1.英語で子どもをしつける港区ママと錦織圭の共通点

 大坂なおみ選手が好きだ。

 錦織圭選手よりもずっと好き。圭君はなおみに“omedeto”ってローマ字でLINEしたんだってさ。で、なおみから圭君には「ありがとう」って普通に返したんだって。なんかちょっとダサいって感じるのは私だけ? なおみちゃんだって、ちょっとコンフュージングって言ってたじゃん。そこは私にも聞き取れたもんね。なんかちょっと恥ずかしくない(笑)?

 誕生日にローマ字で“omedeto”って送ってくるやつは、たいがいが外資に勤める日本人である(100%そうだよ。だって、過去に1例あってそれがそうだったんだから!!)。なんか、なおみちゃんくらい英語のほうが堪能な人は逆にひらがな使うのに、錦織さんみたいに、確かに英語もとってもうまいけど、日本語のほうがむしろ得意でしょっていう人がローマ字にするという。

 そうなの。そう、そこなの。私に“omedeto”って言ってきた外資に勤める日本人もさ、別に帰国子女ってわけでもなく、いや英語は得意なんだろうけど、日本語の方がもちろん母国語なわけ。でも、そういう人の方が日常用語で英語使ってくるという。

 でさ、これが女性版の場合にはさ、外資系のバックオフィスとかに勤めて、結婚するわけ。まぁまぁ祝福される結婚ね。で、結婚だか、妊娠だか、できちゃった結婚だか知らないけど、どっかのタイミングで仕事辞めるじゃん。で、その後ですよ。日本人同士の家庭でさ、突然、子どもに英語で話しかけはじめるわけ。いるじゃん、港区に、そういうこぎれいなお母様方。

 この間、お友達のパーティに行ったら、子どもが寄ってきたから適当に相手していたら、母と思われる、30代半ばの綺麗目な女の人が寄ってきてさ、子どもに「ヘイ、ヨシ、ホワットアーユードゥーイング」的なことを言い出してた。それで、その瞬間、ちょっとだけどや顔するんだよね。

 やっぱり、ハイスペック女子ってママとしてはオーバースペックなんだなって思ったもんね。持て余したエネルギーはこういう無意味な見せびらかしに浪費されるのだろう。こういう無駄なひけらかしと、無用のディスプレイを取っ払ったら、港区ってすっごいシンプルな地区になるんだろうね。

 いつもながら、話がそれました。私は、大坂なおみ選手への賛辞からはじめて、セリーナ・ウィリアムズ選手まで持ってきたかったの。港区はどうでもいいの。

 

2.最初から最後までセリーナ劇場

 私には、テニスのプレイが素晴らしいのか否かを判断できる確かな審美眼はない。だが、グランドスラムを制した大坂選手はもちろん素晴らしかったのだろうし、「試合が終わって、セリーナに抱きしめられた瞬間、自分が子どもに戻ったような気がした」みたいな、彼女のコメントの一つ一つに性格の良さが表れている気がして、微笑ましいと思っている。

 だけどさ、それでも、あの決勝戦って、結局は「セリーナ劇場」だったと思うわけですよ。だって、すごかったじゃん。あの猛烈かつ執拗な抗議。

 私の限られた知識の範囲内だけれど、確かに、試合の途中にコーチからアドバイスを受けたことに対する警告っていうのは珍しいのだと思う。でも、その時点でさらっと流せば、セリーナ側の実質的な損失はなかったかもしれないじゃん。なおみちゃん側にポイントを入れられたわけじゃなかったし。

 なのに、その後にラケットを壊して(←すごいよね、ぐんにゃって曲がったもんね)、それで、なおみちゃん側にポイントが入ったでしょ。さらに、それで審判に食ってかかって「私からポイントを奪った!!! 泥棒!!!」とやってのけて、なおみちゃん側に1ゲームが入ったんでしょ。

