ホラー作家、田辺青蛙さんにもとにやってきたとある人形から始まるお話を3日連続でお届けします。

***

紅い着物を纏って、天袋に寄り掛かるようにして私を見下ろしている人形宛に一通のファンレターが届いた。

几帳面な文字が花模様を透かした便箋に並んでいる。

内容は、イベントで見た貴女(人形)の姿が忘れられないというようなものだった。

その手紙の内容を知ってか知らずか、無表情が常である筈の人形が微笑んでいるように感じた。

人形に名前はついていない。

 

人形が我が家にやってきたのは、5年ほど前のある日、祖母からかかって来た一本の電話が切っ掛けだった。

「ちょっとねえ、檀家さんから預かった人形があるから、あたしん所に取りに来ないかねえ……」

祖母は弟が住職を務める寺に住んでいた。そこでとある方から預かった人形について許可を得たので、怪談を書いている孫の私に手渡したいということだった。

その人形は、檀家の方の縁者がとても大事にしていたらしいのだが、その方が亡くなりそれから閉じていたと思う人形の口が開いてギザギザの歯が覗いて見えはじめたり、家鳴りが増え、人形が飾られた箱の周りが雨漏りをしたように、びちょびちょになっていたりと、他にも様々な奇妙なことがあったので、お寺に預ける気になったという。
 
祖母から受け取った人形は段ボール箱の中に入っていて、持ち上げると予想していたよりも、とても軽かった。

家に持ち帰ると、夫が料理をしており何をしてきたのか聞かれたのだけれど、正直に答えるのが億劫に感じて祖母の家に行ってきたとだけ答えて手に持っている段ボール箱については、何も言わないでおくことにした。夫も特に疑問に感じなかったのか、箱の中身が何かは当時聞いて来なかった気がする。

それから、家の中で時々段ボール箱に視線を向けることはあっても、開けて飾る気にもなれず、中の人形には少々悪いような心持のまま仕舞いっぱなしになっていた。

ただ夫が箱を見て、中から何か聞こえたけれど、ラジオでも入っているの?と聞かれた時はドキっとした。

夫は私と違い、怪談には興味はないし、怖い話が好きなタイプでもない。

それにしても、夫は一体どんな音を聞いたのだろう?

未だにそれは分からず終いでいる。

 

そんな話を金沢で出会った怪談作家のNさんにしたところ、面白そうなので今度の怪談を語るイベントを大阪の道頓堀でやるので、そこで箱から人形を出すお披露目会をやろうという事になった。

Nさんの黒く豪快に伸ばした髭が揺れ、なんかあったらおもろいからなあと、笑っていたのを覚えている。

数か月後、そんなこんなで人形の箱を抱えて夜の道頓堀の、地下にある劇場にと向かった。
 

Nさん達と、私が幾つか怪談を檀上で披露し、休憩時間を挟んで、深夜0時過ぎにとうとう人形の入った箱を開封することになった。

グルグル巻きのガムテープを剥ぎ、箱の蓋を開けるとまずは古い黄ばんだ新聞紙が姿を現した。

新聞紙を避けると、白い綿に包まれた赤い着物と血のような茶色の染みに染まった布と和紙に巻かれた黒々とした髪が姿を現した。

箱から人形を取り出すと、会場がシン……っと水を打ったような静けさに包まれた。

やや古びているけれど、金や銀の糸があしらわれた豪華な紅い着物、聞いていた通り開いた紅い唇から覗くギザギザの歯、会場の照明のせいかやけに光って見える黒目がちな瞳。

何故だか、人形は場違いな所で急に眠りから覚まされたとでも言わんばかりに怒っているように見えた。

 

しばしの沈黙の後、Nさんが会場に向かって急に「この人形、抱っこしてみたい人!」と呼びかけた。

最初は会場の皆、顔を見合わせるばかりで誰も挙手してくれなかったのだけれど、しばらくすると、会場の中から若い男性が1人だけ手を挙げてくれた。

その男性は檀上に近づきそっと、人形を産まれたての赤ん坊のように受け取った。

「あれ、この人形片腕がないですね……そして多分足も……」

男性は着物越しに感じたことを言って、しばらく左右に軽くあやすように揺らした後、どうぞと丁寧に人形を返してくれた。

抱っこしていた時間は一、二分だっただろうか。後になって、この時、司会者の方やお客さんの多くから男性が抱っこしてから人形の表情が、変わったように見えていたと聞いた。

実際イベントの場を飲み込み圧倒していた人形の表情は、私から見ても柔らかく微笑んでいるように感じられたのだ。抱えた男性の人柄の影響だろうか?

そして、テーブルの上に置かれた人形を前に、新たな怪談を語ろうと出演者が思っていた時にそれは起こった。

 

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