ここ三日ほど毎日人と会う用事が続いてしまって、それは別に仕事をしていたわけではなく単なる遊びも多かったのだけど、遊びでも人に会って社交をするとエネルギーを消耗するもので、なんだか疲れ果ててしまった。

 人に会うときは自分もちゃんと人間にならないといけない。人に見られてもギョッとされないように顔面の表情筋に力を入れ続けてないといけない。もっと不定形のドロドロとした生き物でいたいのに。

 疲れで完全に虚脱状態になってしまったので、顔の力を完全に抜いて絶対に人に見せられない表情をしながら、毛布にくるまってベッドで横になっていて、二時間ほどそうしていたら少しだけ回復してきた。ようやく少し動けそうだ。

 しかし、毎日一つか二つ用事が入っていたというだけで、一般的に見たら大して忙しいわけじゃないのに、なんで自分はこんなに疲れてるんだろうか。会社に勤めてる人なんかは毎日人に会い続けているというのに。他の人たちが一体どうやってこの社会の中を生き続けているのか全く想像ができない。自分はやっぱりおかしいのだろうか。それでもなんとかやっていくしかないんだけど。

 何か早急に食べなきゃ、と思う。忙しいときや疲れているときに、あまり物を食べなくなるタイプの人とたくさん物を食べるようになるタイプの人の二種類がこの世にいるのだけど、自分は後者の、忙しいときほど物を食べてしまうタイプだ。だからこんなに腹がたるんでしまっているのだけど。

 おなかが減っているのか減ってないのかもわからないけれど、何かを食べたくなってしまう。それは本当は空腹じゃなくて別の欲求なのかもしれない。でも食べる以外に解決法を知らないのだ。何か味のするものを口に入れて咀嚼していると、少しだけ精神が回復する気がする。別に何も食べたくないけど、何かを食べて精神を少し救済したい。

 そういう状態のときは複雑なものは食べたくない。自炊をする気力もないし、外食でも出てくるまでに時間がかかるのはつらい。こんなときはカレーだ。カレーだったら食べられるような気がする。

 財布とスマホだけ持って靴を履いて家を出て、近くのカレー屋に入って適当なカレーを注文する。店員が注文を確認する声がちょっと元気過ぎて頭に響く。カウンター席に座りながら、早く、早く来てくれ、精神を安定させるために、と思いながら待つ。

 気力がないときは品数が多い食事を食べることがつらくなる。ごはんと味噌汁と主菜と副菜と漬物をバランス良く食べていくという、その配慮に使う気力がないのだ。ごはんがおかずより先になくなったりしてはいけないとか、その逆もいけないとか、そういったペース配分を調整しながら食べるのがしんどい。それは、○と△と□と☆を、赤と黃と青と緑を、うまいバランスと順番で組み合わせて一つの作品を演奏し終えるという高度な精神作業のように感じる。元気なときはそれができるけど、だめなときは全くできなくなる。

 その点カレーは楽だ。ルーとごはんを、○と□を、茶色と白を等量ずつスプーンですくって食べていくだけでたやすく、どちらも同時に終了するという美しいゴールにたどり着ける。そこには余計なことを考えなくていいという安心感がある。

 牛丼なんかもそれに近いのだけど、牛丼のほうがカレーより迷う部分が多い。例えば、牛丼の肉だけを食べてみてもわりと美味しいとか、たれのかかったごはんだけを食べてみてもわりと美味しいとか、そういう選択肢の多さが少しだけ気力を消耗させる。

 他にも、牛丼には卵や漬物やサラダや味噌汁などを付けるかというオプションがあって迷ってしまう。定食のように品数を多くしたほうが健康にいいのではないかという呪縛が自分を不安にさせる。その点、カレーにもトッピングはあるけれど、牛丼にキムチを乗せるとキムチ牛丼という別の料理に変化してしまうのと違って、カレーには何をのせてもそれは結局カレーの一部になるのでバランスを崩すことがない。

 そういった点ではチャーハンもいい。あれは○と△と□を全部細かく切って混ぜ合わせたものなので、どんな食べ方をしてもどれか一つだけが余ることがない。何のペース配分も気にする必要がない。偉大な食べ物だ。

 だけど、チャーハン専門店というものはあまりなくて、チャーハンを食べるときは中華料理屋に行くことになってしまう。そうすると、メニューを見たときに青椒肉絲や酢豚や餃子が目に入ってきてしまって、何を頼むのが正しいのかまた迷ってしまう。カウンター席しかなくてメニューはカレーしかないカレー屋の、誰も会話をせずにみんなもくもくとカレーを食べているという、ストイックさがいいのだ。

 そんなことを考えているうちに注文したカレーがやってきたので、スプーンを持って皿に向かう。誰の目も気にせず、皿の中身をスプーンで一杯ずつ胃の中に移すという行為にしばらく夢中になる。スパイスが口の中を軽く刺激し続ける。気づくと皿が空になっている。よく食べたな。一瞬だった。

 インドカレーも好きだしスープカレーも好きだし、家で作るカレーもコンビニカレーも好きだけど、こういう日本ならではのカレー屋でしか癒せないような疲れがときどき自分の中にある。ものすごく美味しいというわけではないのだけど、いつ行っても一定の満足感と落ち着きを自分に与えてくれる、何でもない日本のカレー屋さん。

 カロリーを持った重い塊が自分の胃の中にずっしりとあって、そのことが少し気分を落ち着かせてくれる。満足した。帰って風呂に入ってゲームをしてから寝よう。

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pha『ひきこもらない』

家を出て街に遊ぶ。
お金と仕事と家族がなくても、人生は続く。
東京のすみっこに猫2匹と住まう京大卒、元ニートの生き方。

世間で普通とされる暮らし方にうまく嵌まれない。
例えば会社に勤めること、家族を持つこと、近所、親戚付き合いをこなすこと。同じ家に何年も住み続けること。メールや郵便を溜めこまずに処理すること。特定のパートナーと何年も関係を続けること。
睡眠薬なしで毎晩同じ時間に眠って毎朝同じ時間に起きること。
だから既存の生き方や暮らし方は参考にならない。誰も知らない新しいやり方を探さないといけない。自分がその時いる場所によって考えることは変わるから、もっといろんな場所に行っていろんなものを見ないといけない。