?」というような短い期間で際立ってわかるというようなことはなかった。
 そこがムカつくのである。いや、感情論はいい。
 つまり、我々は、長い歴史の中でたまたま、その急激な変化を目の当たりにする時代に生まれ、間一髪でオイシイ時代よりも早く出てきてしまったのだろう。
 そこで、考えなければいけないことは、前述した変化の要因。「環境」と「必要」についてである。
 ギリシャ彫刻を見ても、昔の見聞をひもといてみても、「乳はデカいほうがいい」といったむねの解釈は見当たらない。「世界性医科学全集 第6巻 女体の美」にも「乳房は標準的なものがよい」といった消極的な意見しか記されていないのである。要するに、プロポーション。全体のバランスを尊重することにおいての、胸の大きさであり、ことさら「大きい」ということに魅力は感じられてなかったのであろう。
 だが、それは現代人にしても同じ美意識を持っている。むしろ、現代人のほうが「女体のプロポーションにはうるさい」といってもいいだろう。しかし、日本では着物文化が長かったため、スタイルについて言及されるようになったのは昭和に入ってからだろうと思われるが。
 そして、これは本題よりも特筆しなければいけないことなのかもしれないが、「現代の女子は乳が大きい上に、スタイルもいいのである」。また、逆の言い方をすれば、現在、スタイルがいい、プロポーションがいいという話になった時、そこには、ある程度、またはそれ以上の胸がなくてはならないということなのだ。
 我々が10代だった頃、胸の大きな女子がいなかったわけではない。いることはいた。しかし、それらの人物はおおよそ胸以外も大きかった。つまり、ファットがゆえの豊乳だったのである。
 1977年。榊原郁恵という、この問題を研究する上で重要視されている人物がデビューした。セックスピストルズと同期である。ゾロ目の年は当たり年だというが、この話にはあまり関係がない。更に関係ない話だが、私の友人の都筑潤は中学時代「郁恵ちゃん日記」なる奇日記を毎日つけていたと、私の前で潤のおふくろに暴露され、恥ずかしさのあまり「うそつくなよ!! このキチガイばばあ!!」と自分の母親を怒鳴ったことがある。どう考えても、嘘で思いつく「日記」ではないことは明白なのだが。
 そして、その榊原郁恵だが、おそらく「胸がデカい」ということを主旨にデビューした日本第1号ではないだろうか。彼女も、その時代の豊乳者とたがわず、健康的というか、つまりファットであり、お世辞にも「美形」とはいえなかった。今では、「胸がデカい」というだけで充分にデビューするに値する要素を持つが、当時はその一点のみに魅力が集中された人物は珍しく、ブラウン管の中でもかなり浮いた存在だったが、それでも確かに彼女は人気があった。「郁恵ちゃん日記」を書かせるくらい男を狂わせる何かがあった。
 無論、その何かとは「チチ」である。
 その十数年前あたりから、「ボイン」という言葉で巨乳がもてはやされはじめていた。月亭歌朝の歌で、11PMの中で、「大きいことはいいことだ」という風潮の中、「乳の大きさ」に日本は注目を始めていた。しかし、その「ボイン時代」においての巨乳はまだ、アメリカ文化の中であり、どこかまだ、巨乳に対して日本中が素直になれてはいなかったし、「乳のデカい女はバカ」という乱暴な偏見もあったくらいで、巨乳の人も、巨乳の好きな人にも市民権はなかったと言える。胸の大きな女性は恥ずかしいといって、胸部にさらしを巻いて、その形状を隠した。まだ、夜明け前である。
 しかし、榊原郁恵の登場により「巨乳=明るいもの」という意識が生まれる。アイスクリーム! ユースクリームッ!! かなりの力わざで彼女は巨乳を日当たりのいい場所へ、日本人の意識改革へと誘ったのである。
 もう、乳の大きいことは長所であり、男たちも大きな乳を所望することに抵抗はなくなったのである。
 ここで、未来の子供たちにとって、大きな変化をもたらすきっかけとなった。
 30年前のボイン時代から、77年の夜明け、そして、現代の「日本全国豊乳時代の黎明期」をさして私はこの時代を「ア-ル・ニュ-ボ-(新しい乳房の流れ)」と呼んでいる。
 ポジティブボインの時代。ここから、日本のヒトの意識の中に「女は乳がデカいほうがモテる」、生物学的にいえば「優秀な種を獲得するためには有益な要素である」という意識の組み込みが始まったのである。
