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人類滅亡小説

2018.10.29 公開 ツイート

#2 人類滅亡は200年後?――衝撃の平成版『日本沈没』誕生! 山田宗樹

 自然環境が激変、人間は死に絶えるのか? 滅びる運命の中、人はいかに生きるのか? 普段どおりの生活を続ける者、新興宗教に救いを求める者、微かな生存に望みを託す者、いっそ鮮やかな死を望む者、そして――。

 平成版『日本沈没』として話題沸騰中の、『人類滅亡小説』。『嫌われ松子の一生』『百年法』などで知られる小説家、山田宗樹さんの渾身作です。今回は特別に、物語の序盤を少しだけお届けします。

iStock.com/ABykov

自分には関わりがない。そう思っていた

「おい、にいちゃん。これ知ってるか?」

 妙に切迫した声とともに、目の前にタブレットが差し出された。驚いて振り向くと、常連の六十代男性が立っている。

「どうしたの、中根さん」

 マスターの目にも戸惑いがある。

「これだ、これ」

 中根が節くれ立った指でタブレットを叩く。そのタブレットの上半分を、曇り空の画像が占めていた。ただの雲ではない。一部が赤くなっている。画面の下半分には日本語の文章が綴られているが、字が細かくて読みづらい。

「雲がこんなふうに赤くなるんだってよ。知ってたか、にいちゃん」

 息が煙草くさい。

「雲なんて夕方になればいくらでも赤くなるでしょ」

 むっとして返すと、中根が目を剝く。

「よく見ろって。夕焼けでこんな色になるかぁ?」

 無視するとさらにしつこく絡んできそうだ。剛はしぶしぶ画像を見直す。

 その雲は濃い赤インクでも流し込んだような色をしていた。発色の仕方も、太陽に照らされているというより、内部から色素が染み出している感じがする。雲の厚みのある部分の色が強く、端にいくほど淡くなっていた。画像の下端に写り込んでいる建物の大きさから推察するに、赤くなっているのは雲のごく一部に過ぎないようだ。腕を伸ばして手のひらを空に向けると、その手のひらに隠れてしまう程度しかない。たしかに、夕焼けでこんな色の映え方はしないだろうが。

「これが撮影されたのは午後二時だ。絶対に夕焼けじゃない」

「画像が加工されてんじゃないすか。こんなの簡単にできますよ」

 中根があらためてタブレットを操作し、

「いま、こういう雲が、世界中で見つかってるんだぞ。画像検索したら、ほら、こんなに出てくる」

 鼻息を荒くして検索画面を突きつけてきた。ずらりと並んだ画像には、どれも赤い雲が写っている。色調や大きさ、形は微妙に違う。

「だからぁ、こんなのはアプリを使えばあっという間にできるの」

「ところがね、沢田くん」

 マスターが低い声で会話に入ってきた。

「ほんとらしいんだな。雲が赤くなる現象があちこちで起きてるってのは」

 剛は思わず顔を見つめる。

「なに、マスターまで」

「ちゃんとしたニュースサイトにも出てるよ。コロニー雲って呼ばれてる」

「コロニー? どういう意味」

「集落」

「なんの」

「微生物だよ」

「ミジンコとか、そういうやつ?」

「もっと小さいの。細菌とかカビの仲間とか。あの雲の中では、そういう微生物が異常に繁殖してるんだって。それが赤く見えてるってことらしいよ」

「マスター、やけに詳しいけど、ほんもの見たことあんの?」

「コロニー雲? いや、ないけど」

「だったら、ほんとにそんな雲があるかどうか、わかんないじゃん」

「でもニュースサイトでは──」

 マスターがいいかけて口を噤み、考え込むようにうつむく。

「なるほど。沢田くんのいうことも一理あるね」

〈東京〉と同じなのだ。〈コロニー雲〉は、ここにいる自分たちにとっては単なる情報でしかない。端末の画面の中にだけ存在する仮想現実かもしれないのだ。少なくとも、そうではないと言い切るだけの根拠を、いまの自分たちは持ち合わせていない。

「じゃあ、ここに書いてあることはどうなんだ?」

 中根が検索画面を閉じて最初のサイトにもどした。曇り空の画像と説明文が書いてあるページだ。マスターがタブレットを受け取って下半分の文章に目を通す。十秒もしないうちに鼻で笑い、タブレットを中根に返して、

「これはデマです」

 あっさりと断定した。

 中根は納得できない様子で、

「でも専門家がいってるんだろ」

「その専門家の先生、テレビで見たことありますけど、ありゃ詐欺師の顔ですね」

「なんの話? そこになんて書いてあんの?」

「まあ一言でいえば、コロニー雲のせいで人類は滅亡する」

「ふぁっ?」

「ただし、そうなるのは二百年後」

 思わず笑った。

「なんだ、そりゃ」

「笑いごとじゃない。少しは子孫のことを考えなさいよ」

 中根がなぜか説教口調になっている。

「だって二百年も先だよ。子孫は子孫でなんとかするんじゃないの。ていうか、デマなんでしょ?」

 マスターが無言で肩をすくめる。

「ま、どっちにしろ、おれらには関係ない話だよね」

「若いあなたがそんな無責任なことをいっちゃいけないよ。これはみんなが真剣に考えないと」

「まあまあ、中根さん。そのへんで」

 ヒートアップしそうなところにマスターが割って入った。

 中根も我に返ったのか、決まり悪そうな表情をしつつも、

「いや、これは、ほんとに、たいへんなことだと思うんだけどなあ……」

 首をひねりながらテーブル席にもどる。

 剛はマスターと苦笑を交わした。

 ドアがカランと鳴って客が入ってきた。年配の女性が三人。彼女たちも朝の常連組だ。マスターと気さくに言葉を交わしながらテーブル席に着く。そのあとも中断することなくおしゃべりが続く。彼女たちの話題に赤い雲なんて出てこない。嫁姑、介護、夫への不満、身体の不調。話題はどこまでも身近でリアルだ。奥の席の中根は、ふたたび両耳にイヤホンを差してタブレットを睨んでいる。

 剛はモーニングを平らげて珈琲を飲み干した。

「そろそろ仕事行くわ」

「がんばってね」

 代金をカウンターに置いて店を出る。ふたたびじっとりとした湿気に包まれながら、商店街の駐車場まで歩く。いまの剛にとってリアルな世界とは、とうに最盛期が過ぎて衰退しきったこの町だった。古びた建物。不便で狭い道。シャッターに落書きの目立つ商店街。そして、ここで消耗し、終わるであろう自分の人生。たとえ赤い雲が実在しようが、それが二百年後に人類を滅ぼすことになろうが、自分の一生には関わりのないものだ。おそらく、東京という街も。

 駐車場で白いコンパクトカーに近づきながら、リモコンでロックを解除する。ドアに手をかけたとき、自分は本気で有美のことが好きだったのだ、とあらためて思った。彼女が東京で就職してしまえば、もう会えなくなる。でも、こんな自分になにができるのか……。

 剛は答えを求めるように天を仰ぐ。

 空には、でこぼこした灰色の雲がひしめいている。その中の、ちょうど頭上を塞ぐ雲塊が、濃い赤インクを垂らしたように、真っ赤に染まっていた。

 

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山田宗樹

1965年、愛知県生まれ。98年「直線の死角」で第18回横溝正史ミステリ大賞を受賞。2003年に発表した『嫌われ松子の一生』が大ベストセラーになり映画化され大きな話題を呼ぶ。13年『百年法』で、第66回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。著作に『天使の代理人』『ジバク』『死者の鼓動』『乱心タウン』『いよう』など。

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