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ウォーターゲーム

2018.07.13 公開 ツイート

『太陽は動かない』『森は知っている』シリーズ映画化!

新作『ウォーターゲーム』に秘めた、吉田修一さんのあくなき挑戦とは?

 ジェットコースターに乗るより興奮するかもしれない。まさにノンストップ・アクション、手に汗握るスパイ小説だ。描かれるのは、AN通信での“定年”35歳を間近に控えた鷹野一彦の進化した姿。シリーズ三作目となる本作では、アヤコ、デイビッド・キム、中尊寺信孝など、前二作の人気キャラクターたちも勢揃いして、裏切り、騙しあいながら熾烈な情報戦を繰り広げる。全力疾走で、初のエンターテイメントシリーズを書き上げた吉田修一さんが、今抱く想いとは——?

インタビュー・文/河村道子 写真/中西真基

1作目を書いている途中から
すでに3部作構想があった

「止まることなく書けました。“走っていた”んです。その感覚は、作家生活二十数年のなかでも初めてのものでした」
「作品の世界が、ぽーんと目の前に浮かんだとき、思わず飛びつきたい衝動に駆られた」
と語った『太陽は動かない』刊行から6年。シリーズ3作目となった『ウォーターゲーム』執筆時に思いを巡らせ、吉田さんはそう語る。
「“こんな小説、書いたことないぞ”という覚醒のようなものから始まった『太陽は動かない』も凄まじい勢いで書きましたが、今から考えると、重いペダルを必死に漕いでいるような感覚がありました。けれど『ウォーターゲーム』は負荷がかかることなく、すーっと書き進んでいけました」

 手応えとして感じていたのは、「これがシリーズものを書くということの醍醐味なのか」という爽快感。“鷹野一彦シリーズ”と、ヒーローの名を冠した産業スパイ小説は、それまでの吉田修一作品とのあまりのギャップに、そして圧倒的なスケールとスピード感に、読む者を驚きと興奮の渦に巻き込んできた。1作目『太陽は動かない』では、地球上のエネルギー地図を塗り替え、国政も巨万の富も牛耳ることのできる宇宙太陽光発電に関する情報を巡り、鷹野たち諜報員が、巨大企業が林立するアジアを縦横無尽に跋扈。巨大スタジアムの爆破計画あり、上空千キロメートルからの脱出あり……と、ページを繰る手も熱くなる“スパイ大作戦”が展開されていった。
 

「『太陽は動かない』の執筆中から、すでに自分のなかでは、これを3部作にしようという構想があったんです。それまで作品間で登場人物がリンクするものはありましたが、シリーズとして確立させたいと思ったのは初めてのこと。続く2作目は、時間をぐっと遡らせてしまったので、続きというよりは、マイナス地点から物語を始めるという作業になりましたけれど」
 2作目の『森は知っている』では、通信社を装った産業スパイ集団“AN通信”の諜報員となるべく、南の島で過酷な訓練を受ける17歳の鷹野が描かれた。物語の芯は訓練の最終テストとなる初

ミッションに挑むまでを追っていくが、石垣島の南西に位置する架空の場所、南蘭島を舞台にしたストーリーは、初恋あり、仲間たちとのお騒がせな日常あり、と大自然のなかでの青春グラフィティを展開していった。
「鷹野が高校生活を送る孤島は、10年以上も前から自分のなかにあった場所でした。人にはそれぞれ原風景というものがありますよね。このような島での暮らしは経験ありませんが、彼が過ごした南蘭島は、自分のそれに近いものがあった。この孤島は、以前にも書いてはやめ、書いてはやめを繰り返していたのですが、1作目で31歳の鷹野を描き、この男の青春時代とは─と考えたとき、ぱっと色鮮やかに像を結びました」
 ともにAN通信の訓練を受ける親友・柳、知的障害を持つ彼の弟・寛太、さらに鷹野を南蘭島へ送り出すまで、共に暮らしていたAN通信の上司・風間、子供時代の鷹野を見つめていた風間の家政婦・富美子らとのふれあい、その人たちの視点からも、鷹野一彦という男の成り立ちが浮き上がってくる。
「『森は知っている』を書いて、キャラクターがリアルに感じられるようになりました。鷹野をはじめとする登場人物たちが、自分のなかで、昔から知っている人たちへと変わっていったんです。書いているときは、羨ましい、という気持ちが続いていました。南蘭島での鷹野や柳たちの生活がものすごく羨ましかったんです。自分も小説のなかに入って行きたくなるほどに」

