今回でノンフィクション・コラムを引退する理由

この夏に『君たちはどう生きるかの哲学』『こころ傷んでたえがたき日に』(ともに幻冬舎)という2冊の新刊を上梓した上原隆さん。上原さんと言えば、名もなき市井の人々に話を聞き、その人生の一片を端正な文章でまとめる〈ノンフィクション・コラム〉の名手として名高い。

上原さんはこれまで、200人以上の人生をノンフィクション・コラムにまとめてきた。1996年に出版され、今なおロングセラーとなっている『友がみな我よりえらく見える日は』(幻冬舎)をはじめ、どの本にも心を揺さぶる小さな物語が詰まっている。

私は「桃山商事」というユニットで、人々の失恋体験に耳を傾け、それをコラムやラジオで紹介するという仕事をしている。学生時代から上原さんの読者であり、同じように市井の人々の話をテーマにしている書き手の一人として、上原さんの本から多くのことを学んできた。

今年で69歳になった上原さんは、『こころ傷んでたえがたき日に』をもってノンフィクション・コラムを引退するという。さみしい。とってもさみしいのだけれど、新刊の魅力を多くの人に伝えたいという思いでインタビューをさせていただき、この原稿を書いている。

真夏の暑さが続く8月31日の金曜日。上野公園を抜け、閑静な住宅街にある上原さんのご自宅を訪ねた。

 

──ファンとしてはさみしい限りですが……ノンフィクション・コラムを引退されてしまうのはなぜでしょうか?

「元々65歳で引退したいという思いがあったんです。それがだいぶ延びてしまいましたが……ちょうど雑誌連載が100回目を迎えたというタイミングもあり、終わりにすることを決めました。なにしろ取材モノは大変なんですよ(笑)。

人を探すのも、取材するのも、テープを起こすのも、文章にまとめるのも、すごく大変で。『こころ傷んでたえがたき日に』に収録されているコラムは『正論』という雑誌で毎月書いていたものなんですが、締め切りの3か月くらい前には取材対象者を決め、準備を始めなければならない。1本6000字程度のコラムですが、これで結構手間がかかってるんですよ(笑)」(上原さん)

取材やテープ起こしの苦労は、同業者なら誰もが理解するところだろう。私も毎回ヒーヒー言いながらやっている。しかし、上原さんのそれは途轍もない大変さであることが身に染みてわかる。なぜなら私自身、8年前に取材を受け、コラムにしてもらった経験があるからだ。

膨大な量のテープを、一言一句手書きで起こしていく

それは『正論』2010年11月号に掲載された「サークル会社」というコラムだった。当時私は、大学時代に所属していた出版系サークルをそのまま法人化した会社で働いていた。メンバーも全員、学生時代からの友達。様々な雑誌やウェブメディアからコンテンツ制作の仕事を請け負い、経営はそこそこ軌道に乗っていた。しかし一方で、リーマン・ショックの影響などでギャラの単価が全体的に下がっていた。またメンバーが30代に突入しようというタイミングでもあり、これから会社をどうしていくか、日々みんなで議論していた。

上原さんが取材してくれたのはそんな時期だった。なんと丸3日間も会社に通ってくれ、朝から晩まで仕事や会議の様子を観察し、メンバー全員の話を聞いていった。1本の原稿を書くのにここまでじっくり取材をするのか……。当時、芸能人に30分インタビューをして短い原稿にまとめるなどの仕事をよくやっていた私にとって、上原さんの取材スタイルはかなり衝撃だった。

 

──取材中、ずっとテープを回していましたよね。それを起こすだけでも膨大な時間がかかるのでは……?

「そうですね。一言一句、反故紙(使い終わった裏紙)に手書きで起こしています。毎回50枚くらいになるかな。嫌だなって思いながらコツコツやっています。清田さんの会社を取材したときも、8人分のインタビューや会議の様子を録音していたので、苦労しました(笑)。でも外注しちゃうとダメなんでしょうね。自分でやらないと『ここだ』って部分がつかめないような気がします」(上原さん)

 

テープ起こしが終わると、今度はそれを繰り返し読みながら構成を組み立てていく。人は思い出すまましゃべるため、語られる出来事は時系列も因果関係もバラバラだったりすることが多い。そういう断片をつなぎ直していく中で「グッとくるポイント」を見出すという。それがコラムの核心になっていく。

 

 今朝、大きなマンションの前に立ったときや、居間に入ってラックに入っている彼らの仕事の成果を見たときに、ここにいる人たちは、生き馬の目を抜くような業界で仕事をしている、少数精鋭の手強い人たちなんだと思った。

