静岡県浜松市で起こった残虐な連続放火殺人事件。しかし「ドS」な美人刑事・黒井マヤは現場で「死体に萌える」ばかりでやる気ゼロ。振り回されっぱなしの相棒・代官山脩介は被害者の間で受け渡される「悪意のバトン」の存在に気づくが――。
 ベストセラー「ドS刑事シリーズ」の記念すべき第1作、『ドS刑事 風が吹けば桶屋が儲かる殺人事件』。すべてはここから始まったのです……! 今回は特別に、物語の序盤を公開します。

現場検証

 車は海老塚町の住宅街に入っていた。一方通行の路地が入り組んでいるので少し迷ったが、何とか現場に到着することができた。車が一台通れるほどの路地に面した三階建ての鉄筋コンクリートのマンションだった。建物の側壁面には「ホワイトコート海老塚」と刻まれている。それぞれの階に三戸ずつ1DKが整然と並んでいるが、一階の角部屋のベランダだけがブルーシートで覆われていた。シートの隙間からは真っ黒に煤けた壁面が見え隠れする。ベランダの前の植え込みも一部が焦げて黒く変色していた。

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 代官山たちは車を降りた。マンションの入り口には立ち入り禁止テープが張られていて、住民と捜査関係者以外は入れないよう交番勤務の若い警官が立っている。

「行きましょう」

 代官山はマヤを促して、警察手帳を警官に提示しながらテープをくぐる。マヤも同じようにしながら、代官山が引っぱり上げているテープの隙間をくぐった。

 部屋の内部は洞窟を思わせた。壁も床も天井も、数々の家具や家電も墨汁でりつぶしたように真っ黒だった。部屋の一番奥、ベランダ側の半分開いた窓ガラスも同じように煤けている。

 火の手が上がったのは深夜二時頃で、その一時間後に消し止められた。それから七時間はたっているが、部屋の中はまだ焦げ臭い。

「ガソリンだけにひどいですね」

 夥しい数の衣装や、床に転がったぬいぐるみも灰同然だ。食器や花瓶などの陶器類が、真っ黒に焦げていた。火の勢いは相当に強かったと想像できる。

 ベランダに出ると、遠くから蝉の鳴き声が聞こえてくる。ベランダと部屋を仕切るスライド式の窓ガラスは、強烈な熱で細かいひび割れが走っているうえ真っ黒に焦げている。

「昨夜はかなり暑かったわよね」

 マヤが窓を眺めながら代官山に声をかける。

「六月の終わりから熱帯夜が続いてますからね。七月に入ってさらに暑くなりましたから」

 先日のニュースで今年の夏は例年以上の猛暑になるだろうと気象庁が予測を出していた。まだ七月に入ったばかりだ。

「妙ねえ……」

 角度を変えながら窓ガラスを検分しているマヤがぽつりとつぶやいた。

「何が妙なんです?」

 代官山は振り返り、ベランダを覆っているブルーシートに背を向けて問い質す。

「このガラスは防犯用に鉄線が入っているし厚いわ。それに網戸もない……」

「それが何か?」

 マヤは半分ほど開かれた窓の隙間から外のベランダ……いや窓の隙間をじっと見つめている。

「あなた、昨夜寝るときエアコンつけた?」

「え、ええ。昨夜は特に暑かったですからね。僕は暑がりなんで、ないと眠れませんよ」

 今週に入ってから就寝時にはエアコンをつけっぱなしだ。そうでなければとても寝つけない。

「ふつうはそうするわね。でも、ここの二人はつけてない。ちゃんと設置されているにもかかわらずよ」

 マヤは壁の上を指さした。

「まあ、そうですね。ベランダの窓が開いたままということは、エアコンをつけずに外の風を入れていたんでしょうね」

 代官山はプラスティック部分が熱で溶けてしまいもはやエアコンとは呼べない残骸を見上げながら言った。

「じゃあ、火炎瓶を投げ込んだ犯人は、あの時間にベランダの窓が開いていることを確信していたということになるわね。この窓ガラスはそれなりに厚いし、鉄線が入っているから火炎瓶を投げつけたところで割れない。だから窓が開いてないと部屋の中に投げ込めない」

 たしかに彼女の言うことも一理ある。犯人は火炎瓶を用意していたほどだから、何らかの理由で放火する意志は強かったはずだ。しかしベランダの窓が閉まっていては意味がない。せいぜいベランダの一部を焦がすだけのことだ。

「犯人は被害者に明確な殺意を持ってなかったんじゃないですか。つまり流しの放火魔ということです。夜の街を徘徊していたらたまたまベランダの窓を開けたままの部屋を見つけた。気まぐれに火炎瓶を投げ込んだ」

「火炎瓶をわざわざ用意して?」

「三年ほど前かな。城北二丁目で火炎瓶を使った連続放火事件がありましたよ。受験に行き詰まった浪人生が現行犯で捕まりました。無作為に選んだ家屋に投げつけて鬱憤を晴らしていたわけです。死者が出なかっただけでも幸いですけどね」

 浜松市中区城北で起こった放火事件の犯人は、住人に具体的な怨恨や殺意は抱いてなかった。鬱憤が晴らせれば誰の家でもよかったのだ。

「代官様は被害者の命を狙った放火だとは思わないわけ?」

 マヤが漆のような黒髪に指を通しながら尋ねた。

「城北のケースと同じだと思いますね。被害者の荒木浩文と宮坂由衣はあの時刻に窓を開けたままにしておいた。彼らに明確な殺意を持った人間の犯行だとしても、犯人は窓が開いているかどうかまで予測できないでしょう」