“羨ましい”から出て来た人物
“淋しい”を捨て去り、生まれたもの

 “羨ましい”。それは、このシリーズの成り立ちとなったキーワードでもある。『太陽は動かない』執筆の出発点は、超エンターテインメントな顔とは裏腹な、2010年に世間を震撼させた大阪幼児餓死事件だ。外へと出ないよう窓や扉に粘着テープを貼ったうえ、玄関に鍵を掛け、出て行った母親が、2人の幼子を放置死させた痛ましい事件である。
「はじめは、母親によって閉じ込められた子供たちを部屋の外からずっと眺めていたのですが、それがあるとき、なぜか部屋のなかにいるその子たちの視点になれた。その瞬間、目の前の世界がガラッと変わり、ぱぁーんと視界が広がっていった先にあったのは、絶望でも哀しみでもなく、ヘリコプターで空を駆け巡ったり、車で突っ走ってみたり、という子供っぽい空想の世界でした。それが大人の世界に変換され、この小説が生まれてきたのですが、そのとき僕のなかに確固としてあったのは、その子たちの人生を、書いている自分も含め、羨ましく思えるようなものにしたいということでした」

『ウォーターゲーム』では、その“羨ましさ”が、ひとりの人物として像を結んだ。
「なぜ、このキャラクターが、書き始めたときから出てきたのか。今思うと、このストーリーのなかにいる者たちを、ものすごく羨ましがっている僕自身の視点から生まれたように思うんです。自分も仲間入りしたかった、けれどできなかった、という悔しさも持って」
 鷹野をはじめ、AN通信の産業スパイたちは、共通した過去を持っている。彼らは孤児、あるいは親からの虐待を受けて保護された子供だった。施設で育ったその若者、若宮真司も、かつてAN通信の諜報員としての道が用意されていたのだが、そこに進むことは叶わず─そんな鬱屈を抱えた視点から幕を開けるストーリーは、濁流がひとつの市を丸ごと呑み込んでいく巨大ダムの爆破の瞬間を彼の眼に焼き付けながら進んでいく。
「『ウォーターゲーム』は新聞で連載をしていたのですが、あまりにもすいすいと書けてしまって。実はそこに躊躇してしまった自分もいたんです。こんなに手応えがなくて、本当に良いのだろうかと。考えた末、何をしたかというと、いつものスタイルのように、登場人物の内面をじっくりと書き込んでいった。けれど連載が終了したあと、すべてを読み返し、確信したのは、その書き方はこのシリーズにそぐわないものであるということでした」
 24時間連絡が取れなければ、組織への裏切りとみなされ破裂する爆弾を胸に埋め込まれたAN通信のスパイたち。一日、一日を必死で生き抜く彼らを真っ向から描くために挑んできた、肉体とその動きで人間を捉えるという自身初のスタイル。それはこれまでの吉田修一作品の核となってきた、人が持つ“淋しさ”という感情を無意識に外す装置にもなったという。内面を深く掘り下げていくことで、次々と新たな地平を見せてきた吉田さんが、そこで気付いたのは、「淋しさを持たない人物たちはこんなにも自由に動けるんだ。外へ、外へと向かっていくことができるんだ」ということだった。
「気付かないうちに、僕は、その淋しさを登場人物たちのなかに描いてしまっていた。今回、単行本で刊行するにあたり、その部分はすべて削り、エピソードも大幅に改稿しました。そこでようやく『太陽は動かない』執筆の際に抱いた、“こんな小説、書いたことないぞ”という“飛び込んだ感”が戻ってきたんです。今回はまさしく巨大ダムから飛び込むような高さをもって(笑)」

“水”を巡る情報戦略
その構想に影響を受けたのは
おそらく“国民的トラウマ”

