1. 片山さつきと名誉棄損

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 最近は、一周回って片山さつき大臣が好きっちゃ好きである。

 文春の口利き報道に対して、名誉棄損の訴えを起こすとは、国民への説明責任を全く果たしてないとのご意見に異論を唱えるつもりは毛頭ない。

 自身の名誉を傷つける内容を広い範囲にばらまかれながら、発信力が弱いあまり泣き寝入りしなければならない庶民が、それじゃあんまりも悔しいからと、謝罪広告や損害賠償を法廷で求めるなら、わかる。だけど、発信力がある人は、自らの言葉で広く真実を語り、聴衆の判断を仰ぐのが王道ではないだろうか。裁判所にすがりつくなんて邪道もいいとこのはず。

 だから、アメリカでは政治家などの公人には、現実的に、裁判所に名誉棄損を訴え出る道はほぼ残されていない。日本だと、真実か、または、真実と信じたことについて相当な理由があったことについて、報道機関の側が証明しなければならない。だが、アメリカでは、たとえ、相当に雑な調査で適当に報道していても、誤解していたとしても、そいつを貶めてやれという「現実の悪意」がない限り、名誉棄損は成立しない。その心は、公人たるもの、言論には言論で対抗せよということ。

 日本で、名誉棄損を多用する政治家は稲田朋美さんですね。保守派の女性論客なる方々は、めっちゃ気が強そうで、意外と気が弱いのかも。

 そう考えると、片山さつきさんは、名誉棄損に訴え出る必要なんて全くなかったのである。だって、真相を自らの口で説明すると題した彼女の記者会見には、多くのマスコミが集まった。その次の日のビビットは「写真撮影の時間があるの。あらそう」とまんざらでもなさそうに頷いた片山御大が、あごをきゅっとひいてカメラに刺すような視線を送るところを、なんと横からかなりの寄りで報じていた(←明らかな悪意があった)。そして、その瞬間にたかれたフラッシュの眩しさ。これほど注目された会見なのだから、こっちのほうが絶対に説得力があるでしょっていうストーリーを、カメラの向こうの皆々様に語ればそれでおさまるはずだった。

2. 片山さつきとファッション

 だが、名誉棄損に訴えるという邪道を通ろうとしていても、私は、さつきさんが嫌いではない。女の業の深さが彼女の中に集約されている。

 ハロウィンに小池百合子都知事がご披露されていた、「銀河鉄道999」のメーテルを拝見したときにも、女というのは難儀な生き物だと実感した。詳しくはないけど、「銀河鉄道999」のメーテルって「謎の美女」としてファンも多いんでしょ? それに扮することで小池さんにはどんな得があるんだろう。デビルとかゾンビとか、悪役に扮したほうが好感度が上がるかもしれないのに、それができないのが、女の難しさなのだろう。

 さつきさんの公式ホームページに、「私のマニフェスト」「自由主義政党の理念」と並んで、「ファッションとライフスタイル」「さつきフォトギャラリー」というコーナーがあることを知ったときに、一周回って、片山さつきという女性を愛おしく感じた。(「さつき人生相談」に至っては、「なぜそれをさつきさんにお聞きになります?」という気持ちがないではない。)

3. 女を降りられない女たち

 つまり、これは私たちの宿命なのだけど、女というのはとても難しいのである。年を取るに従い魅力を増す男性は多い。経験は余裕を作る。ロマンスグレーだって素敵だろう。ところが、女性の場合には必ずしもそうではない。

 そんなことないよ。年を取るにしたがって女性だって魅力を増すよって。そう言ってくれる人もたくさんいると思うよ。私だって35歳になると、みんな気を遣ってそういう言い方をするようになるもん。でも、そう言ってくる人の瞳の中を私はのぞき込んでしまう。ほんとにそう思ってたら、いちいちそんなこと言います?

 29歳のときに、初対面の男性に年齢を聞かれて答えたところ、「なんだ、ババアかよ」と言われて、かなりびっくりしたの。だけどさ、そのとき思ったのは、教養がある人は、こんなバカをあえて丸出しにするようなこと、直接口には出さないけど、でもほんとのところは思っている人もいるのかなって。

 私は、別に、この風潮を肯定しているわけではない。だからといって、日本の男は自分が幼稚だから若さを好むのよとか、そんな単純にひとくくりにするつもりもない。ただ、なんとなくうっすらと若さを貴ぶ空気があるでしょってことが言いたいだけ。

 かつて可愛いともてはやされた女にとってほど、これは残酷なことなのだろう。ある人は、オバサン戦略を取る。ある年齢以降に「私なんてもうおばさんだから……若い子は若い子で」的なことを聞かれてもないのに、決まり文句のように口にするようになる。別の人は、お母さん戦略を取る。「もう彼女は、私にとっては娘みたいな年齢だから。かわいくてかわいくて」みたいな。

 そうやって、私はもうこの娘たちと同列に並んでないから。もう比べないでって。第一線で女を張ることを降りようとする。

 ところが、女を張り合うという難儀な競技を降りられない女たちもいる。

4. 社会によって作られた女たち

 女がうまく女から解脱していくことって、とっても難しいのだろう。それは私たちだけの責任ではない。

 若いときにさんざんちやほやして、そうやって、ある意味、みんなでよってたかってその女の立ち位置をたかくたかーく持ち上げたわけでしょ。その階段を降りたくないと思う女王様に、「君は女としてではなく、人間として価値を発揮しなきゃいけない」って言ったって無理だよ。誰もそんなこと教えてこなかったんだもん。そもそも、この期に及んでも誰もそんなこと言ってくれてすらないかもよ。

 だって、結局、片山さつきさんは唯一の「女性」大臣って言われるわけ。延々と女性を背負わされるわけ。これって、社会の責任でもあると思う。

 そうやって、よってたかって因果な女を作り上げたうえでね、それを理由に攻撃するってのもどうかなって思うわけよ。

 いや、もちろん、さつき先生の場合には、直接に女性性が問題となっているわけではないですよ。もちろん、皆様に直接説得力のある説明を提供すればいいんだと思うよ。だけどさ、私が思うに、新任閣僚の中で誰を狙うかってところで、週刊誌はまずはじめにさつきさんから始めたんだと思うんだよね。

 唯一の女性だから。目立つから。面白いから。

 だからさ、そういうのって、あんまり公平じゃないんじゃないって、私はそう思います。

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