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2002.07.01

2002年7月1日 だらしなマンション購入記 第7回

藤田 香織

2002年7月1日 だらしなマンション購入記 第7回

 月日は流れていくのに、何一つ進展のない「だらマン」。そうこうしている間にも、着実に「だらしなマンション(別名カラス館)」は出来上がっていき、戻るに戻れない状況に近付いている気がしてならん。心のどこかで「もうどうでもいいや」という非常に投げやりな気持ちが膨らみつつあるこの事実。100円3袋のピーマンが1袋だと70円と言われムカムカしたりしてるくせに(だらしな日記(ときどき)参照)、3700万のマンションに「どうでもいい」という気持ちになる自分がわからない。
 そんなわけで、マンション状況は書くべきことがないので、今回は特別編でお送りします。えーと、わかる人にはわかるでしょうが、週刊文春さんごめんお許しを!

だらしなマンション日記特別編 部屋の履歴書

 まさか自分がマンションを買うなんて、ちょっと前までは想像もしていませんでした。
 父が転勤族だったので、子供のころから引越しばかり繰り返してきて、22歳で一人暮らしを始めてからも一度実家に戻ったことを入れれば6回も部屋を移りましたし。だから不動産を買うなんて、本当に思ってもみなかった。世の中何が起こるかわからないですねぇ。

 昨年3700万円のマンションを衝動買いしてしまったと笑う藤田香織さん。生命保険会社に勤務されていた実父の仕事の都合もあり、34歳にして14回の引越しを経験した彼女が生まれたのは、牛肉の町、三重県松阪市の市立病院だった。

 母の実家が松阪で、初めての子供ということもあり里帰り出産したそうです。生まれてしばらくは、父は三重県内の支店を2年周期で異動していて、四日市に引っ越したときは、お決まりのように四日市喘息にもかかりました。幼稚園に入る年になったとき、父が東京勤務になり、一家揃って江古田の祖父母の家に同居することに。100坪ほどの敷地に父の姉一家が暮らす別棟と、妹一家が暮らす離れがあって、私たちに与えられた部屋は母屋の6畳一間(笑)。その頃はもう弟も生まれていたので、6畳の部屋に4人で布団を並べて寝ていました。父は今になって「あのときは両親と住むことが親孝行になると思ったんだよ」と言いますが、正直子供心にも窮屈だったし、母が肩身を狭くしているのも感じていました。祖母は躾に厳しい人だったし、弟はヤンチャだしで、母は相当苦労したようで、私が幼稚園の年長組になった冬にとうとうもう限界! と訴えて。押し入れから大きなカバンを引きずり出して荷造りを始めた母の背中を今でもはっきり覚えています。仕事仕事でほとんど家にいなかった父は、そのとき初めて母が相当我慢をしていたことに気付いたとかで、翌週母に何の相談もなしに突然「家買ってきたから引っ越そう!」と言い出したんです。私も驚いたけど、母はまさか家を買ってくるとは思ってもみなかったようで、微妙に複雑そうでした(笑)。私のマンション衝動買いは明らかにそんな父の血を引いてます。

 その「衝動買いした一戸建て」は、埼玉県所沢市の敷地面積20坪。間取りは1階が4畳半の台所と6畳の和室、2階が6畳と4畳半。しかし「小さいながらも楽しい我が家」の暮らしは、わずか3年弱で終わることになる。またしても転勤。小学3年生になっていた藤田さんは、山梨県甲府市の学校へ転校した。

 所沢の家は父の会社で借り上げてもらい、甲府の社宅に入りました。新築で広めの3LDKで、決して不満はなかったのですが、やはりそこは社宅。狭いながらも一戸建てで暢気に暮らしていた生活から、テレビの音量や、当時習っていたエレクトーンの練習にも気を使わなければいけなくて、なんだかなぁ、と。人間どんどん贅沢になりますね(笑)。
 学校は学校で、生徒はもちろん、先生までもの凄く方言がきつくて、最初のうちはみんなが何を喋っているのか全然わからず、かなり戸惑いました。話しかけられてもわからないし、何か答えても「東京弁ですかしてちょしー」とか言われるし(笑)。そんな状態だったので、休み時間が苦痛で苦痛で仕方ありませんでした。

 そんな藤田さんがある意味避難場所として選んだのが、学校の図書室。昼休みや長い休み時間には図書室で本ばかり読んでいたという。

 最初の1年は、本当に本が友達という状態で、今思えば相当暗い子だった。毎日1冊本を借りてきて、放課後も自宅で読書。大抵の本は「東京弁」で書いてあるし、ワクワクしたりドキドキしたり、本を読んでいる間だけは退屈な毎日を忘れられる気がしたんです。明らかに活字に依存してましたね。まぁそれは今も同じですけど(笑)。

