「“上限なし”の難民受け入れ」後に突きつけられた現実

ドイツ南部バイエルン州の州議会選を前に、与党の会議に参加するメルケル首相(右)とゼーホーファー内相(ベルリン 2018年10月9日、写真提供:ゲッティ=共同)

 ドイツのメルケル首相が先月(2018年10月)29日、キリスト教民主同盟(CDU)の党首の座から降りることを表明した。首相の座には2021年までの任期一杯止まるとしているが、その政治基盤は大きく弱体化することになる。党首として18年余り、首相に就いてからは13年、安定を誇り、「欧州の盟主」とも言われたメルケルにも、いよいよ「終わりの始まり」が訪れた。

 党首辞任表明の直接のきっかけは10月に行われた二つの州議会選挙で、連立与党のキリスト教社会同盟(CSU)、CDUが相次いで大敗したことだ。地方選挙ではあったが、昨年9月の総選挙以来、一向に収束しない国政の連立与党(CDU・CSUと社会民主党(SPD))内の政策不一致に有権者が嫌気をさしたのである。

 この不一致とは、端的に言えば、2015年9月にメルケルが決断した難民受け入れ政策を巡ってである。寛容な難民受け入れを維持しようとするメルケルやSPDに対し、CSU党首でもあるゼーホーファー内相は、厳格な難民受け入れ制限を掲げてしばしば対立し、政権発足半年余りの間に、政権崩壊危機のニュースが2度にわたりメディアを駆け巡った。

 今から3年ほど前の2015年9月5日、ハンガリーのブダペストから電車でドイツ南部のミュンヘンに続々と到着する難民を、「ドイツへようこそ」とプラカードを掲げて多くのドイツ人が迎えた。それが始まりだった。

 ブダペストにとどまっていた多数の難民の受け入れを決めたのはメルケルだった。相前後して、人道的立場から「上限無し」の難民受け入れを言明し、難民収容施設を訪れ難民といっしょに自撮り撮影に応じたりした。

 確かに、ブダペストにいた難民たちは、徒歩ででもドイツに向かう姿勢を示し、実際に行進を始めていたし、非人道的状況を放置しているわけにはいかなかった。ただ、メルケルが難民を無制限に受け入れるかのような言動を繰り返したことが、難民流入に輪をかけたことは否定できない。

 ドイツ内務省は国境の管理強化に踏み切ったが、9月以降、流入する難民は急増し、難民流入数は2015年に89万人、2016年には28万人に達した。今日までにその数は、140万人を越える。

 最も厳しい対応を迫られたのは、ドイツの地方自治体だった。割り当てられた難民を収容する施設の建設や、難民の生活保障に追われた。小さな町や村の体育施設などが暫定的な難民収容施設として使われたりした。

 当初、総じてドイツ国民はこうした事態に善意を持って対応した。「歓迎文化」(ドイツ語でWillkommenskultur)という言葉が生まれ、収容施設では使命感に燃えて働くボランティアの姿も多かった。またメルケルは「我々はやり遂げる」(Wir schaffen das.)と国民の人道精神を鼓舞し続けた。

 

2015年大晦日に難民の若者たちが起こした事件

 しかし、そうした人道の熱に浮かされたような雰囲気の中で、国民の間には不満や不安もわだかまっていた。地方自治体の長200人が、難民受け入れが限界に来ていると訴える、メルケル宛ての手紙を公開したこともあった。

 大きな節目となったのが、2015年の大晦日に西部の都市ケルンで起きた難民の若者たちによる、ドイツ人女性に対する性的暴行事件の発生だった。この事件を境に、ドイツ社会の雰囲気は大きく変わったと言われる。人道といういわば「たてまえ」が先行していた社会に、これまで伏在していた、難民受け入れに対する反感や不安の「本音」が頭をもたげたのである。

 難民受け入れに反対の右派ポピュリズム政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が台頭し、2017年9月の連邦議会(下院)選挙では、右派政党としては戦後(西)ドイツでは初めて議席を得た。ナチ・ドイツの経験から、右派政党には著しい拒否反応を示すドイツでAfDが議席を得たことは、ドイツ政治の一つの分水嶺となったと言っても過言ではない。

