谷口ジローが69歳で急逝して1年以上が経ちました。

 むろん新作は望めませんが、フランスで豪華な単行本になった自伝的ロング・インタビューの日本語版はまだ刊行されないのか、と気になります。日本では明らかにされなかった生い立ちなどもはっきりと語られていて、じつに読みごたえのある書物だからです。谷口ジローの発言はすべて日本語でなされたはずですから、日本語版が出れば、こちらがオリジナルということになるわけです。

 そんなことを思っていた今年の夏、『犬を飼う そして…猫を飼う』(小学館)が出版されました。

『犬を飼う』は、『「坊っちゃん」の時代』や『遙かな町へ』と並ぶ谷口ジローの代表作ですが、このたびの作品集はその新編集版です。初出の雑誌でカラーだったページを完全に復刻し、谷口が愛犬について書いた珍しいエッセーや、彼が飼っていた動物たちの愛らしい写真なども収録した「決定版」です。今回、タイトルに「そして…猫を飼う」という一文が加えられたのは、この本には飼い犬だけでなく、「そして…猫を飼う」という短編マンガも収録されていて、たしかに飼い猫たちが出てくるからです。

 とはいえ、本書いちばんの読みものは、表題作の「犬を飼う」です。「犬を飼う」と銘打ってはいますが、じつはこの短編マンガは「犬を看とる」というべき死の記録なのです。タムという名の子犬を飼うことになった発端はわずか3ページの回想で済ませ、作品の冒頭に出てくるタムはすでにひとりで歩くこともままならぬ老犬になっています。

 主人公の谷口ジローを思わせる男は、20代後半で犬の飼える一戸建ての家を東京都下にもち、そうして念願の犬を飼い、いまはすでに40代になっています。それは人生の、それなりに実りも波乱も多かった時間でしょうが、その歳月を、毎日数回ずつ、雨の日も雪の日もタムと一緒に散歩してきたのです。

 そのタムは、足腰が弱り、食欲がなくなり、寝つくようになり、確実に死に近づいていきます。動物とは言葉を交えることができないだけに、しっそう切なさが胸にしみると主人公は思います。そして、生きるということ、死ぬということ、人の死も、犬の死も同じだと悟るのです。谷口ジローはこんな愛犬家の言葉を引用しています。

「人と犬の愛のあいだにひとつだけ不幸があるとするなら、それは人と犬の寿命に一致がみられないことだ」

 犬とともに失ったものがこれほど大きいとは思わなかった。だが、その死が残してくれたものは、それ以上に大きく、大切なものだった……。これが「犬を飼う」の結末です。

 しかし、この短編に続く「そして…猫を飼う」では、もらった捨て猫が妊娠していることが分かり、猫が子どもを産む話が語られます。死と生の循環をこれほど鮮やかに形象化した作品は、文学にも稀です。

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