何かが、ゆっくりと形を変えはじめている。何が、どんなふうに変わっているのか、その姿をみることはできない。もしかしたら素晴らしい姿になるのかもしれないし、醜い姿になるのかもしれない。いや、でもそもそもーー。今、それはどんな形なのかーー? よく考えればそれすら、わたしはつかめていない。

 

 けれど、何かが変わる……、その気配だけは、あたり一面に漂っている。日を追うごとに気配は濃くなり、いまや無視できないほどだ。変化はもう止められそうにない。もう、受け入れるしかない。

 

 

 

(どうなっちゃうんだろう)

 

 

 

 脳内で、そうつぶやいた。

 

 

 

(ねえ、わたしたち、どうなっちゃうんだろう?)

 

 

 

 主語を明確にしてそう問い開けた途端、シーツがこすれる音がして、隣の彼が寝返りを打った。わたしに背を向けて、ふたたび眠る彼。それが不吉な展開への伏線になるような気がして、目を背けた。暗闇で輪郭が曖昧になった天井は、どこまでも続くトンネルのようだ。

 

 

 

 これほどまでに、不安定な気持ちになるのは久しぶりだ。これはそう、変化の入り口に立ったときに、何度も訪れてきた感覚だ。

 

 

 

 以前、こんなことを書いたことがある。

 

「何かを変えるには幾らかの勇気が必要で、その時必ず伴うあの独特の『不安』や『孤独』は、人をひどく憂鬱にさせる。自分で決めたことなのに直前になって『なんでこんなことを』『間違えたかな』と思う。でもきっと、変化の入り口はそういう造りになってるのだとも思う。安心して進め。話はそこからだ」

 

 

 

 “変化の入り口”に立った時、よく思い出すことがある。

 

「変化の入り口は、小説をめくる瞬間に似ている」というものだ。

 

 

 

 別に誰の言葉でもない。大学の頃、小説を読みながら不意に思ったことだ。物語はもうすでに用意されていて、続きがあるのもわかっている。もう戻ることもできないし、次に進むしかない。けれどそのページをめくったときの、物語の一瞬の息継ぎ、一瞬の空白。どこにも属さない瞬間と、わずかなためらい。

 

 変化の入り口は、どうもあの瞬間に似ていると思うのだ。

 

 

 

 今まさにわたしはそこに立っていて、物語の継ぎ目、つまり足場のない場所にいる。変化はこのあと必ず起こるし、けれど見えない展開に対して不安定な気持ちになるのも仕方がなく……と、そこまでつらつら考えたところで、先よりももっと大きな音で彼が寝返りを打って、こちらを向いた。

 

 

 

 んんん。小さな声をだして、顔をしかめる。

 

 そうして眠ったまま腕を伸ばして、わたしを探しだした。

 

 抱き寄せた力は、起きているのかと疑うほどに強い。

 

 

 

「人生は考えるものじゃなく生きるものなのよ」。

 

 

 

 突如、語りかけられた気がした。彼にではなく、治子に。これは江國香織さんの小説、『思いわずらうことなく愉しく生きよ』に出てくるセリフなのだ。そして、もうひとつ。「可笑しいことに、なまものは後ろへ進めない」。こっちは、中島みゆきさんの『サメの歌』のワンフレーズ。

 

 

 

 人生のなかで拾い集めた言葉たちが、こういうときは役に立つ。変化の入り口はいつも、ほのかに影を落とすものなのだ。人生はどれだけ考えていても何も変わらない。生きなければ。進めなければ。

 

 

 

 眠っている彼の手をとり、しっかり結んで、彼の寝息に合わせて呼吸をする。寂しい日も、悲しい日も、眠れない夜はいつもそうする。一緒のリズムで、同じだけ息を吸って。

 

 すると、気づけば朝が来ている。これは一緒に暮らし始めてから得た、ひとつのテクニックだ。考えるよりも言葉にしてもらうよりもずっと、「一緒にいる」という感覚が得られる。

 

 

 

 

 

 翌朝、花瓶の水を替えた。

 

 花瓶の主は、サルビア。花束のなかに入っていた2本のサルビアが、予想外に根を出したのだ。他の華麗な花たちが次々色あせ、枯れていくなかで、サルビアは驚く早さで根を伸ばした。今では、小さな花瓶のなかで目一杯根っこが生え、今や絡まりそうな勢いである。小さなピンクの花には似合わないほどの、生命力。

 

 

 

 この根を、毎朝眺めては、毎朝感動してしまう。わからないことだらけだな、と思うのだ。あのたくさんの花々のなかで、予期せず根が出た。そうして、生きる、生きる、生きると叫ぶようにして、毎日根は伸びていく。君だけ違う形で、前へ進んでしまったね、と思う。

 

 

 

 サルビアのために、土を買おう。大きな鉢を買って、もっと大きくなってもらおう。

 

 

 

「どうなっちゃうんだろう」。

 

 今度ははっきりと声に出してみた。

 

 すると意外にも、その響きは期待を含んで弾んでいた。

 

 

 

 花も小説も、予想外があるから面白い。もちろん、人生も。

 

 その朝、空はここ最近で一番晴れやかな青だった。

 

 

この記事をシェア
この連載のすべての記事を見る

★がついた記事は無料会員限定