このコラムは、なんでもない日常を誰の役にも立たないよう生ぬるく、できるだけ無力に書き連ねてきたつもりだが、なんせ、この1ヶ月のわたしの時間は来たるべき二日間のために使ってきた。体をひねっても逆立ちしても、無音が数秒あればわたしは全感覚祭(編集部註:マヒトが所属するバンド、GEZANの自主レーベル「十三月」主催の入場無料、投げ銭方式のライブイベント。そのいきさつは「祭りの準備」でも読めます)のことを考え、ものの数分で膨れ上がるLINEの未読に視力を悪くさせながら向き合った。つまりはまぎれもないこれは日常であり、避けることはできない議題なのだろう。

先日あがったPYOUTHの、記事と呼ぶのもはばかられるそんな動揺そのもの、バカの垂れ流しを読み返し、あまりにもな不格好さに笑ってしまった。

当初掲げていたコンセプトに比べれば、内容は実に子どもっぽく、文化祭レベルと呼べば本職の学級委員長にしかめ面をされかねないほどに程度は低い。だが、謎めいた皆の自信はどこからくるのだろう。動揺してもネガティブなところには落ちこまないから十三月のチームは不思議だ。というか答えを知っている。バカの集まりなのだ。

この前の記事もあってか、募金のことなどを口にする人は増えて、何の後ろ盾もない現状は伝わりそれは運営としてはありがたいのだが、一番には、なんといっても来てほしいし、何も考えずに遊んでほしい。

我々は新世界にあったブリッジというライブハウスで遊んでる時に結成された。

エレベーターの横で駄々をこねている灰野敬二、見たことない種類の人間だと直感した半野田拓、ピアノの中に入って弦を弾く千住明、少女のような老婆のような天鼓の異様な存在感、風そのものだったテニスコーツ、瞬間を駆け抜けて惑星に激突するマゾンナ。先端の尖ったストラトの弦を猫のようにこする山本精一、大友良英の箱物ギターに鉄をぶつける音、その場所では日夜、実験的で創造的な音楽がクリエイトされ、10代だったわたしの心は普通には戻れない形にまでグニュグニャに変形していた。

内橋和久さんが主催していたFBIというイベント、ちょうどBOGULTAが終わった後、お昼休憩に出た頃だったと思う。道路の脇には注射針が捨てられ、今よりも酸いに匂いが充満し、その分だけ活気のあった西成を、下駄で闊歩しながら、三つ上の先輩だったイーグルに「バンドやろう」と声をかけた。

イーグルはその脇に人相の怪しい地元のツレを連れていた。カルロスとシャークだった。その後は漫画のような展開だが、道の向こう側から15匹くらいの野良犬が西部劇のように現れ、四人は全速力できた道を引き返し、走った。下駄の紐は切れ、裸足で西成を走る当時モヒカンだったわたしは、涙を流したかは覚えてないが、泣いたような気持ちだったことは間違いない。

あの時間に値段などつけられるだろうか? その価値は当然、入場料の2500円ではない。

わたしにとってそれは初恋のように何にも代え難く、一生消えないタトゥのように胸に焼き付いている。

全感覚祭は目安にしている500万円を達成することが目標ではない。

数字には決して変えられないそんな瞬間のために、この数ヶ月の会議、練り込まれた想像力、当日集まる才能やアート、そして想いはある。もしも、その祭りがきっかけでバンドが組まれたら、そんなフィードバックが山びこのように聞こえたら、わたしの顔面は笑顔をつくるだろう。

お金がない人はゴミを拾うでもいい。誰かにその景色を話すでもいい。友達がいないなら、いつか何かの方法でわたしを驚かしてくれ。この祭りが数字でできていない以上、そのリアクションだって無限のバラエティがあっていい。

音楽の価値は日々、変化している。だとすれば、そろそろ認めてあげたい。そういった目には見えない瞬間にだけ咲く花があることを。

友人知人からは今回のブッキングを見て、血迷ってるのかと問われることが多くあったが、PYOUTHの記事に晒した通りそれはもっともな意見で、プロならこんな無防備なやり方はしない。

だが、勘違いしてほしくないのは、わたしはプロのイベンターではない。

最近、自分の職業がわかってきた。

John LennonがImagineで歌う。You may say I’m a dreamer。夢想家。

こんなにもぴったりくる言葉はないと正直、思った。John Lennonのこと全然知らないから真意はわからないけど。

一つ一つは挑戦であり、挑発。

はじめに言っておくと、仮に500万円に届かなかったとしても、今回の祭りに関して後からドネーションをしたり、クラウドファンディングなどはしない。

後から集めることに想像的な希望はない。未来は真っ白だから無限で綺麗だし、そこに投資することこそクリエイティブなことだ。論理的に計算する左脳より、わたしはいつだって未来を切り開く右脳に賭けていたい。投資してもらうならその先の未来にであって、過去は振り返りたくない。

あと、賭けごとをするなら全額ペイしろというのが北野たけしの格言。それを真面目なピーポーは律儀に守っているわけ。素直で可愛いところがあるよね。

ただ、これも未来の話だけど、祭りが賭け事であっていいわけもなく、安心のなさを楽しむほどのマゾでもないので、いつかのいつかは考えていかなければいけない。このイベントを動かす協賛や資本はもちろん、個人的にはマネージャーもほしいし、左脳が使わなすぎて縮こまってしまうほどに、この片棒を担いでくれるパートナーがほしい。去年の領収書全部なくしたイーグルが会計じゃダメだ。あいつにはもっと得意なことだけやってもらいたい。

出会うべきタイミングでドラマとは衝突するし、その時、出会うべき人には出会えると思ってる。

ほら、今回だってそう。御託を並べても綺麗事だけじゃすまないなと首を垂らしてたらね、全感か君と全感か子が前日10/19の20時から全感覚祭と同じ会場脇の海辺で前夜祭的に投げ銭ライブしてくれるって。なんていい星人たちなんでしょう? 

この先、この国は、この世界は、どうなってしまうのだろう。

目を閉じ、眠る前ふとそんなことを考える。蓋を開ければけなしあい、ひがみ、ひどい言葉を使いあうタイムライン。正直言って、これからの変化を絶え間無く続けていく時代に順応する自信などない。ただ向き合う相手が時代ではなく、あなたならその答えはかわってくる。自分の世界から「みんな」というフレーズを追い出す。あなた達などどこにもない。わたしにマヒトという名前があるように、一人一人に名前がある。傷を舐め合うためのクソな共感じゃない。徹底した孤立の先で連帯する。一人ぼっちで生きていく。

わたしが崖から転げ落ちるのを待っている奴ら、物陰から双眼鏡でアラを探しているやつ、大量にチャンスはあるだろうし、ほっといてもわたしは足を滑らすだろう。でも、ごめん。きっと全感覚祭、大丈夫だと思う。わたしは自分を救ってくれた音楽のことを信じてる。そういうピュアな時間のことも信じてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この記事をシェア
この連載のすべての記事を見る

★がついた記事は無料会員限定