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美しい暮らし

2018.11.16 公開 ツイート

番外編

【ご招待プレゼント】下町おっさんキッチン 矢吹透

 東京下町の築50年近い、古いマンションの一室で、「Bistro TOH」という店を始めて、一年半になる。

 正確には、店ではない。看板もないし、メニューもない。会計のレジもない。

 とーさんと呼ばれる、店主兼料理人である私と、接客係のゴールデン・レトリバー犬、くまがお客様を迎えるこの店は、カウンター4席の小さな店である。

 お代は頂戴しないけれど、お客様がストップと言うまで、酒や料理が次々と出て来るこの店にはひとつだけルールがある。

 この店のカウンターに座ったら、本当のことを話すこと。


 学生の頃、小説を書き始め、テレビ局に就職して、長年、番組作りに携わっていた私が、小説を読まず、ドラマや映画を見ないようになって久しい。

 作りもののストーリーには、気持ちが動かないのである。

 ドラマチックである必要はない。リアルな人の、リアルな言葉や生き方、考え方しか、今、私の心には響かない。

 難しく考えることはない。楽しいと感じたこと、悲しいと感じたこと、うれしいこと、つらいこと、苦しいこと、なんとなく思っていること、今日あったこと、そんなことを普通に話せばいいだけである。

 とーさんは料理を作りながら、くまはお客様の足元に寝そべって、ただ、ふんふんとその話を聞く。

 お客様は、料理を食べ、酒を飲み、好きな話をして、酔っ払えばいいだけなのだ。

 
 ここまで読んで、ちょっと怖そうな店だな、と感じた人は、心がやや閉じている状態にあるかもしれない。

 心に軽い風邪をひいていたりするかもしれない。少し人間不信に陥っていたり、重い何かを抱えていたりするかもしれない。


 社会に生きて行く上で、そうそう素のままでいられるわけもない。

 素のままでは傷つくこともある。戦うために鎧を纏うことが必要だったりもする。

 でも、時々、その鎧を外す時があってもいい。

 鎧は重い。くたびれる。肩が凝る。


 おっさんと犬が迎える小さな店は、社会の荒波に揉まれ、くたびれたお客様が、鎧を外し、素に戻ることが出来る場所でありたい、と私は考えている。

 おっさんと犬は、肩書きも名刺も持ってはいない。

 だから、当然、お客様にもそれを求めない。

 もし、あなたが、肩書きや名刺を拠りどころにして、普段、生きているとしたら、この店で過ごす時間には、束の間、それを忘れて頂きたい。

 妻であること、夫であること、親であること、子供であること、そういったもろもろも脱ぎ捨てて、単なる一個の人間として、時間を過ごして頂きたい。

 一個の人間であるあなたが、同じく一個の人間である店主や、たまたま隣り合わせた客の誰かと過ごす、ただそのひとときを味わい、楽しむ空間を、私は提供したいと思う。


 肩書きや名刺などといったものが、一生自分について回ると思うのは、間違いである。

 いつか、人間には、そういったあれこれなしに、ただの自分、と対峙しなければならない時が来る。

 例えば、死の床では、あなたは何物でもない。

 長く勤め上げた会社を定年退職した時なども、似たような状態に陥るかもしれない。

 もし、あなたが組織や社会の中で、肩書きや名刺を背負って、長く生きているなら、それを外す練習をしておくのは、悪いことではない。

 あなたは、自分にとって、いろいろなものを削ぎ取った後に残る、一番本質的なものは何なのか、を考えることになる。

 その答えは、あなた自身が、自分で探し出すしかないことだけれど、私は最近、こう考えている。


 自分を愛し、留保なしに他者をも愛すること。自分の持つ喜びも悲しみも、抱え込まずに、誰かと分かち合うこと。

 そして、過ぎ行く人生の一瞬一瞬を、精一杯慈しみ、味わい、生きること。


 群れで生きていた動物であった時代の、ヒト、という生き物の生き方は一体どのようなものであったのだろうか、と私は時々、考える。

 いや、そこまで時を遡る必要はないかもしれない。

 例えば、冷蔵庫がなかった頃、まとまった生鮮食品を手に入れた時、人はどうしたか。

 おそらく、手に入れたそれを、自分や家族で腹一杯食べる。そして、食べ切れない分は、隣人や、近くにいる誰かに、分け与えたのではないだろうか。

 なぜなら、保存する手だてがないので、食べ切れない分は、腐らせるだけなのだから。

 そして、次に、隣人が何かを手に入れた時には、きっとその人は、食べ切れないそれをあなたに分け与える。

 そうやって私たちは、いろいろなものをすべて分かち合い、生きていたのではないか、と思うのである。
 
 冷蔵庫が存在したり、銀行預金や不動産が存在したりする、現代の社会は、かつてと比べ、物事が複雑で、入り組んでいる。

 複雑な分、見えにくくなっていることがたくさんある。
 
 さまざまな要素や条件を削ぎ落として、「自分」と「人生」について考えてみる時間は、おそらく有用である。


 さあ、今日もそろそろ開店である。

 掃除を済ませ、玄関のライトに灯を入れて、既にくまは玄関先に寝そべって、お客様の来店をお迎えするスタンバイ中である。

 旬の食材を仕入れてあるし、飲み物も冷蔵庫に冷えている。

 今日のお客様は、どんな物語をお持ちになるだろう。

 とりあえずビール、から始めましょうか?


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関連書籍

矢吹透『美しい暮らし』

味覚の記憶は、いつも大切な人たちと結びつく——。 冬の午後に訪ねてきた後輩のために作る冬のほうれんそうの一品。苦味に春を感じる、ふきのとうのピッツア。少年の心細い気持ちを救った香港のキュウリのサンドイッチ。海の家のようなレストランで出会った白いサングリア。仕事と恋の思い出が詰まったベーカリーの閉店……。 人生の喜びも哀しみもたっぷり味わせてくれる、繊細で胸にしみいる文章とレシピ。

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 日々を丁寧に慈しみながら暮らすこと。食事がおいしくいただけること、友人と楽しく語らうこと、その貴重さ、ありがたさを見つめ直すために。

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矢吹透

東京生まれ。 慶應義塾大学在学中に第47回小説現代新人賞(講談社主催)を受賞。 大学を卒業後、テレビ局に勤務するが、早期退職制度に応募し、退社。 第二の人生を模索する日々。

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