 さらに、納得できずに、大会関係の上層部にアピールするというあの執念深さ。

 セリーナの言っていることが全く分からないわけではもちろんない。「私は卑怯な手を使って勝ったことなんてない。そんなことするなら負けるほうがましよ」という叫びには、迫力があった。セリーナにとっては勝敗ではなく、矜持の問題だったのだろう。ま、でも、セリーナのコーチは試合中にアドバイスしたのを認めてるけどね、セリーナは気づいてなかったみたいだけど。

 加えて言うなら、裁判所で見てる限り、相続とかで「お金の問題じゃありません。私の生きざまの問題なんです」的なことを言ってる人に、「へいへい、そうでしょう、そうでしょう。だから、これくらいの金額で和解してくれませんか」って揉み手してみても、だいたいぜったい和解してくれないけどね。いやいや、百歩譲ってお金だけの問題じゃないのは認めても、大部分はお金が問題なんだけどね。

 ちょっと言い過ぎたかも。私、セリーナって好きだし。

 試合が終わった後にも「私は女性のために戦っている。私は強い女性でありたい。今回、私の場合にはうまくいかなかったけれど、私の次に来る女性のために戦うことをやめない」的な会見してるのを見て、なんだかんだで、この人の言葉って力があるし、姿も様になるなって思ったもん。

 なんかね、前に番組で沢松奈生子さんとご一緒させていただいて、で、私、微妙にてんぱっちゃって「テニスって怖くないんですか。あんな球がビューンって飛んできて」みたいな、「おい、こら、テニスの名選手に何を言ってんだ、私」的なことをCM中に聞いちゃって。で、そのときに沢松さんが仰ってたのが「いや、それはないんだけどね(←当然ですよね。すみません……)。でも、セリーナ・ウィリアムズ選手の球は迫力があったわ」って(←沢松さん、さすがの会話のレシーブ力)。

 だから、セリーナってやっぱり強さのひとつの完成形であって、だから、ヴィーナスとセリーナの姉妹というのは、「ブラック・ビューティ」なるもののお象徴にもなったのだろう。筋肉の躍動する力強い美しさ。白人に近いことを美の基準としてきた世界観を衝撃的に変えるこのポテンシャルは人々を熱狂の渦に巻き込んだ。

 あの試合でも、最初から最後までセリーナは圧倒的な存在感があった。いい意味か悪い意味か知らないけど。だから、オーストラリアの新聞の風刺画だって、画面の半分以上を割いて、セリーナにド迫力で地団太を踏ませたわけ。優勝したなおみちゃんなんて、消え入りそうに細くなって、画面の端っこで「あの人を勝たせてあげてください」って審判に懇願されてるだけになっちゃって。

 

ヘラルド・サン 2018年9月11日のツイッターより

 

3.シャラポワの悪口は言えるけど、セリーナはダメなの?

 で、そんなこんなで、この風刺画が、今度は絶批判を浴びてるんでしょ?

 この画に描かれているセリーナが、「怒っていて、女性らしくなくて、醜い黒人女性」というステレオタイプに基づくもので、それが人種差別&性差別だというのである。風刺画を描いた画家マーク・ナイトのツイッターは2万件を超える抗議でアカウント閉鎖だって。ハリー・ポッターのシリーズで知られる作家のJ・K・ローリングも、この風刺画をいちはやく非難した一人である。ついでに言えば、ここに描かれているなおみちゃんが「白人っぽく」されていて、それも人種差別らしい。

 日本では「大坂なおみは日本人かなんて言うやつは差別主義者だ」って議論が起こっているときに、アメリカでもこんなことが問題になっているとは……。

 やや驚いたのは、アメリカではセリーナの抗議を擁護する論調がかなり根強いこと。少なくとも、試合直後にはセリーナ擁護論の方が多いように見えたけどね。女子テニス協会の設立者で、女子テニス界の功労者のビリー・ジーン・キングさんって人も、「女性が感情をむき出しにするとヒステリックってことになるのに、男性が同じことをすると率直なで済まされるのはおかしい」という趣旨でツイートしてたじゃん(←豊田真由子元議員の暴言騒動のときにも、このキングさんにかばってもらえばよかったね)。

 それから、少し風向きが変わって、マルチナ・ナブラチロワさんっていう元スター選手が「男性が反則して許されるから女性もっていうのはおかしい」「スポーツと相手選手を尊重する行動とは何かを自問すべき」っていう正論を大上段から振りかざしたんでしょ?

