どんな作家にもデビュー作がある。
それが華々しいときもあれば、静かな船出であることもある。
いずれにせよ、みな、書き出し、書き終え、世に問いたい、と願ったのだ――。

「マッド・ドクターの話ですね」編集者のひとことで書く道が見えた

2003年5月発売のデビュー作

少々照れくさいが、私は若いころからずっと作家になりたいと思っていた。だが、その方法がわからない。同人誌に入ると「新人賞を取らなアカン」と言われ、当時は純文学を目指していたので、「文學界」や「新潮」の賞に応募した。なんとか最終候補には残るが、なかなか受賞に至らない。

やがて40代になり、それまで欠かさず読んでいた芥川賞受賞作の意味が理解できなくなった。どこがいいのか他人に説明できない。もっとはっきり言えば、おもしろくない。

そこで、あまり興味のなかったエンターテイメントの小説を読むと、おもしろい上に人間描写が深い。遅ればせながら方向変換をして、自分に書けるものはないかと考えた。

当時、私は9年間の海外勤務を終え、外科医としては使い物にならないので、医局から左遷されるような形で老人デイケアのクリニックに勤めていた。介護保険がはじまる前で、そろそろ高齢者介護が世間の注目を集めはじめたころである。

認知症や半身不随の高齢者に直に接すると、状況は深刻だった。そのうちふと、麻痺した手足を切断すれば、介護が飛躍的に楽になるのではないかと思いついた。実際にはできないが、小説でならできる。しかし、どう書けばいいのかがわからない。

そんなとき、たまたま知り合った幻冬舎の志儀保博氏にアイデアを話すと、「マッド・ドクターの話ですね」と言われた。それですっと書く道が見えた気がして、ほとんど夢中で書いた。それがデビュー作の『廃用身』である。

この作品は幸運にも、無名の新人としては破格の初版部数と、大々的な宣伝の恩恵を被り、引き続き書き続けるチャンスを与えてくれた。長年の夢が叶った形で、私はいっそうの飛躍を誓い、執筆に精力を注ぎこんだ。

「作家は処女作に向かって成熟する」とか言われる。ほんとうだろうか。書けば書くほど技術も上がり、もっといいものが書けるのではないか。デビュー当時はそう思っていた。今でもたまに『廃用身』をほめられることがあるが、うれしい反面、つらくて情けない気分になる。未だにデビュー作を超える発想が訪れないから。

作家は処女作に向かって……。どうやら正しいようである。
 

この記事をシェア
この連載の記事
この連載のすべての記事を見る

★がついた記事は無料会員限定