写真:iStock/Kritchanut

誰一人として悪を欲する人はいない

 今の世の中は、平気で嘘をつくなど、目も当てられない不正が横行しています。
 なぜそうなってしまっているのか、この現状に対して何ができるのかを考えてみましょう。ソクラテスのパラドクスとして知られている「誰一人として悪を欲する人はいない」という命題があります。この言葉を聞くとたちまち反論したくなる人がいるでしょう。悪を欲する人だっているはずではないか、現に不正を行う人がいるではないか、と。

 例えば、正義についていえば、正義を行っている人は、それを心ならずも行っているのであり、本心からの正義の人ではないかもしれない。
 つまり、もしも誰にも知られることがなく不正を行う機会が与えられれば、不正を犯すかもしれない。そう考えるのです。
「誰一人として悪を欲する人はいない」のであれば、「誰もが善を欲している」ということです。

 このようにいう時のギリシア語の「善」「悪」には道徳的な意味はなく、善は「得になる」「ためになる」、悪は「得にならない」「ためにならない」という意味です。
 このことに注意して、「誰一人として悪を欲する人はいない」という命題を読み直すと、それは「誰も自分のためにならないことは望まない」「自分の得(ため)になることを欲している」という意味になります。

 そのように読めば、「誰一人として悪を欲する人はいない」という命題は当たり前の事実をいっているだけであり、パラドクスではなくなります。
 そうすると、不正を行う人は悪を欲しているのではなく、「不正は善である」、つまり、自分のためになると考えているということになります。

なぜ人は見え透いた嘘をつくのか

 なぜ人は嘘をつくのでしょう。しかも、嘘であることが誰にも明らかな嘘を。
 子どもであれば、親や教師から叱られるのが怖いので嘘をつくことがあります。大人の場合も、上司から叱責されたり処分されたりすることを恐れその場逃れの嘘をつくことはあります。

 しかし、このような理由が当てはまらないケースもあります。
 企業などが不祥事を隠すのは、後に発覚することになっても、すぐに公表するよりも、公表を遅らせる方が得策だと判断してのことですから、その場逃れではありません。
 隠し通すつもりがやむをえず会見を開くのは、そうすることが善(=得)だと判断するからです。
 しかし、その会見においてですら真実をいおうとはせず、見え透いた嘘をつく人がいます。会見をしたという既成事実さえ作ればいいと考えているからです。
 嘘をつくことが自分に得になると考える人は、嘘だと非難されても嘘をつくでしょう。嘘をつくことが一時的に損になるか、将来的には得になるかを天秤にかけるわけです。

一人が変われば、組織は必ず変わる

 一体、なぜ見え透いた嘘をつき、そのことを恥じないのか、
 嘘をついてもそのことが激しく非難されなければ、嘘をついてもいいと考える人がいてもおかしくありません。やがて、忘れられるだろうと思い、実際、多くの人は忘れてしまいます。
 嘘をついても、公文書を改竄しても何の得にもならなければ、現状では不正を行うことで得をしている人もそのような行いをやめるでしょうが、今は得が損を上回っているのです。公約を守らなくても当選したらこっちのもの、強行採決をしても法案を通せばこっちのもの。

 このような不正の横行を食い止めるために、まずできることは、嘘と不正に慣れないことです。不正と嘘を許してはいけないのです。
 なぜ不正を看過してしまうのでしょうか。なぜ不正を看過できるのでしょうか。一言でいえば、他人事だと考えているからです。しかし、他人事だと思って不正に慣れてしまうと、そのことの結末は必ず自分に降りかかってきます。

 次に、自分が不正をしないことです。不正を行った人を非難することは容易ですが、誰もが同じ状況では不正を行うことはありえます。上司から強いられると、組織の中では逆らえないことはあります。しかし、不正であっても指示に従う時、従った人はそのことを善(得)と判断したのですから、責任を免れることはできません。
 しかし、上司に従うことが誤りであったことに気づけば、すぐにやめなければなりません。
 真実を語ればどうなるのか。そのことで約束されていた益を手放すことになっても、真の善を選び取る決心をした人は真実を語るでしょう。そのような人を支持する人は多いはずです。真実をいわない臆病は伝染します。他方、真実を語る勇気も伝染します。

 一人が変われば、組織は必ず変わります。
 さらに、嘘をつくなど不正を行うとどうなるかを知らなければなりません。
 嘘をつくことには理由があります。自己保身のためであったり、上司に取り入るためです。そのような目的のために嘘をつく人は上司には気に入られるかもしれませんが、上司が間違えた時にはそれを正すというような気概もなく、上司の言いなりに生きているので、同僚の信頼を失うことになります。そしてついには、その上司からも部下が勝手にしたことだとして不正の責任を転嫁されることになります。

 上司の顔色を見て生きる人は、結局のところ、自分のことにしか関心がないのです。この自分にしか向けられていない関心を他者に向けなければなりません。自分の損得しか考えられない人があまりに多いと思います。

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