 ところが、ひとりひとりと話しているうちに、その印象は変わっていった。清田はみんな仲良く仕事できるのが一番だというし、武藤は暗い自分を受け入れてくれるところだという。そして、後藤は小心者の集まりなのだといった。

 学生サークルのまま社会に出ていきたいと思ったのは、みんな気が弱かったからなのだ。
──「サークル会社」より引用

 

当時の我々のことを、上原さんはこんな風に書いてくれた。各自からポロポロこぼれてくる「弱さ」にグッとくるものを感じたそうだ。恥ずかしいやら、うれしいやら……。「みんなそんな風に思っていたんだ」と、これを読んで仲間の心の内を初めて知り、ちょっとだけ泣きそうになったことを覚えている。

このように、心の襞(ひだ)に優しく染み込んでくるような文章が上原本の魅力なのだが、それはおそらく、膨大な素材から根気よくエッセンスを拾い上げ、一滴一滴作り出すあの有名な化粧水のように、丁寧に丹念に言葉が紡がれているからではないだろうか。

市井の人々の人生に分け入り、グッときた言葉をすくい上げる

上原さんの本を読んでいると、“生(なま)の言葉”と呼びたくなるようなセリフの数々に出くわす。「この取材者は上原さんの前で本当にそう言ったんだろうな」という、創作ではなかなか書けないようなリアルな言葉たち。

例えば『こころ傷んでたえがたき日に』に収録されている「父親と息子たち」には、シングルファーザーとして4人の息子を育てる「柳本さん」という塗装業の男性が登場する。都営住宅に暮らし、毎日朝から慌ただしい生活を送っている。

家事はみんなで分担し、親子の仲はとても良い。下3人の息子は実の子だが、長男は前妻の連れ子で、血はつながっていない。小学1年生のときから一緒に暮らし、行儀やらしつけやら厳しく育てたという。そんな長男が結婚することになり、相手女性の親と会うことになった。

 

「向こうの親と会ったんですか」私がきく。
「うん、居酒屋で」
「向こうはご両親?」
「そうです。俺、リク(長男)とは血がつながってないし、向こうの親と会うの、俺でいいのかなってきいたんです」
「リクくんに?」
「うん、そしたらアイツ」柳本さんは右手であごをさわる。「『オレの親はあんただから』って……、俺、言葉がでなかった、うれしくってだけど」
──「父親と息子たち」より引用

 

こういった言葉からは、葛藤もありながら実直にリクくんと向き合ってきたであろう柳本さんの歴史や、照れる気持ちを抑えながら育ての親に感謝の意を表そうとするリクくんの姿が垣間見える。こうやって上原さんは市井の人々の人生に分け入り、グッときた言葉や場面をすくい上げ、それを瑞々しい状態のまま読者に手渡してくれる。

 

「柳本さんとは、足立区竹の塚にある公園で取材していたときに偶然出会ったんですよ。昼休みでタバコを吸っている男性を見かけ、話しかけたら『妻とは離婚していて、今は4人の子どもと暮らしてる』と話してくれた。それで、改めてじっくり話を聞かせてくださいって頼んだら、『雨の日は仕事が休みだからいいよ』と言ってくれました。

運良くその2日後に雨が降ったので、さっそく電話をして話を聞かせてもらいました。柳本さんは私の本とか読まないであろうタイプの人で、送った雑誌も部屋にほっぽってあったし、今回書籍も送ったけど特にリアクションはなくて、『それよりも塗装の仕事があったらよろしくね』って(笑)。

柳本さんらしいなって、その言葉がおかしかったです」(上原さん)

 

上原さんがすくい上げるのは、本当に何気ない言葉だ。しかし、どれも完成されたセリフにも負けない魅力や迫力が宿っている。それはなぜなのか? そこで浮上してきたのが「限界哲学」という言葉だった。

 

◎上原 隆(うえはら・たかし)
1949年、神奈川県横浜市生まれ。エッセイスト、コラムニスト。立命館大学文学部哲学科卒業後、記録映画制作会社に勤める。勤務のかたわら雑誌「思想の科学」の編集委員として、執筆活動を始める。その後、執筆業に専念。著書に『友がみな我よりえらく見える日は』『喜びは悲しみのあとに』『雨にぬれても』(幻冬舎アウトロー文庫)『にじんだ星をかぞえて』(朝日文庫)『胸の中にて鳴る音あり』(文藝春秋)など多数。この夏に『君たちはどう生きるかの哲学』『こころが傷んでたえがたき日に』(ともに幻冬舎)を出版した。

(写真:パトリック・ツァイ)

(後編に続く。10月13日公開予定)

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