 若宮真司が目撃した福岡・相良ダム決壊の第一報を、鷹野はメコン川を行く豪華クルーザーのなかで知る。世界各国で水道事業を一手に引き受けているフランスのV.O.エキュ社の重役・デュボアとともに。鷹野のミッションは、その爆破を阻止することであった。日本国内での水道事業民間委託の遅々とした歩みに業を煮やした日本企業と政治家たち、そして日本進出を目論むV.O.エキュ社が画策した地方ダムの爆破。それは水問題を国家レベルの危急の問題にし、水道事業の自由化を一気に進めるためのものであった。だが、その反社会的な秘密裏の計画をV.O.エキュ社内で反対され、孤立したデュボアは、ダム爆破の阻止を急遽、AN通信に依頼してきたのだが─。
「小説内でも書いているのですが、ブッシュ元大統領一族をはじめとする者たちの株主企業がボリビアの水道事業を請け負い、跳ね上がったその水道料金のため、水を飲めなくなった家庭が続出したという話など、水に関する資料を読んでいくと興味深いものがとても多い。“それがもし日本で起きたら……”という発想から、この構想は生まれてきました。けれど、そうした水の問題というより、僕が影響を受けていたのは、震災後から皆が抱える“国民的トラウマ”のようなものだったのかもしれません」
 “東日本大震災の時もそうでしたけど、こういうエネルギー政策の方針転換はパニックのなかにある時の方が簡単に動きやすい”─鷹野の部下、田岡の言葉にあるダム爆破計画の根底にあるもの。それは現実から離れたところで展開しているストーリーを、自分が今いる地点にすっと結びつけてくれる。徹底した娯楽小説の体のなかに、ときおり現れる、現実に引き戻されるようなエピソード。それもまたこのシリーズの醍醐味だ。そして現実に寄ってきたかと思うと、再びストーリーは想像もつかぬ方向へと飛び立っていく。水で巨万の富を得ようとする者たちの策略は、日本から中央アジアへと拡大し、スパイたちの緻密な情報戦略の世界図も広がっていく。誰かがカードをひっくり返せば、誰かがまたカードをひっくり返すという攻防戦を繰り返しながら。