 でも、どっちにしろ、それはセリーナが審判に抗議して侮辱したことに対する批判で、ことこの風刺画の話になると、アメリカの新聞はどれも否定的なんじゃないかという……。

 それで、毎日新聞なんかは、人気者の黒人女性を批判するのって、アメリカでは特にやりにくいってことを書いている(「セリーナ騒動の報道にみる米国文化」毎日新聞 2018年9月14日)。これは、アメリカのいろんな事情があって、黒人の特に女性を差別しているって言われることが、もう知識人にとっては一番恥ずかしいみたいな文化があるからだと思うのだけれど。だけど、日本にも似たような側面はあると思うわけで。

 美人女優は劣化したって騒ぎやすいし、東大生の変わり者っぷりを皮肉ったりもしやすいじゃん? だけど、敬老の日に日向ぼっこ中のどこぞのおばあちゃまをつかまえて「ばばぁ」とか言えるのはビートたけしさんくらいしかできないじゃない?

 やっぱりマリア・シャラポワを批判している方が、セリーナ・ウィリアムズを弾劾するよりもずっと楽なのだ。だって、強い者に立ち向かってる感じがするから。弱い者いじめしているとか思わなくて済むから。でもね、「私は公正、私は博愛」って言い聞かせているその心の奥には「自分より下にある者を叩いてはいけない、上にある者は好きなだけやっつけていい」っていう恐ろしい差別意識があるのかもしれないよ。

 ミスUSAの栄冠を黒人女性の頭上になんていうのは、そこはかとなく偽善が香らない? それだったら、ヘンリー王子みたいにメーガン・マークルさんと結婚して英国王室に迎えますっていうほうが、よっぽどすっきりさっぱりだよね。

 ところで、セリーナがマタニティショットを披露したのは、アメリカ全土がセリーナに文句どころか、忠告もできない状況だったからなのか。かっこいいのか悪いのか、もはやよくわかんないね。スザンヌさんとか潮田玲子さんとか、マタニティフォトが公開されるたびに「脳内お花畑」で済ませてきたのに、これを観たらなんて言っていいかわからないね。この言いにくさっていうか、微妙に評価を躊躇する感じそれ自体が差別なの? もうよく分かんない。自分の中に差別が潜んでるんだかどうなんだかよく分かんない。だから、とにかくもう危ない橋を渡りたくないから何も言わない……。

 こういう状況になれば、もういろんなことがすっごい発言しにくくなって、世の中がどんどんまじでつまらなくなる気がする。

セリーナ風刺画の非難に反論した、ヘラルド・サン紙の一面

 そして、まさにこの点というのが、セリーナの風刺画を掲載して批判を浴びた新聞社が、それを2倍に拡大して1面に載せて(「豪紙のウィリアムズ風刺画、「差別的」批判にトップ記事で反論」BBCニュース 2018年9月12日)、そこに書いた「批判への再反論」なんだよね。つまり、黒人選手の試合中のひどい行いを風刺すらできないなら、世の中まじで退屈になりますよ、と。

 謝罪広告よりも毅然とした再反論の方がかっこいいかもね。なんか、それに比べて私の弱気っぷりはなんなんだろう。かっこ悪っ。錦織圭さん、冒頭でダサいとかすみません。ダサいのはわたくしめです。

 結論としてはですね、批判してるってことは、すべからく、「自分より上の人」って思ってるってことなんですね。そっか、コムケイこと小室圭さんのこと、私、きっと、とっても尊敬してるんだろうな、とあくまで弱気に小さな皮肉でまとめてみました。私の人間としての器って……。

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