ⓒiStock.com/pay404

 学校でも会社でも、「よく考えろ」と言われます。でも、「考える方法」を教わったことはありますか? 「考える力」はどうしたら身につくのでしょうか? 成績のため? 仕事のため? そもそも「考えること」はなぜ大事なのでしょうか?
 そんな問いに答えてくれるのが、東京大学教授・梶谷真司さん。梶谷さんは、5~20人ぐらいが輪になって座り、ひとつのテーマについて話し合う「哲学対話」を、学校や企業、地域コミュニティで実践してきました。その活動を通して「考えること」について考えた一冊『考えるとはどういうことか――0歳から100歳までの哲学入門』を、3回にわたってご紹介します。
 梶谷さんが言う「生きているかぎり、いつでも誰にでも必要な哲学」とは、考えることそのもの。それは、知識を得ることではなく、体験することなのだそうです。でも、哲学って、いったい体験なんてできるものなのでしょうか?

問い、考え、語る。分からないことを増やす。

 数年前から、哲学対話に限らず、子どもを相手に哲学を教える機会が増えている。そのさい私が心がけているのは、哲学の思想や概念などの知識を伝えることではなく、彼ら自身が哲学的に考えること、言い換えれば、哲学を「体験」することである。そこでとくに中高生に対しては、簡潔に「哲学とは問い、考え、語ることです」と説明している。

 私たちは、「問う」ことではじめて「考える」ことを開始する。思考は疑問によって動き出すのだ。だが、ただ頭の中でグルグル考えていても、ぼんやりした想念が浮かんでは消えるだけである。だから「語る」ことが必要になる。きちんと言葉にして語ることで、考えていることが明確になる。そしてさらに問い、考え、語る。これを繰り返すと、思考は哲学的になっていく。

 それで小学校では、この「問う」をもっと強調して、「分からないことを増やそう」と言っている。学校をはじめ、世の中では、いろんなことを学んで分かることを増やし、分からないことを減らすのがいいとされる。哲学はその真逆である。分からないことがたくさんあれば、それだけ問うこと、考えることが増える。だから、どんどん分からなくなるのがいい、というのが哲学なのだ。

 最近は、学校だけでなく、セミナーやワークショップ、地域コミュニティなどで、社会人、主婦、教員など、一般の人たちの前でも哲学の話をすることが増えたが、そのさいもこの二つの定義、「問い、考え、語ること」「分からないことを増やすこと」が、いちばん納得してもらえる。

 さて、このような「問い、考え、語ること」という意味での哲学もまた、一般の哲学と同様、自問自答しながら「自己との対話」を通して一人で行うこともできる。だが、それはしばしば、孤独でつらい作業である。そういうことが好きだという、いわゆる哲学者気質の人種もいる。沈思黙考、物思いにふけるのに快感を覚える、そうせずにはいられない〝思考中毒〞の人間もいる。

 とはいえ、そんなのは少数派の変人である。むしろ多くの人にとって、一人で考えるのは、面倒くさいことだろう。自分に語りかけていても、途中で行き詰まり、堂々巡りするだけで埒(らち)が明かない。退屈だ。だからやる気になれない。考えるなんて嫌いだ。

 ところが、他の人といっしょにやると、考えるのは楽しい。他の人と話し、語りかけ、応答してもらえればうれしい。嫌にならずに続けられる。しかもそうすれば、思考はより深く、豊かになる。だからそのような「考える体験」としての哲学は、他者との「対話」という形をとる。つまり哲学とは、「問い、考え、語り、聞くこと」なのである。

この記事をシェア
この連載のすべての記事を見る

★がついた記事は無料会員限定

梶谷真司『考えるとはどういうことか―ー0歳から100歳までの哲学入門』

「考えることは大事」と言われるが、「考える方法」は誰も教えてくれない。ひとり頭の中だけでモヤモヤしていてもダメ。人と自由に問い、語り合うことで、考えは広く深くなる。その積み重ねが、息苦しい世間の常識、思い込みや不安・恐怖から、あなたを解放する――対話を通して哲学的思考を体験する試みとしていま注目の「哲学対話」。その実践から分かった、難しい知識の羅列ではない、考えることそのものとしての哲学とは? 生きているかぎり、いつでも誰にでも必要な、まったく新しい哲学の誕生。