1 親に要求される「自己犠牲」

 貴乃花親方が角界を去った。今では「元貴乃花親方」が正確らしい。どれほど騒がれようとも、批判されようとも、彼のカリスマ性は否定しがたい。だってさぁ、この人のしていることが正しいかどうかはともかくとして、とにかく私たちはこの人の一挙手一投足に夢中なのだ。あのパーマのあて方とか、あのマフラーの巻き方とか、なんかちょっとウケると軽く揶揄しながらも、話題にしている時点ですでに虜である。

 さて、結局、彼は「我が子」のように思っていたと自負する弟子たちを、ある意味、置き去りにして角界を去っていくことになった。そうね。たぶん、親になりきれない大人というのは存在するのだと思う。そこで、今日はこのテーマで考えてみたい。

 最近、私の同級生は軒並み親になっている。たまにランチに出られるときには、幼稚園にお迎えに行った子どもを連れてきて、大人同士の話に花を咲かせながらも、お腹の空いた子どもにお菓子を与え、退屈した子どもに本を読み聞かせ、そして「家に帰ったら、この絵本と同じようなおっきなシャボン玉、ママと作ろうね~」とニコニコあやして帰っていく。

 子どもは子どもで可愛いと思いながらも、ランチの間にすでに腹八分目を超えるくらい、お腹いっぱいならぬ、子どもいっぱいになっていた私は、帰ってからもなお、シャボンを削って水に溶かし、ストローで吹いてみせる友人の姿を想像して、畏敬の念を新たにする(いや、シャボンとかそういう昭和っぽいものじゃなくて、いまどきのシャボン玉セットはもっと楽なんでしょうけど……)。家に帰ったら、思う存分長風呂して、好きな本でも読みたいよね。

 つまりね、何が言いたいかというと、親になるということは、主役の座を子どもに譲ることなんだろうと思う。少なくとも、子どもが小さいころは絶対にそう。子どもを真ん中にして家族写真を撮って、子どもが熱を出したら仕事を休んで、子どもが喜びそうなテーマパークを探して……。

 お母さんの自己犠牲がいいか悪いかで、のぶみさんの作詞した歌詞が炎上したことはあった。まぁ、お母さんがやるにしろ、お父さんがもっとコミットするにしろ、親のある程度の自己犠牲は避けられませんな。それを「自己犠牲」と表現するのがいいのかどうなのかとかあるけど。喜んでやってるのかもしれないけど。と  に  か  く!! 夜遅めに家に帰って、そのくせ1時間近くお風呂に入って、その後、気ままに仕事をして、気が向かないと晩酌でもしはじめる(うそ、仕事しないで晩酌)ような生活(=私の生活)で、幼い子どもが育つはずがないってこと。

2 カリスマの悲哀

 ところが、世の中には主役の座を譲れない人々がいる。これは、ワガママなどというなまっちょろいものではない。これこそまさにたぐいまれな才能なのだ。

 鼻にかかった語尾上がりの「みわはねぇ~」が決まり文句で、短く切った制服のプリーツスカートをひらひらさせて、自分自身については爪の先まで磨きがげることに余念がないのに、自分の身の回りについてはごみは落としっぱなしで、教室の掃除当番の順番が回ってきてもつゆほども気にせずに下校していった私の中学時代の友人(←友人にしてはやや悪意のある表現かもしれません)は、それでも、立派にママになった。この前、その娘のお家に遊びに行ったら、3歳の長女がティッシュ箱からティッシュを残らず引っ張り出しても、「あらあら、ママとお片づけしようね~」と遊びながらお片づけをしていた。子どもを持つことは、人を大人にするのだなぁと、しみじみ……。

 だが、世の中には我儘な凡人とはレベルを異にする圧倒的な「カリスマ」が存在する。

 貴乃花は、明らかにその一人である。

 現役時代から、彼はスターだった。若貴時代の彼の魅力は、それまでお相撲なんて興味がなかった、私のようなひねくれた少女も夢中にさせた。「よいしょっ、よいしょっ」と貴乃花の動きに合わせて体を左右にゆすりながら、祖母と一緒に真剣に取組に魅入ったのは忘れられない。