「冷房嫌いの人って結構いると思うんだけど。そういう人は窓を開けたまま寝るわよね」

 部屋の中が真っ黒に塗り込められているので、陶器を思わせるきめ細かなマヤの肌がまるで深海魚のように乳白色にぼんやりと光って見える。どちらかといえば地味で古風な系統の顔立ちが、彼女の美しさを内面に押し込めているように思える。

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「冷房嫌い……。では犯人はそれを知っていたということですかね。でもやっぱり不確実でしょ。荒木と宮坂はこの部屋で同棲していた。二人揃ってそうだとは限らない。この連日の熱帯夜ですからね。冷房嫌いじゃない方は耐えられないですよ。片方の意見を尊重してつけることだってあると思います。つまり絶対に窓が開いているという確実な保証はないということです」

 現時点ではめぼしい目撃情報も物証も得られていない。もし被害者たちと面識も交友も利害関係もない人物が犯人なら難渋しそうだ。

 扉を眺めていたマヤが代官山の立つベランダに出てきた。ベランダといっても大人二人がギリギリ収まる程度の広さしかない。この部屋は一階なので、ベランダのすぐ外は植え込みで覆われており、それを抜けると数台分の駐車場が広がっている。ブルーシートの隙間から覗くと住人たちの車が並んでいた。

「この部屋は一階だし、植え込みがあるけど火炎瓶を投げ込むことはそう難しくなさそうね」

 代官山は頷いて彼女に同意した。植え込みが多少邪魔になるが、ベランダの奥行きが狭いので、木々の隙間に身体を押し入れてしまえば四つの火炎瓶を開いたドアの隙間に投げ込むのは難しくない。

 気がつけばマヤの視線がベランダの片隅に向いていた。そこにはエアコンの室外機がある。窓ガラスが炎の直撃を防いでいてくれたようで、若干黒ずんだ程度に留まっている。

「私は、犯人は明確に殺意を持っていたと思うのよねえ」

「そうですかねえ……」

 マヤはベランダの外を指さしながらさらに続けた。

「もし城北のような放火魔だったら、家屋が派手に燃えるシチュエーションを求めるでしょう。このマンションは鉄筋コンクリートよ。ガソリン入りの火炎瓶でもせいぜい今回のように一部屋燃やすのがやっとだわ。周囲を見なさいよ。派手に焼けそうな木造の一軒家がたくさんあるじゃない。私だったらそちらの方をじゃんじゃん燃やすわよ。その方が断然楽しいじゃない」

 マヤが嬉しそうに言う。

「楽しいとか言わないでくださいよ」

 しかし、なるほどとも思う。

 ここら一帯はマンションも増えているが、もともと古い街並みで木造の一軒家も多い。放火をするならそちらの方が派手に燃える。激しく広がる炎は隣家をも巻き込んで延焼するかもしれない。鬱憤を晴らすのが目的ならそうするだろう。思えば城北の浪人生も鉄筋マンションではなく、木造の一軒家ばかりを狙っていた。

「つまりこういうことですか。犯人は被害者たちがその時間に窓を開けたままにしておくことを確信していた。だから火炎瓶を使った」

「それだけじゃないわ。犯人は被害者たちがシャブ中であること、その時間にラリってることも知っていたと思う。いくら火炎瓶でも意識のはっきりしている二人の大人を確実に仕留めるのは難しいわ。彼らが逃げ遅れたのは火の回りが早かったのはもちろん、当時正常な判断ができなかったからよ。そうでなければ火炎瓶を同時に二人に直撃でもさせない限り、少なくとも一人は助かるはずよ」

 マヤは視線を室外機に固定したまま言った。やはりさっきから室外機を気にしている。

「ただ、やっぱり火炎瓶を使うことには不確実性が伴うんですよね。その夜、絶対に窓が開いているという保証がどこにあるんです。それか犯人は開く機会をずっと窺っていたとか? それだと目撃者の一人や二人出てきますよ」

 そのとき、廊下から足音が聞こえてきた。マヤがその音に反応して玄関に向かう。何事かと代官山も彼女について行った。廊下に出ると、隣の部屋の青年が玄関扉にキーを差し込んでいる最中だった。

「ちょっと、あなた」

 マヤが声をかけると、青年は手を止めてこちらに顔を向けた。部屋に引きこもってネットゲームに没頭していそうなイメージの、覇気のない目をした小太りの青年だった。Tシャツにはいわゆる萌え系のアニメキャラがデザインされている。年齢は二十代前半といったところか。神田となら話が合いそうだ。

「県警捜査一課の者です」

 マヤは青年に向かって警察手帳を掲げた。

「マジ? 本物の女刑事なんすか。マジ萌え~」

「なにコイツ。キモいんですけど」

 マヤが青年に向かって露骨に眉をひそめて言い放った。

「ちょ、ちょっと、黒井さん。キモいはまずいですよ」

 代官山はマヤの袖を引っぱって耳元で声を尖らせた。

「もしかしてツンデレ系ですか?」

 青年はマヤに興味津々だ。美人でドSっぽいマヤのキャラクターは彼のツボなのだろうか。

「少し話を聞かせてもらっていい?」

「どうぞ、どうぞ。一〇三号室の放火のことでしょ」

 青年は嬉しそうに答える。代官山は思わず苦笑してしまった。捜査員が美人だと手っ取り早い。

(気になる続きは本書にて!)

◇ ◇ ◇

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