「おっさんジャパン」は「おっさん」なのか


「おっさんジャパン」

今年のワールドカップの日本代表はベテラン選手が多く、こんな風に呼ばれていました。でも、代表メンバーの平均年齢は28.26歳。最年長の川島選手でも35歳。会社員ならバリバリ働く人も多く、円熟期はまだこれからという年齢です。

ちなみにアルゼンチンのメッシ選手は31歳。日本の香川選手は29歳。半端ない大迫選手は28歳。人生が80年だとしたら、彼らはまだ半分にも満たない時期に、ものすごい結果を出し、成功を収めたと言えます。

それに比べて僕はいったい…
製粉会社を1年で辞め、広告制作会社でコピーライターを4年やっても花開かず、さらに出版社に5年勤めてから何を思ったかフリーに(今年で4年目)。このあと僕は、彼らみたいに何か結果を出せるのだろうか。あぁ、いますぐ香川選手になりたい!(「顔が似ている」と2回ほど言われたことがあります)

……こんな「自分って何もせずに死ぬのだろうか」というモヤっとした思いを、

「まだ大丈夫かも」
「なんかできるかも」

という少し前向きな気持ちに変換したいと思い、この連載では60歳を過ぎてから結果を出した偉人のエピソードを紹介していこうと思います。

平均寿命が約40歳の当時、家康が幕府を開いたのは60歳過ぎてから

第1回は徳川家康。
「江戸時代」と言えば最初に思い浮かぶのが「家康」ですが、彼が江戸幕府を開いたのは60歳を過ぎてから。それまでは、人質になったり、妻や息子を殺すハメになったり、領地を田舎の方に飛ばされたり……「つらい」の連続だったことをご存知でしょうか。ここで「家康・苦難の歴史」をざっと年表にしてみます。

1542年 0歳
松平家(のちの徳川家)の長男として誕生。当時の松平家は、織田家や今川家に囲まれた小国だったため、今川家に頼りきっていた。

1544年 2歳の頃
母が織田家の味方になり、出て行く。

1547年 4歳の頃
今川家から「家康を人質としてよこせ」と言われ、家康は今川家へ……と思いきや、途中で裏切りが起こり、敵の織田家の人質に。すでに波乱万丈過ぎる! 

1549年 6歳の頃
父・広忠が家来に殺される。同じ頃、今川家と織田家の間で取引があり、家康は織田家から今川家に送られる(もちろん人質として)。

1560年 17歳の頃
今川義元と織田信長による「桶狭間の戦い」が勃発。家康は今川軍として参加するも、義元が戦死して信長が勝利。負けはしたものの、家康は人質から解放され、ついに独立する。

1563年 20歳の頃
領地内で一向一揆(一向宗の反乱)が勃発。

1572年 29歳の頃
武田信玄との戦に敗れ、命からがら逃げ帰る。

1579年 36歳の頃
同盟相手・信長の命令によって、妻を殺すことに。同盟といっても、当時の織田家は圧倒的な強さを誇り……拒む余地なし。

1580年 37歳の頃
信長の命令によって、息子・信康も殺すことに。37歳……今の僕(未婚)と同い年。

1582年 39歳の頃
信長が本能寺の変で明智光秀に殺される。

1590年 47歳の頃
信長の後を継いだ豊臣秀吉とともに北条家を滅ぼす。でも、秀吉から褒美として与えられたのは、関東のドイナカ8国(当時の関東地方は田舎だった)。もとの領地は手放すことに。

荷物を持って止まってしまえば、きっともっとつらいから


……こんなつらい経験を積み重ねて、55歳の頃に秀吉が死に、1600年、57歳の頃に「関ヶ原の戦い」で石田三成に勝利。1603年、61歳の頃にやっと江戸幕府を開くのです。


人の一生は
重い荷物を背負って
遠い道を行くようなもの。
急いではいけない。


これはそんな家康が残した言葉。平均寿命が40歳ほどと言われた時代に、60歳を過ぎてやっと成功を収めた彼の人生は、そのほとんどが我慢の連続でした。時に理不尽な指示に従い、時に大きな失敗をしても、グッとこらえて一歩踏み出す……
どんなにつらくてもゆっくり歩き続けた家康は、いつもこんなことを思っていたのかもしれません。

「荷物を持って止まってしまえば、きっともっとつらいから」

それでは今週も、ゆっくり急がず行ってらっしゃい!

 

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