 それでもやがて言葉にも慣れ、友達も増え、学校生活を普通に楽しめるようになり、甲府の野山を文字どおり駆け回り、あっという間に4年の歳月が過ぎた。だが「転勤」の辞令が再び容赦なくやってくる。

 甲府にいる間にもさらに1度引越しがあって。本当なら学区も変わってまた転校しなければいけなかったんですけど、それは特別に免除してもらって小学6年生のときはバスで通学していました。でも結局中学1年生の終わりに父が東京に戻ることになって、またしても引越し&転校。以前暮らしていた所沢の家に戻ることになったのですが、甲府生活の後半で大らかに育ちすぎてしまっていたので、今度は「転校生のくせに生意気だ」とか言われてまた「本が友達」状態に(笑)。結局落ち着いたのは高校生になって、父が本社勤務になり、同じ所沢市内に家を買い換えてからですね。4LDKの建売ですが、初めて「襖」ではなく「ドア」のついた個室を与えられてもらいました。そのときは、もしまた地方勤務になったら、もう単身赴任してね! と父に真顔で頼んだりして。高校に入って「これで3年間絶対転校しないですむ!」と思ったときの安堵感は、ちょっと例えようもないくらい大きかった。両親は今もこの家に住んでいます。

 いわば親の都合で引越しを繰り返してきた藤田さんが、始めて一人暮らしをしたのは22歳のときのこと。場所は池袋西口から徒歩5分ほどの2階建てコーポだった。

 その頃は芸能プロダクション関連の小さな出版社に勤めていて、毎日所沢まで帰るのが面倒になったんです(笑)。当時のお給料は手取りで17万円ほど。予定では家賃は7万円ぐらいに抑えたかったんですが、不動産屋さんを回っていろいろな物件を見ている間にどうしても住みたい部屋が見つかってしまって。オートロック付きの1階角部屋オールフローリング、36平米の1DK。もう憧れの一人暮らし! という妄想が膨らみまくりそうな部屋でした。家賃は10万5千円。最初は節約して質素に生活していたんですが、何しろそこは池袋。遊ぶ場所には不自由しない状況で、その誘惑に耐え切れず、アルバイトを始めて。たまたま従姉の友人に飲みに連れて行ってもらったお店で、バイトを募集してると聞いて「私やりたいです!」って(笑)。「じゃあ明後日からお願い!」なんていう感じで、
 いい意味でとても大雑把なお店だった。ゴキブリやネズミは店内を走り回るし、ソファやスツールはあちこち剥げてるし。本当にボロボロで、しかも別に特別安いわけでもなくて。
 今思うとほかにいくらでも綺麗なお店はあるのに、なんであんなにお客さんが来たのか謎ですね。でも、膝のぬけたジーパンに980円のTシャツ姿が定番服の大魔人のようなママさんが妙に人間味のある人で、まったく気取りのない雰囲気で。そのせいか、お客さんも警察や税務署、裁判所に勤める仕事で緊張を強いられてるんだろうなぁ、という人が多かった。そんなところで週3回ぐらい時給2千円でカラオケ唄ったりしていました。アルバイトのない日も、凄い勢いで知人が増えたこともあって、毎晩飲み歩いていてましたね。人生の中で一番お酒を呑んでた時期だと思います(笑)。

 その後一度実家に戻り、27歳で再び家を出る。それは「結婚」という人生の大きな転機でもあった。

 西武線の小手指駅から徒歩8分ほどの2階建てのコーポでした。6畳の洋室2部屋と和室が1つ、さらに6畳のダイニングキッチンの3DKで家賃は9万5千円。でもそこに住んだのはたった1年でした。何ていうか、子供だったんだと思います。他人と、といっても夫ですが、一緒に暮らすということが、どういうことかちっともわかっていなかった。共働きだったので、専業主婦で、完璧に家事をこなしていた彼のお母さんのようにはどう頑張ってもできないし、でも彼が本当はそれを望んでいるのはヒシヒシと感じていて。Yシャツにアイロンかけたりするのも、だんだん「なんで私が?」とか疑問に感じてきて、クリーニングに出したら寂しそうな顔をされてしまったこともありました(笑)。私はその頃、音楽製作会社に勤めていて、CDジャケットのコーディネーターという1日中人と接しているような仕事をしていたので、家に帰ったらしばらく一人で本を読んだりする時間が欲しかったんですけど、彼はコンピューター相手の仕事だったので、人との会話に飢えていて。お風呂でなら一人になれるだろうと思って湯船の中で本を読んでると、「いつまで入ってるのー」なんて呼びに来られちゃったり。こうして書いていると「愛だろ愛」って気もするんですが、あの頃はそうは思えなかった。そんな生活の些細なことでどんどんイライラが積もっていって、最後の方は仕事から帰る道の角を曲がって、部屋の明かりが点いているとため息が出たりして。「ダーリン! 帰ってたの!」なんて喜びじゃなくて「あーあ、帰ってきてるよ」と思ったとき、これはもうダメだな、と思いました。