 右ひざ半月板の損傷という重傷で、誰もがほんとに誰もが「とにかく立ってるだけで偉いよ。絶対に勝てないから」と思った武蔵丸との2001年5月場所の優勝決定戦。豪快な上手投げによるまさかの勝利は、表彰式で当時の小泉純一郎総理が語った「痛みに耐えてよく頑張った! 感動した!! おめでとう!!!」という感嘆と合わさって、聴衆の心に刻印を残した。そして、その大一番からの長く続く休場とその後の散り際のはかなさ。実力はもちろんだろうが、彼はスターになるという、そういう星の下に生まれてきたのである。

 そんなカリスマは容易にスポットライトの当たる場所から去ることはできまい。

3 親になりきれない大人たちのカルマ

 いや、彼が指導者として優れていないというつもりはない。弟子に慕われていないというつもりもまさかない。っていうか、私、お相撲とか、昔、結構よく見てたわりに、ルールとか全然わからないから、わからないことをくどくど語るつもりとか一切ないの。

 単純に、仮に貴乃花が、たとえどれだけ指導者として優れていたとしても、もはや、そういう問題じゃないってこと。土俵から降りても、彼はやっぱりカリスマだったらしい。巡業でも、彼が土俵の下に姿を見せると、それだけで客席は色めきだったらしい。つまりね、天性のスターというのはそういうものなの。

 で、一度は主役の座を「我が子」である弟子に譲り渡して、裏方に回ろうとしたのであろう貴乃花も、結局、スターの宿命には抗えず、日馬富士の愛弟子・貴ノ岩に対する暴行に端を発する「貴の乱」で一躍世間の注目を集めることになる。

 そしてね、本人は角界を改革したいと信念を持っているとしてもね、もともと、この人、洗脳はお手の物だから、ほら、昔、この人、整体師の洗脳騒動とかあったじゃない? 今はね、たぶん、自分で自分をマインドコントロールしてるんだと思う。もはや、人から洗脳されるのも、自分をマインドコントロールするのも十八番なわけですな。ま、とにかく、角界の改革に邁進していると思い込んでいるとしてもね、いや、そうだと思うよ、自分的には注目を集めたいんじゃなくて、正しいことをしたいってそう自己暗示をかけてたと思うよ。

 でも、この人は、潜在的に、多くの、本当に多くの人の視線を一手に集めるのが好きで好きで仕方がないのだ。いや、これって才能だから。普通の人間なら、あれだけマスコミから追い回されたら病むから。それを「見て、観て、私を魅て」ってなるのって、やっぱりそれって、絶対に普通のメンタルじゃない。

「貴の乱」で世間から最大限の注目を集めていたとき、貴乃花は、最大限に情報を出し渋った。どれだけカメラを向けられても、ニコリともせずに、弟子の貴ノ岩すらカメラに1ミクロンも触れさせないようにした。そしてそれは、世間の彼に対する視聴率が最も高まっている時期には、最大限に効果的な戦略なのである。餓(かつ)えれば、餓(かつ)えるほど、人は欲する。

 本能で人を惹きつけることに長けた彼であっても、さすがに騒がれて3週間も過ぎると食傷気味になってくる。どれだけ、役者がそろっても人は移り気なのである。で、そうなってはじめて、あれだけ、厳戒態勢を敷いていたはずの貴乃花がなぜかブログでなぜか心境を吐露しはじめた。そのときに、私は、思ったね。「いや、この人、見られたいんでしょ」って。

 それでさ、レスリングのパワハラ問題が内閣府に告発状が提出されて世間から注目を集めると、貴乃花も右へ倣えの内閣府。ここらへんから、みんな「へー、ほー」と。そして、今回、日本相撲協会を引退するにあたって、旧知とされる馳浩元文科相を訪問して、複数のマイクをガンガン向けられて政界進出の噂を聞かれたときのあの笑顔。そうなんですね、この人。見られれば見られるほど、注目を集めれば集めるほど、さらなるアテンションを求めるこの底なし沼のような深い深い闇。

 スターの因業の深さに、私たちは酔いしれる。結局さ、弟子がどれだけ可愛かろうと、彼は舞台を降りることはできませんよ。それは彼が悪いだけではない。土俵の下にいても、私たちは彼を追う。スポットライトは彼の頭上から離れることはない。

 ね、全く問題がないと思うの。いいのよ、あなたはスターの星の下に生まれたんだから。弟子を育てる親方側には回れない。あなたの我慢の問題ではない。私たちがあなたを消費し尽くしたかったわけだし、もっと言えば、神があなたをそういう星の下に創造したの。あなたは、このままスター街道を邁進していただければいいと思う。私たちは決してあなたを手放しはしない。

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