少子化社会のモラハラ、パワハラ、マタハラ、セクハラ……と、しなやかに、強かに闘う女性の痛快長篇『四十歳、未婚出産』(垣谷美雨)刊行記念特集。〈書評・吉田伸子〉


うわぁ、ぐさぐさ刺さる! 

本書の冒頭、旅行会社に勤めるヒロイン、宮村優子が、団体ツアーの下見のために、部下の水野とカンボジアのシェムリアップを訪れた時のことだ。明日は帰国、というその日の夜、水野は優子の部屋を訪れる。ほろ酔い加減の水野が持参した白ワインを二人で飲むうち、いつしか二人は身体を重ねていた。

翌朝、朝食バイキングに現れた水野の第一声は「ゆうべはすみませんでした」だった。水野には同じ会社の総務部で働く、派遣社員の恋人・紗絵がいることを知っている優子は、咄嗟にとぼけてみせる。「なんのこと? ゆうべ、なんかあったっけ」と。この時の水野の返しが、もうね、最低なんですよ、最低! 

「宮村さんは男らしくて助かります」

なんだと、おい、水野、ここに座れっ! 何だ、その返しは! 成敗してくれるわっ! 
でも、優子はそんなことはしない。ひっそりと傷つくだけだ。そして、自分が傷ついたことはおくびにも出さない。自分は水野の上司であり、39歳の自分と28歳の水野との間に、恋愛感情が介入し得ないことは、自分が一番知っている。だから、シェムリアップでの一夜は、それきりになるはずだった。それで良かったはずだった。優子が妊娠に気付くまでは……。

物語は、優子が妊娠に気づいてから、出産を決意するまで、そして実際に出産するまで、が描かれているのだ。40歳を目前に控えたバリキャリの優子が、未婚のまま出産、となるわけで、至る所にハードルがある。本書はそのハードルをクリアしていく優子の姿を丁寧に描き出す。

思わず膝を打ったのが、父親の法事で実家に帰った折、高校の同級生どうし6人で居酒屋に集うシーン。集まったのは、実家の寺を継いだ近藤凡庸、高校で英語を教えている関口智雄、整体院を開業している木戸、県立病院で看護師をしている沢田桃子、中学で教師をしている美佳、そして優子。その場で、木戸は何の気なしに口にする。この場にいる女子三人とも、俺はダメ(結婚できない)なんじゃ、と。

木戸の真意をすぐに悟った美香は、木戸にその理由を問いただす桃子に告げる。木戸は子供が三人くらい欲しいのだ、と。だから、自分たちとではなく、もっと若い子と結婚したいのだ、と。39歳でも産むことはできる。三人産むのだって、不可能ではない、と言い募る桃子に、美香は言う。「実際に産めるかどうかじゃなくて、男というものはみんな若い女が好きなのよ」と。そこに、木戸が言葉を重ねる。「気ぃ悪うせんとってな。だってほら、男と女は生物学的に違うじゃろ。俺ら、男は何歳になっても若い女の子と結婚できるわけで」

おい、木戸、ここに座れっ! 内側を狙って、えぐりこむように打つから!

この木戸の発言がたちが悪いのは、木戸自身に悪気が1ミリもないからだ。木戸は当たり前のこととして、口にしたにすぎない。木戸の言葉を聞いて、優子は思う。「木戸に悪気はないことはわかっている。だが、同じ町で生まれ育ち、子供の頃から互いに知っている男性に言われた衝撃は、会社の同僚男性に言われるより大きかった。今まで一度だって木戸を好みの男性だと思ったことはないが、それでも気持ちが塞ぐ。懐かしい子供時代た温かな郷愁などの全てのものに、手痛く裏切られたような気分になった」

このシーンが本書を象徴している。本書で描かれているのは、39歳の優子が未婚のまま出産することの困難さ、だけではない。世の、いわゆる未婚アラフォー女性はもちろん、そもそもの女性の生きづらさ、に焦点が合わせられているのだ。

水野との結婚を急ぐあまり、なりふり構わない行動に出てしまう紗絵は哀れではあるけれど、元を正せば、水野、お前のせいだろ! とか、関口、優子に片思いし続けているのは構わないが、その優子の弱みに付け込むようなことは止めろ!とか、烏山(優子の上司)、お前みたいなのが働く女性の敵なんだよっ! とか、読んでいるうちに、思わずヒートアップしてしまうほど、垣内さんの描写は的確で、そして読み手の心を掴む。

優子のかつての不倫相手で、今や、次期社長と目されている専務の瀬島がカッコ良すぎるとか、凡庸、マジで仏のようだな、とか、その辺りを突っつく声もあるかもしれない。けれど、瀬島や凡庸がいるからこそ、まだこの世界が捨てたものじゃない、と思えるのではないか。そこはむしろ、こういう存在があって欲しい、という作者の願いのようなものだと思う。

他にも、優子の兄と姉、そして母、それぞれのドラマも読みどころたっぷり。女性はもちろんだが、男性にこそ読んで欲しい一冊だ。

吉田伸子(書評家)

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垣谷美雨『四十歳、未婚出産』

未婚の母になったりしたら苦労するに決まってる。
でも、子供を産む、最初で最後のチャンスだ。だったら……。
四十歳を目の前にして思わぬ妊娠に揺れる、旅行代理店で課長代理として働く優子。お腹の子の父親は28歳のイケメン部下・水野で、恋愛関係にあるわけでないし、本人にはどうしても言えない。偏見のある田舎の母親やパワハラ上司、不妊治療に悩む同期にも、言えない。しかし、どこからか優子の妊娠の噂を聞きつけた水野とその彼女があれこれまとわりついて嗅ぎ回る。女は出産したら一人前には働けないというパワハラ上司からも意地悪をされ、四面楚歌。産むのか、産まないのか、言うのか、言わないのか。シングルマザーで仕事はどうするのか……。結論が出せずに悩む優子だったが、田舎の同級生やかつて不倫していた上司、兄のブラジル人妻、仕事と子育てを両立する同僚など、少しずつ味方が現れて、揺れながらも、気持ちは固まっていく。痛快で優しい、全ての女性への応援小説。