 間の悪いことにというべきか、幸いなことにというべきか、当時音楽制作会社でCDジャケットのコーディネーターをしていた藤田さんが、副業として続けていたライターの仕事もドラマのノベライズなどを手がけるようになったこともあり、突然多忙になり始めていた。そこでひとまず、雑誌の編集者をしていた女友達と同居して、仕事に集中したいという理由で別居に踏み切る。28歳のときだった。

 学生時代からの友人で、私にノベライズの仕事を発注してくれた友人がちょうど引っ越そうと思ってる、というのを聞いて「お願いだから一緒に住んで」と頼み込んだんです。いきなり別居して一人暮らしというのは、どう考えても修羅場になると思ったし、友人は彼もよく知っていたので、感情沙汰にならないだろうと計算して。あの頃はとにかく息苦しくてそこから脱出することだけを考えていたのですが、今振り返ると酷い話ですね(笑)。
 いえ、笑ってすむ話でもないんですけど。専業主婦願望のある人と結婚していれば、とてもいい夫で、パパになっていただろうな、と思うと、やっぱり「すまん」という気持ちにはなります。離婚後どうしているかまったく知りませが、幸せに暮らしていてくれるといいな、と思っています。

「避難先」となったのは、中野富士見町駅徒歩3分の新築2LDKのマンションだった。共有廊下から入ってすぐの左手5畳の洋室が藤田さんの部屋。リビングへ続くドアを開けて13畳のLDと2畳ほどのキッチン。友人の部屋はリビング横の6畳。オールフローリングで家賃は18万6千円。金額的には決して安くはないが、折半すればひとり9万3千円。同地区でその金額のマンションを借りることに比べれば、バスやキッチンは充実していたし、リビングの広さも魅力的だったとか。

 駅からも近いし、新築の低層マンションだし、会社まで1時間も近くなったし、かなり快適でした。会社のお給料と副収入で、当時は平均して月収40万円以上あって、家賃も苦になりませんでした。ほんとこれまでの人生で一番収入が多かった(笑)。友人は仕事柄ほとんどすれ違い生活だったし、気心も知れていたのでストレスがたまることもあまりなかったし。洗濯やゴミ捨てや掃除も「気がついたときにできる方がやる」といういい加減な取り決めにもかかわらず、不思議と問題もなかった。楽しかったですね。でもまだ離婚が成立していなかったので、心が晴れるということはありませんでした。

 30歳で離婚が成立し、前後して会社を退職。フリーランスのライターとして独立したその年の7月、更新することなく中野のマンションを引き払った。

 女二人暮しにまったく問題はなかったのですが、さすがにこれ以上一緒にいると、ますます縁遠くなるんじゃないかと話し合って(笑)。タイミング的にも2年というのはちょうど良かった気がします。あれ以上一緒に暮らしていたら、お互いに甘えも出てきたかもしれない。あまり友達がいないので、貴重な友人を失わずにすんで良かったです(笑)。5年ぶりの一人暮らしの部屋に選んだのは、阿佐ヶ谷のマンションでした。1LDKで家賃が約12万円。すでに会社は退職していましたけど、まぁどうにかなるだろうと思って決めました。でもこれが甘かった(笑)。もうノベライズは書いていなかったし、本のレビュー仕事で入ってくる収入は、月平均5万円ほど。かといって営業に行くでもなく、週に2回くらい図書館で本を限度いっぱい借りてきて、毎日それを読んでだらだら過ごしていました。貯金はそれまでの二足の草鞋生活でそれなりにあったので、まぁ少しのんびりしようと思っていたところもあって。でも当たり前ですが、毎月減っていく一方の貯金にさすがに焦りを感じてきて、1年たったところで心機一転、ちゃんと書評仕事と向き合おう! それにはまず書庫のある部屋を借りねば! と短絡的に思い立って、今の部屋に引っ越してきました。
 こう振り返ってみると、なんて行き当たりばったりなんだろうと自分でも呆れることばかりですが、特に後悔しているということもありません。引越しのデメリットはやっぱりお金がかかるということ。これまで払ってきた家賃や敷金礼金引越し代金を計算すると、マンションの頭金ぐらいには軽くなってしまうので考えないようにしています(笑)。メリットは、引越しを繰り返しているとその場所場所に思い出が残るので、同じところに住み続けている人より記憶が鮮明だということ。それが何の利点になるのかは謎ですが、いろいろな街に住んでみることは、今になって思えばいい経験だったかな、とも思えます。あくまでも今になって思えば、ですが(笑)。
 今はただ、購入したマンションでの生活も後悔しないものになるといいな、と祈るような気持ちでいっぱいです。

 ふぅー。長々と失礼しました。読み返すと「だから何じゃい?」という文章ですね。
 すみません、次回は「マンション日記」が書けることを重ねてここに祈ります(誰に?神に? だらマンに?)。

<続く(たぶん)> 

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