50代は“喜び”を書く作家と言われたい
これで少し理想に近づけたかも

 鷹野が仕事を依頼される“V.O.エキュ社”。それは『森は知っている』のなかで、彼の初ミッションのターゲットとなった企業だ。その情報を引き出すためのシーンで運命的な出会いをしたのが神出鬼没のライバル、デイビッド・キム。本作では、前2作の人気キャラクターたちが勢揃いする。仕事の腕は優秀ながらもドラッグに溺れる部下の田岡、謎の美女・アヤコ、日本のエネルギー事業を牛耳ろうとする狡猾な政治家・中尊寺、そして行方知れずになっていたあの人物も。まさに“オールスター”だ。
「食べたことのある料理を毎回、美味しいと言わせるために心を砕きました(笑)。シリーズ作って、そういうことなんだろうなと。本作では、AN通信の定年である35歳になろうとしている鷹野を描いたわけですが、彼にも少し余裕のようなものが出てきましたね」
 そして本作の“目玉”のひとつが、読者から“峰不二子の再来”とも称されるアヤコの闘いだ。“水”の奪い合いに参戦してくるイギリスの投資会社オーナーのひとり娘であり重役、高慢なマッグローとの女同士の対決は、これまで見たことのないアヤコの顔も照射する。
「書いていて一番楽しかった(笑)。この闘いはもう、個人的に聞きたい会話というか、観たい喧嘩というところで書いていました。アヤコがはじめ、マッグローと手を組むため、彼女を落とす、あるセリフがあるんですけど、それは知り合いの女性から聞いたんです。“なるほど! 女性が引っかかるのはそこなんだ!”という驚きとともに。1作目から決めていたのですが、このシリーズはリアリティがあまりない話なので、登場人物たちの会話はすべて、自分が聞いたものにしようと決めていました。そこは嘘にしないように、作らないようにと」
「好きなんですよね(笑)」と、著者も惚れる謎の女・アヤコ。実はその“好き”には秘密がある。
「彼女の生い立ちや過去は僕のなかに一切ないんです。想像しようと思ったこともない。完璧にゼロなんです。このタイプの小説というところに限定はされますが、背景を書けば書くほど、その人物の魅力が薄れてくる気がします。マッグローが裕福な少女時代を語るシーンがあるのですが、それを書いた途端、彼女はアヤコに負けてしまったんですよ、僕のなかで。アヤコは一切、荷物を持っていない。だからストーリーのなかで思いも寄らぬ方向へ自由に動くんだと思います。鷹野たちを騙して陥れようとしたかと思えば、なぜか突然、味方についたりもする」
 だが本作ではアヤコに限らず、昨日の味方は今日の敵とばかりに、登場人物たちは、その立ち位置を目まぐるしく変化させていく。水の利権争いのみならず、若宮真司を利用し、AN通信を壊滅させようとする動きのなかでも……。そこで登場人物たちの命綱となるのが、相手を“信じる”か“信じない”かの判断だ。
「人を“信じる”“信じない”というテーマは、『怒り』を書いたあたりから、ずっと持っています。そしてそれは、『太陽は動かない』を執筆した6年前より、“書きたい”という自覚が強さを増している」
 そうした自覚を捉えることができるのも、シリーズものを書くことの面白さであるという。
「ある程度の期間を空けてシリーズ作を書いてみると、自分が変わってきていることがわかるんですね。それも発見でした。今年、僕は50歳になるんですけれど、以前から50代になったら、喜怒哀楽で言えば、“喜び”みたいなものを書きたい、と思っていたんです。これまで書いてきた『パレード』も『悪人』も、喜怒哀楽で言えば哀しみだった。それを喜びへと移行する時期にようやく差し掛かってきたのかなということも本作を書いていて感じました」
『ウォーターゲーム』のなかには“喜び”の要素が詰まっている。部下・田岡の成長、彼が独り立ちできるまでに仕込んだ鷹野の自負、そしてもちろん鷹野自身の進化、ライバル同志の絆……。

「『太陽は動かない』は、鷹野にとって、親をはじめ、“自分が失ったもの”の話だったのですが、『ウォーターゲーム』は、“自分が得たもの”の話になった。3年の歳月のなかで会得した経験もそうですが、周りの人間との関係性も。そして僕自身の描き方が変わったということも感じています。理想とする“喜び”に近づいてきた気がする」
 本作を上梓するにあたり、今、感じているのは、達成感だという。
「『悪人』で僕は、初めて犯罪というものを描いたわけですが、それはかなりのチャレンジでした。けれど振り幅を比べると、このシリーズの方が断然大きかった。飛び込む高さとしては相当なものだったから、“ここ、行けたぞ!”という感覚があります。そして、そこに飛び込んだ作家としての時期をみても、“何やってもダメだから、もうこれしかない”という時期ではなかったことに意味がある気がして。飛び込まなくてもいいときに飛び込み、それを達成したということは自信にも繋がりました」
 “和製スパイ小説”を確立した「鷹野一彦シリーズ」は、どの巻から読んでも、その世界観、ストーリーに入っていける。そこにも熟練作家の技が光る。そしてなんと映画化企画も進んでいるという。
「このシリーズの映像化は楽しみで仕方ないんです。3部作が揃った今はまさにお祭り気分。これは、そうした高揚感のなかで読んでいただくのにふさわしいシリーズだと思います。殊に『ウォーターゲーム』は、より群像的な面白さが前面に出ています。ぜひそこを味わっていただきたいですね」

(「小説幻冬」6月号「特集 吉田修一『ウォーターゲーム』」より抜粋)

関連書籍

吉田修一『森は知っている』

南の島で知子こばあさんと暮らす十七歳の鷹野一彦。体育祭に興じ、初恋に胸を高鳴らせるような普通の高校生活だが、その裏では某諜報機関の過酷な訓練を受けている。ある日、同じ境遇の親友・柳が一通の手紙を残して姿を消した。逃亡、裏切り、それとも――!?その行方を案じながらも、鷹野は訓練の最終テストとなる初ミッションに挑むが……。

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