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2014.01.13

「怖い」だけじゃない、サスペンスの奥深さ

佐々木 克雄

「怖い」だけじゃない、サスペンスの奥深さ

『第五番』
久坂部羊/幻冬舎刊 \1,995
創陵大学皮膚科の准教授・菅井憲弘のもとに送られてきた患者の病変は、これまで見たことのないものだった。表面には赤黒いシイタケ状の肉腫。エイズ患者が発症する皮膚がんの一種「カポジ肉腫」と似ていたが、ウイルスがまったく別のものだった。腫瘍が骨を溶かし、数日で全身に転移、意識障害を起こして死に至った。さらに数ヵ月のうちに日本列島で患者が同時多発。が、国も医療界もまったく手だてがなく、人々は恐怖のどん底に──。

 

「サスペンスは苦手」と
食わず嫌いでいるあなたへ

 いきなりですが「怖い話」って好きですか?
「いや、できれば遠慮したいです……」といった声が聞こえてきそうですけど、一方で多くの女子が絶叫マシーンやホラー映画でキャーキャー叫んでいるではないですか。好きな方も多いのではと勝手に判断いたしまして、では小説における「怖さ」とは何かと思うに、これは「想像する怖さ」ではないかと。
 小説は活字から風景や人物を脳内スクリーンに映し出すエンターテインメントです。時間は現在、過去、未来。場所は四畳半アパート、ニューヨーク、火星にだって行けてしまうわけでありまして、想像の行き着くところまでトコトン世界は広がる。となると、人の恐怖心に働きかけるサスペンス小説は、身の毛のよだつような残虐なシーンを活字でこれでもかと想像させ、怖くなって眠れなくなった夜などは(ひょっとして、あのクローゼットの中から誰かが)と余計な妄想を膨らませてくれるわけでありまして……。
「だから嫌っ!」と叫ぶ声が聞こえてきそうですが、ちょっと待ってください。怖い描写と表裏一体にある「リアリティ」と「作品のテーマ」にもぜひ注目していただきたい、と。
 今回ご紹介する『第五番』の著者、久坂部羊さんは二〇〇三年『廃用身』でデビューした方で現役の医師です。その人体描写のリアルさは、小説オンリーの作家さんは敵わないと思うのです。久坂部さん以外にも現役医師の小説家が多いのはご存じでしょう。人の身体、生死を間近に見据えて奮闘するお医者さんですから、ご自身の現場をモチーフに小説を著すとなると、その作品はいたずらに恐怖心をあおるものではなく、命の尊さ、人が生きる意味をしっかりと伝えてくれます。
 たとえば二〇〇六年に発表された『無痛』という長編小説(現在は幻冬舎文庫)。一家四人を惨殺した事件は心神喪失者の犯行とされ、刑法三十九条の規定により罪が問えない、という重いテーマを孕(はら)んでいます。人体バラバラのおぞましい描写もあり、現役医師ならではの精緻(せい ち)さに背筋がモゾモゾしてくることは確かですが、タイトルの「無痛」には「先天性無痛症」という痛みを感じない病気と、人を殺すことの「心の痛み」という意味が含まれており、怖さを超え、「人の心とは?」といった哲学的な命題を考えさせられるのです。著者はほかにも医療ミスや介護、安楽死など濃密で重たいテーマの長編を出しておられます。

