締め切りが守れない……

 フリー3年目の2017年は、9冊の本をつくりました。でも、4年目の今年はガクンと減って4冊だけ。来年に発売延期となったのが2冊、無期限延期となったのが1冊……つまり締め切りを守れませんでした(この連載だって締め切りを延ばしてもらってますし)。そんな不甲斐ない自分への自戒を込めて、今回取り上げるのは印象派を代表する画家・モネです。

《睡蓮》の作品群の制作は、主に60歳を過ぎてから

 歴史や宗教に基づくシーンを描くことが主流だった時代に、風景画で独自の画風を切り開いたモネ。彼の人生の概略がこちらです。

1840年 0歳
パリで生まれる。

1845年 4〜5歳の頃
ノルマンディ地方のル・アーヴルへ引っ越す。

1851年 10歳の頃
中学校に入学。勉強は嫌いだったが、当時のフランスで流行っていたカリカチュア(似顔絵のような戯画)を描くのがうまく、15歳の頃には街で評判となる。モネはこのカリカチュアを売って小遣いを稼いでいた。

1858年 17歳の頃
画家・ブーダンと出会い、カリカチュアではなく風景画を描くことをすすめられる。モネは後年、「画家になれたのはブーダンのおかげ」と言っている。

1859年 18歳の頃
画家になるためにパリへ。以後、42歳でジヴェルニー村に引っ越すまで、写生旅行や引っ越しなどで各地を転々とする。

1865年 24歳の頃
サロンに出品した作品が初入選。アルファベット順でマネの隣に作品が展示される。翌年も入選するが、ある新聞では「モネかマネか、モネである! しかしこのモネがあるのはマネのおかげなのだ。上出来だ、モネ! ありがとう、マネ!」とからかわれた。ちなみに、20代の頃のモネのあだ名は「ダンディ」。お金がないのに、オシャレなシャツを着ていたからだそう。

1874年 33歳の頃
仲間たちと独自の展覧会を開催。しかし、モネの作品《印象、日の出》は批評家に「制作中の壁紙でもこれよりは仕上がっている」と酷評される。その批評家がこの展覧会を「印象主義者展」と呼んだのがきっかけで、「印象主義」という言葉が誕生した。

1878年 37歳の頃
家賃が払えなくなって引っ越すことに。借金の一部をマネに肩代わりしてもらう。この時期は、絵の具も買えないほど貧しかったそう。

1879年 38歳の頃
妻・カミーユが亡くなる。その後、40歳を過ぎてからやっと経済面も落ち着き始める。

1883年 42歳の頃
パリから約70km離れたジヴェルニー村に引っ越す。

1888年 47歳の頃
《積みわら》を描き、連作を描き始める。以後《ポプラ並木》《ルーアン大聖堂》などの連作を描く。

1892年 51歳の頃
アリスと再婚。50代後半には、モネは画家としてフランス以外の国でも知られるようになる。

1899〜1900年 58歳〜60歳の頃
睡蓮の池の作品制作を本格的にスタート。

1918年 77歳の頃
友人であるフランスの首相・クレマンソーに手紙を送り、制作中だった《睡蓮》の大装飾画を国に寄贈することを提案。作品はモネの死後、オランジュリー美術館に展示されることに。ほかにも、86歳で亡くなるまでにモネが描いた《睡蓮》の作品群は数百点にもおよぶ。


 完璧主義者だったモネ。彼はよく、納得のいかない作品を破壊していたそうです。また、66歳の頃、展覧会を直前になって延期にした際は、画廊主にこんな手紙を送っています。

 延期しようと決めたのは、とても無理だと考えたからです。私が自分に対して厳しいというのは、その通りかもしれません。しかし、平凡な作品を展示するよりはましでしょう。

 こんな締め切りの延ばし方……僕には絶対できない。画廊主さん、さぞ頭を抱えたことでしょう。

「不安」と「期待」を行ったり来たり


描けば描くほど、
感じたものを表現するのが
下手だと思い知らされるばかりです。

 

 不安を吐露したこの言葉は、52歳のモネが友人に送った手紙の一部です。そのつづきには、こう書かれています。

 しかし、ひとつの作品を仕上げたと言える人がいたなら、恐ろしく傲慢なことだと自分に言い聞かせています。

 彼にとって作品とは、どんなにうまく描けても未完成であり、常に「完成」を目指して描きつづけるものだったのでしょう。ほかにもモネは友人や妻に宛てた別の手紙で、何度もこんな弱音を吐いています。

「なにも信じられなくなり、気がめいっています」
「本当のことを言うと、楽しくはなく、ふさいだ気分です」
「なにもかも川に投げ込んでしまいたい気分でした」
「気がめいり、絵がすっかり嫌になってしまいました」
「求めているものがまるでつかめない」
「自分がからっぽで無能に感じられる」

 一方で、期待や達成感もこのように書き記しています。

「自然を見ていると、全てを描けるような、なんでもできるような気がする」
「もっと良いものにできるだろうという気持ちや熱意は変わっていません」
「続けていけば、なにか生み出せるだろうと期待しています」
「結果に満足しているとはいえませんが、それでも進歩したと思っています」

 おそらくモネは、「不安」と「期待」の間でグワングワンと揺れ動く……そんな日々を過ごしていたのではないでしょうか。でも、その激しい感情の往復こそが、作品を生み出す原動力となっていたはず。
 晩年、《睡蓮》大装飾画の制作時も、目の病気の影響などで完成が延期となり、納得のいく作品がつくれないために一時は契約破棄も考えたそうです。それでも最後の力を振り絞って描きつづけ、86歳でついに力尽きたモネ。日々の仕事で「これでいいや」と手を抜きそうになる時は、妥協を一切許さない彼の生き様を思い浮かべると、いい叱咤激励になりそうです。

……とはいえ僕はモネではないので、締め切りは守るよう本当に気をつけます。

 それでは今週も行ってらっしゃい!

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