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 学校でも会社でも、「よく考えろ」「考えることは大事」と言われます。でも、一体どうしたら「よく考える」ことができるのでしょうか? そもそも「考える」とはどういうことなのでしょうか?
 東京大学教授の梶谷真司さんがそんな問いに答えてくれる一冊
『考えるとはどういうことか――0歳から100歳までの哲学入門』が、9月27日に発売になります。
発売に先がけて、「はじめに」を公開する第2回。
「哲学対話」との出会いをきっかけに「哲学は誰にとっても、いつも必要なものだ」と確信するに至った梶谷さん。
 では一生すべての人に必要な哲学とは、いったいどのようなものなのでしょうか?

「存在するってどういうことだと思う?」などと口にしたものなら…

 普通「哲学」というと、むやみやたらと難解なもの、意味が分からないもの、面倒くさいもの、余計なもの、厄介なもの、などなど、おおむね評判がよろしくない。当たり前のことをわざわざややこしく考えるひねくれ者、アマノジャクの所業だと思う人もいる。

 好意的に見ても、この世界や人間について深〜い真理を探究するもので、そういうことに興味をもつ一部のスゴイ人、もしくはヘンな人を除けば、ほとんどの人には関係ない。多少の関心はあっても、自ら手を染めようとは思わないだろう。

 かつては(そしてたいていは今でも)哲学が好きだとか、哲学を研究していると言えば、相手に困惑や反感を引き起こすか、さもなければ失笑を買うのが関の山だった。間違っても相手に歓迎され、意気投合して仲良くなるなどという展開は、よほど幸運な例を除けばありえない。哲学好きな人には、そういう話ができる友だちなどおらず、一人で悶々としているのが定番だ。

「ねえ、幸福っていったい何だろうね?」とか「おい、存在するってどういうことだと思う?」などと友だちに聞けば、気味悪がられたり、からかわれたりするのがオチだ。クラスで浮くか沈むかして、居場所がなくなる。「カントが『純粋理性批判』の中でさあ……」とか「ニーチェが超人の思想で言おうとしていたのはね……」なんて言おうものなら、後ずさりして離れていく友だちは、一人や二人ではないだろう。

 親だったら大丈夫かと言うと、そんなことはまったくなくて、さらに危険だ。気味悪がられるのを通り越して、本気で心配されるにちがいない。「頭がおかしくなったんじゃないの?」とか「死んだりしないだろうね」とか。「この子は難しいことを考えるのが好きなのね」と喜んでくれるとしたら、親のほうが相当な変わり者である。

 結局、どこであろうと、哲学に興味があっても、下手にそれっぽいことは口にしないほうがいい。それが正しい処世術なのである。

 そういう人でも、大学で哲学を専攻すれば、あるいは、哲学の授業に出れば、同じような人に出会えるかもしれない。そこで運よく仲間ができれば、哲学の話が思う存分できる。

 でもそれは、変人が寄り集まってさらに変になっていく入口だったりする。そして実際、世の人のネガティヴな印象を裏切らない人間になっていく(実際にはかなり普通の人も少なくない)。

 結局、世間から見れば、哲学というのは、ごく限られた物好きや変人がやる怪しげな所業にすぎないのだ。

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梶谷真司『考えるとはどういうことか―ー0歳から100歳までの哲学入門』

「考えることは大事」と言われるが、「考える方法」は誰も教えてくれない。ひとり頭の中だけでモヤモヤしていてもダメ。人と自由に問い、語り合うことで、考えは広く深くなる。その積み重ねが、息苦しい世間の常識、思い込みや不安・恐怖から、あなたを解放する――対話を通して哲学的思考を体験する試みとしていま注目の「哲学対話」。その実践から分かった、難しい知識の羅列ではない、考えることそのものとしての哲学とは? 生きているかぎり、いつでも誰にでも必要な、まったく新しい哲学の誕生。