ある日突然、身体に
シイタケ状の肉腫が現れたら

 さて、前置きが長くなりました。久坂部羊さんの最新作『第五番』を紹介しましょう。はじまりは東京。若い銀行員が身体の異変に気付くことから物語は動き出します。上の歯茎にできた不気味な斑点。これが「カポジ肉腫」の新型であるとわかるとマスコミは騒ぎ、担当の皮膚科医は新種の発見者である名誉に酔い、日本中はパニックに──。
 本作における「想像する怖さ」なのですが、まずは新型カポジ肉腫──皮膚に現れる赤黒いシイタケ状の肉魂が人間の身体を蝕(むしば)んでいく様子です。
 ことわっておきますが「カポジ肉腫」自体は架空の病気ではありません。エイズ末期に発症する肉腫です(試しにググってみてください。画像が出てきます)。つまり、他人事(ひ と ごと)と思えない病(やまい)の新型が医療サスペンスという形式で読み手に提示され、いまは架空であっても将来発症しない保証はないという怖さを活字で見せつけているのです。
 でも、実はもっと深い部分にこの作品の怖さがあるのです。なぜこの新型カポジ肉腫が発症したか、感染源は何かという謎ですが、例えばこのような噂話を聞いたことはないでしょうか。もっと長く使えるはずの家電製品が数年で壊れてしまうのは、新しい製品を買って欲しいというメーカー側の思惑がある。医学界が同じようなことを考えていたら……ウウ、怖い。
 この作品の主人公は『無痛』にも登場した医師、為頼英介です。彼は神戸からウィーンに移り住み、現地の医師たちと交流を持ちます。親密になった彼らと新型カポジ肉腫に関わりがあるのではと為頼が疑い始めたとき、読み手は想像します。冒頭に差し込まれたノンフィクション(エボラ出血熱、エイズ、狂牛病、SARS、そして近年は新型インフルエンザについて)までもが、このフィクションと同じ医学界の思惑があるのではと……ウウウ、すごく怖い。
 恐ろしい陰謀に為頼は一人で立ち向かう。彼は患者の外見だけで診断をつけることができる特殊な技能を持っています。それはすなわち患者が手遅れであるかどうかもわかるし、さらには殺人などの犯罪の徴候を示す「犯因症」を読み取ることもでき、これでピンチを切り抜けたこともありました。彼はウィーンから日本に戻り、新型カポジ肉腫の感染源の解明を始めます。その背景には謎の組織の影、『無痛』から続く人間関係、そして何より一人の医師としての正義感がある。彼は自らを奮い立たせ、日本中がパニックになった奇病に立ち向かっていく……。
 壮大なミステリに引き込まれることは確実です。五百ページを超えるブ厚い紙面をめくる手が止まらなくなりますよ、本当に。

サスペンスだけに終わらない
現代社会への痛烈な批判

 ここまで紹介したところで本書への興味を持っていただけたと思うのですが、久坂部作品の読みどころはまだまだあります。
 ひとつは『無痛』同様に強烈なキャラクターたちが良くも悪くも作品に華を添えている点です。弟子たちを奴隷のごとく扱う気鋭の女流日本画家、三岸薫。狂気に満ちた絵のごとく、彼女の言動は物語を混乱させ、医療サスペンスとは違う道筋で読み手にミステリと強烈なインパクトを与えてくれます。他にも前述の皮膚科医の菅井、自称ピアニストの伊部など、利己主義の塊(かたまり)のようなキャラクターたちに嫌悪感を抑えることは難しいでしょう。
 そして為頼が身を置く医療の世界そのものが本作の隠れた主人公であり、医師である著者が世の中に訴えたいテーマであると言えます。現代社会には為頼のような崇高な思想を抱く医師だけではない。金儲け主義や怠惰、不誠実な医師がごまんとおり、マスコミのターゲットになっている。世間はそんな不道徳な医療現場に不信の態度を取りながらも、いざインフルエンザなどの感染症が蔓延(まん えん)すると我先に薬だの治療だのと己の保身に走り、結果として医療にすがらざるを得ない、という現実がある。著者はそんな医学界の現状と、マスコミの風評に踊らされている世の人々を現場から冷やかな視点で捉え、サスペンスという手法でもって批判しているのです。
 どうでしょう。怖いだけに終わらない、社会問題をじっくりと見据えた医学サスペンス。たまにはこんな読書もアリではないでしょうか。

 

『GINGER L.』 2012 SUMMER 7号より

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