 その一方で、難民受け入れに寛容な国民は、ごたごた続きの国政与党から、理想主義的な左派の「緑の党」などに支持を移した。国民世論は難民問題を巡り、左右に分極化し、これまで幅広い国民層を束ねていた「国民政党」であるCDU・CSUとSPDは著しく弱体化してしまった。

 こうした現状を見るにつけ、なぜメルケルは難民受け入れを決断したのか、という疑問に突き当たる。

 2015年当時よく言われた分析が、労働力確保のために難民を受け入れた、という見方だった。確かにドイツ社会も、日本と同様、少子高齢化が深刻化しており、労働力の確保は課題である。ドイツに殺到した難民のうち、18歳から30歳までが全体の3割を占め、この年齢層の約7割が男性だった。政治的迫害や戦乱を逃れた、本当の意味での難民が含まれていたことは確かだが、大半はドイツでよりよい生活や就業を求めるいわゆる「経済難民」だった。実際、経済界の一部には、こうした難民の状況を見て、労働力獲得の期待もあった。

 

篤い倫理観を持つメルケルは、国民の本音に無自覚すぎた

 ただ、私の見るところ、今回の難民受け入れに決定的な役割を果たしたのは、やはり、メルケル自身の倫理観と、それを支えるドイツ人の理想主義的な国民性である。

 メルケルの倫理観については、拙著『メルケルと右傾化するドイツ』(光文社新書、2018年)、ドイツ人の理想主義については『ドイツリスク 「夢見る政治」が引き起こす混乱』(同、2015年)で、それぞれかなり詳しく分析した。

 詳細は省くが、プロテスタント(福音主義)牧師の家庭に生まれたメルケルは、障害者施設と同じ敷地にある牧師館で育ち、幼いときから弱者の人権に対する篤い倫理観を育んだ。政治家になってからも、政策に倫理的な筋を通そうとしたところに、メルケル政治の一つの特色があった。それは、人道的な難民受け入れという内政だけでなく、いわゆるロシアや中国に対する人権外交においてもそうであった。

 そしてドイツ人の理想主義については、拙著で経済性を度外視した脱原発などの環境理想主義が様々な混乱を生んでいる状況を報告した。メルケルの人道主義は、ドイツ人が持つこうした国民性に支えられてこそ可能だった。

 しかし、いくらドイツ人に理想主義的傾向が強いからと言って、国民の全てが無限に利他的になれるわけではなく、そこには自ずと限界がある。普通の人々が求めるのが、まずは生活の安全、安定であることは洋の東西を問わない。「たてまえ」と「本音」は人々の心の中に併存するが、自分自身の生活が脅かされると感じれば、「本音」が表に出てくることは、むしろ自然なことだろう。

『本音化するヨーロッパ 裏切られた統合の理想』

 私はそうした難民受け入れや、それを進めてきたエリート層への反感が拡大する現状を「本音化」ととらえて、拙著『本音化するヨーロッパ  裏切られた統合の理想』(幻冬舎、2018年)で報告した。

 メルケルのキリスト教倫理に基づく人道主義の確かさを、私自身は疑わないが、メルケルはドイツ国民、あるいは人間一般のいわば「本音」に対して余りに鈍感だったのではないか。

 メルケルは2015年9月に行われた記者会見で、「緊急事態において親切な顔を見せたことについて謝罪しなければならないとしたら、それはもはや私の国ではない」と、難民受け入れに対する批判に対して反論した。しかし、人道の旗を掲げさえすれば、国民がついてくる、とメルケルが考えていたとしたら、それは人間社会の見方として甘かったとのそしりは免れないだろう。

 有名なドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは、政治家に不可欠な資質として「責任倫理」をあげた。ある行為がどのような結果をもたらすかを予見して、適切な手段をとることが政治家にとって不可欠の資質である。これと対になる概念が「心情倫理」であり、宗教者のように、おのれがよいと信ずるままに行為するあり方である。

 こうしたドイツ政治の偉大な先人が定式化した考え方に、メルケルはどこまで自覚的だったのだろうか。ただ、この3年余りのドイツ政治を辿っていくと、メルケルは自らの「心情倫理」を存分に発揮したが、その結果、自分で自分の首を絞め、ドイツ内外に大きな混乱を招いてしまった、という結論に行き着かざるを得ない。

 

 

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