「どうしてみんなと同じようにできないの?」

 子供の頃、何度も言われた言葉だ。

 あまりに何度も言われるので、物心ついた頃には、自分はみんなと同じにできないらしい、と認識していた。実際、自分がどうみんなと違うのかはわからなかったけれど。

 学校のような環境では、「みんなと同じにできない」ことは決定的にマイナスである。和を乱すし、組織としてやるべきことを達成するのに邪魔になる。みんなと同じにできない人間は、社会に出てからも苦労する、居場所がなんとか見つかったとしても。だからなんとなく悲観的な将来図を描いていた。

 みんなと同じようにできない自分は、どこに行っても、出る杭として扱われた。だから、全員が同じ肌の色をしている小さな社会で、自分はいつもマイノリティのような気持ちでいた。

 ティーンになる頃には、アメリカの音楽や映画に逃避する場所を発見し、20歳になる頃には、日本の社会には自分のような人間の居場所はないだろうと決めつけて、アメリカに行くことばかり考えていた。

 もう20年以上も前、私がニューヨーク惚れてしまった瞬間がある。名前も覚えていない、ウェストサイドのクラブでのことだ。

 その前年の1993年、私は初めてニューヨークに足を踏み入れた。アメリカに留学したいと心に決めて、興味のある大学を訪れて周る旅の通過点だった。初めてのニューヨークは優しくなかった。安いホテルは汚くて陰鬱だったし、行きたいと思っていた大学の周りは、目に見えて治安が悪そうだった。平日の昼間から駅のまわりにたむろうコワモテ系の兄ちゃんたちの姿にすっかり怯え、地下鉄にも乗れなかった。Tシャツに短パンの学生たちがローラーブレードで移動しているカリフォルニアの大学とはまったく違った。こんな怖いところには住めそうもない、としっぽを巻いて帰った。

 日本に帰って、それを帰国子女の友人にいうと、「その体験は間違っている。来年私と一緒に行こう」と誘ってくれた。

 カリフォルニアで育った同級生ゆうこは、出発前に入念にリサーチをし、おいしい店、楽しいクラブを突き止めていた。二人で目一杯おしゃれをして、ダウンタウンのクラブにでかけた。

 入り口では、金属探知機を通って荷物検査をされた。ドキドキしながら入り口を通過すると、その奥には別世界が広がっていた。かっこいい兄ちゃんたちがいて、タフそうな女たちがいた。美しく女装するドラッグの人たちがいた。お金持ちそうな人も、まったく持っていなさそうな人も、楽しそうに踊っていた。私たちが、どこからきたのか、何人なのか、そんなことは誰も気にしていない。ありとあらゆるタイプの人たちが、いい時間と音楽を求めてここにいる。

 自由だーーーそう思った。どんな人にだって、ここには居場所があるのだ。絶対ここに住む、と決めた瞬間だった。

 5年後移り住んだニューヨークは、世界で有数の多様性を誇る街だった。世界中からありとあらゆる人種がやってくる街。金銭的にかなり無理をした1年間のマンハッタン生活を経て、クイーンズに引っ越した。自分の身の丈に合っていると思ったのだ。その後の8年間近くを過ごしたクイーンズでは、話される言語の数は800にものぼるという。

 ニューヨークはモザイクだとはよく言ったものだ。肌が褐色なのに、鳶色の目をしている人に出会ってはっとすることがある。トリニダード・トバコという名前の国がある。宗教マイノリティとして祖国で迫害され、難民の資格をとってこの街にやってきた人がいる。シングル・マザーのコミューンで育てられた人、カルト教団に生まれ育ったけれど、その人生と決別してこの街に出てきた人がいる。故郷では自分がゲイだということを誰にも公表できずに、ニューヨークに出てきて初めて、自分を見つけることができた人がいる。レズビアンだけれど、ストレートの女の子とばかり付き合っている人がいる。地下鉄の構内で、世にも美しい歌声に出会うことがある。クイーンズのプロジェクトから、ブルックリンのDIYの箱から、大スターが生まれる。

 そんな街で、自分ははっきり言って凡庸だった。日本人の両親のもとに生まれ、東京で育ったという 自分の出自はかなり退屈なものに思えた。「みんなと同じ」がいいと教えられ、それができなかったから飛び出してきた。ところがニューヨークの価値観はまったく違った。「みんなと同じ」程度できたくらいではダメなのだ。みんなと同じだと、誰の目にも止まらない。みんなと同じであることが得なのは、多数決や世論調査のなかだけだ。

 国の民族的・文化的多様性を図る指標として頻用される指標がいくつかある。2002年にハーバード・インスティテュート・オブ・エコノミック・リサーチが発表した「Fractionalization」を見ても、スタンフォード大学のジェームス・D・フィーロンによる「Ethnic and Cultural Diversity by Country」を見ても、日本は、韓国や北朝鮮と並んで世界でもっとも多様性の低い国のひとつである。「同じ」が奨励されるのも、人口の絶対多数が人種というアイデンティティの大きな柱を共有しているからだ。日本が世界の中でもかなり特殊な場所である、ということがわかったのは、外に出てからだ。

 そのうえ、ニューヨークに暮らしていると、「あなたは何者ですか?」という問いに頻繁に直面する。会ったばかりの人たちに、自分が何者であるかを説明しなければならない機会も多い。そして何かにつけ、意見を求められる。「同じ」であることは誰からも求められない。そんな街で、自分は少しずつ、それまで教え込まれてきた刷り込みから解放された。意見を言うことがだんだん快感になった。自分が何者であるかを語れるようにもなった。

 同時に、自分が想像すらしたこともなかった多様なバックグラウンドからやってきたニューヨーカーたちのストーリーに夢中になった。この街に暮らす人たちが、世界中からやってきた表現者が、どういう場所で育ち、アイデンティティを身に付けたのか、そしてそれが彼らの生き方や表現にどう影響しているか、という疑問は私を夢中にした。そしていつしかそれが生業になった。(続く)

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佐久間裕美子『ピンヒールははかない』

めいっぱい生きる。
NYブルックリンひとり暮らし。どこまでも走り続けたい。

ニューヨークで暮らすようになって、もうすぐ20年になる。
ここでは「シングル=不幸」と思わせるプレッシャーがない。
周りには、果敢に恋愛や別れを繰り返しながら、社会の中で生き生きと頑張っている女性が山ほどいる。一生懸命生きれば生きるほど、人生は簡単ではないけれど、せっかくだったら、フルスロットルでめいっぱい生きたい。だから自分の足を減速させるピンヒールははかない。
大都会、シングルライフ、女と女と女の話。