 動物学的にいう「シグナル」としての巨乳意識が開始されたのである。その時代から始まった「ボイン」「巨乳」「爆乳」「パイズリ」などの言葉が記号的に使われるようになり、そこから回帰される、「もっと胸欲しい願望」が女性の中に積極的に芽生え、男性の中にも「巨乳吸いてぇ願望」は高まり、男女共が意識的に豊乳を求めるようになったのだ。
 生物学者のジャレド・ダイアモンドは、アフリカの鳥「コクホウジャク」はオスの40cmにわたる長い尾羽がメスをひきつける役割を持っているのではないかと推測し、ある実験をした。実験の結果、尾羽を15cmの長さに切り取られたオスは、ほとんどメスを引き付けず、逆に尾羽をのりで貼り足し、長さを66cmにしたオスは通常よりも多くのメスを引き付けたと報告している。
 このコクホウジャクの尾羽による性的シグナルのように、日本のヒトの中にも「胸がデカいほうがオスを引き付ける」また「デカいメスにオスは引き付けられる」という情報と意識が遺伝子に、榊原郁恵という万人にもわかるポップな象徴を媒介に伝播されたと言えよう。
 しかし、これはチンポ社会においては、はるか昔に現れた変化なのである。また、ジャレド・ダイアモンドの報告から紹介すれば、ヒトのペニスのサイズはすでに機能的な必要性をこえた大きさに進歩しているという。その余分なサイズは、機能ではなく「シグナル」のためにあるのだと。勃起したペニスの長さはゴリラで3cm強、オラウータンで4cm弱、ヒトよりもはるかに大きな身体をしているにもかかわらずだ。ヒトは13cm。いや、10cmのヒトでもいい。とにかく、3cmあれば事足りるのだ。
 ニューギニアの部族のペニスサックのように「男はチンコ大きいほうがいいかもしんまい!」という発想と「チンコが大きいほうがモテる」という「種のための必要性」からチンコはこんなにも大きくなっていったのだ。
 つまり、日本でも巨乳崇拝主義が始まって20年余り、「優秀な種を獲得するための必要」としてそれが遺伝子に組み込まれ、それから20年後の現在、郁恵ショックを受けた親の産んだ子供が今、乳のデカい10代になっているのである。今の子供達は「巨乳になったほうが幸せになれる」というプログラムを持って生まれてきたのだ。意識によってヒトの身体は変わるのである。
 しかし、今回。改めて榊原郁恵の当時のグラビアを見たところ、その乳の大きさが記憶のそれほどではないことに驚いた。我々もこの20年かなりの巨乳を目にしてきたのだろう。日本のヒトの女子が数年で恐るべき変化を遂げてきたことがわかる。
 おっぱい大きくなりたい。スタイルもよくなりたい。日本のヒトの女子の種は休まる暇もないほど頑張ったに違いない。
 その頑張りを促したのが、近年の「環境」である。
 この20年、日本の性は開放に一直線だった。性に関しておおらかに語るようになり、性は低年齢化してゆく一方。街を歩けば、性をアピールしたファッションが主流になり、性の商品化も進む。
 このように、生活基盤自体に性的なるものがただよっている環境。
 これを私は「環境フェロモン」と呼んでいるのだが、近年の日本ほど環境フェロモンに汚染された国も他に類を見ない。セクシーでなくては時代に取り残されてしまう。環境フェロモンの中、女子たちはみんな性的なアピールをせざるをえなかった。そしてまた、その意識が、シンボルの誇張、つまりは乳房の発達を手伝ったに違いない。

 なぜ、最近の女子は乳がデカいのか?
 今私たちは、そのことを視覚をもって認識し、考える時代に生きている。
 ア-ル・ニューボーから30年。そしてまだ、しばらくは巨乳崇拝思想も続くであろう。
 しかし、このまま、この志向がヒトに受け継がれてゆくとすれば、私の計算によると、2100年にはほとんどの女がFカップ以上になる。そして、2300年には乳の重さですべての女は直立歩行ができなくなり根本的なヒトの体型すら変わってしまっているだろう。もちろん、その時代のチンポは勃起時で1メートル強にもおよぶ。
「ロード」は第何章までいっているのだろうか?
 <何でもないようなことが幸せだったと思う>
 もしかしたら私たちは、この時代に生まれてきて幸せだったのかもしれない。 

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