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2010.10.15

2010年10月上旬 だらしな脱出できるかな日記

藤田 香織

2010年10月上旬 だらしな脱出できるかな日記

10月2日(土)

 やっとエアコンなしで寝れるようになったよ! 秋最高! 超幸せ!! と惰眠をむさぼっていた午前10時。ピリピリと携帯電話が鳴った。
 土曜の午前中になんだ? と思ってみたら、従姉のIちゃんで寝ぼけ声を隠しもせず出たところ、Iちゃんの実父である伯父が危篤状態だと入所している施設から連絡があったという。脳梗塞の後遺症で入退院を繰り返していた伯父は、3ヶ月ほど前から介護老人施設に入っていて、それなりに安定していたのだけれど、少し前から嚥下障害から肺炎になって熱もあると聞いてはいた。
 聞いてはいたけど、だけど、でも。昨日Iちゃんから「熱も下がってきたよー」と連絡があったばかりだったのに。
 とりあえず、もう5日も風呂に入っていなかったので、急いでシャワーを浴びて、施設まで車をとばす。運転している間にも、携帯電話にママリンや弟から続々入るが、出るに出られず、状況がわからないまま10時50分、施設着。
 部屋に入ったら、伯父は酸素呼吸器をつけられて浅い呼吸を繰り返していた。意識は朦朧としていて、話は出来ず、声をかけるとたまに眼が動く、という状態。
 でも、私には正直、この状態が「危篤」だとは思えなかった。え? ホントに? という感じ。部活のユニフォーム姿のままかけ付けてきて、既にガン泣き状態のIちゃんの娘・Sちゃんに「まだ泣くのは早いよー!」と言ってみたり。
 12時近くなって、休日出勤していたIちゃん夫、学校に行っていた長男Kちゃん、うちのパパリン&ママリン、一番下の叔父&叔母などがやって来るも、私が来たときと容態に変化はなく「どうやらこれは、すぐにどうこうということもないのでは?」と見解が一致。伯父の妻であり、Iちゃんの実母であり、うちのパパリンの実姉である(面倒臭い説明で申し訳ない)伯母が来たところで、人も多いし、とりあえず持病もあって長時間の緊張に耐えられそうにないパパリンと、ユニフォーム姿のSちゃんを連れて一旦施設を出る。施設とIちゃんの家と私のマンションはちょうど△な位置にあるので、Iちゃんを着替えさせて、昼食を食べ、パパリンをマンションに置いて、再び施設に戻ったのが午後3時。相変わらず、伯父の容態に変化はなさそうだった。
 病院とちがって心電図なども繋がれていないので、微妙な変化が分らない。施設の看護士さんに聞いても、はっきりしたことは言ってくれないので、いつどうなるのか、っていうか、この状態からどうなったら「いよいよ危ない」のか、まったく想像がつかない。でも、なんとなく「今夜がヤマっぽい」という感じだったので、5時過ぎて、これまたムリのきかない伯母は家に帰り、Iちゃん一家も夜に備えて一度帰して、私と弟とママリン&叔父叔母が残った。それが夜6時。長期戦になりそうだったので、ママリン&叔父叔母を夕食に行かせて、6時半から7時半まで、私と弟がふたりで伯父に付き添った。
 相変わらず呼吸は苦しそうだったけど、それは朝来たときと変わらず、弟と私にはまだまだ緊迫感がなくて、「おじちゃーん! 大丈夫ー!」とか「またすぐIちゃん来るからねー!」などと声をかけつつ、「夜ご飯、何たべる?」てなことを暢気に話してもいた。
 そして帰ってきたママリンズと交代して、弟と夕食に出たのが7時半。Iちゃんは9時頃戻って来ると聞いていたので、それまでに私たちも戻るつもりだった。弟が、今夜病院で読むのに『マリアビートル』を貸して欲しいというので、帰りに私のマンションに寄るつもりで、少し遠いけど大泉学園の駅近くまで車を走らせた。コインパーキングに車を止めたところで、ママリンから電話。「ちょっと容態が急変してきたみたい。Iちゃんにもこっちに向かってるから、あなたたちも戻ってきて」と言う。
 ついさっきまで悪いなりに安定していた伯父の傍にいた私と弟は、そう言われてもまるで現実味がなく、とはいえ流石に店で食事するのもいかがなものか、とは思い、コンビニでサンドウィッチやおにぎりを買って、再び車に乗り込んだ。と、そのとき、再びママリンから電話が。「どこにいるの! 早く来てっ!」と10分前とは比べ物にならない焦り声が聞こえてきた。返事をする間もなく切れた電話の最後に、「お義兄さんっっ!」とママリンが叫んでいた。
 それが8時半。弟に「なんか本当に危ないみたい」と伝える。でも、それでもまた私と弟はなんだか信じられず、深刻になれず、でも気持ちの片隅は確実に焦りながら、施設へ戻ったのが夜の9時。急ぎ足で部屋に入ると、泣き臥したママリンとIちゃんと、もう酸素呼吸器を外され、静かになった伯父がいた。
 嘘みたいだった。人ってこんなに急に死ぬんだと思った。とにかくIちゃんが来るまでは、と看護士さんとママリンが交代で心臓マッサージをして、Iちゃんはギリギリ間に合ったものの、そこで劇的に伯父が意識を取り戻したりすることはなかったという。伯父の顔はまだ温かくて、廊下で叔父と叔母が親戚縁者に連絡する声を聞いてようやく、あぁ本当に逝ってしまったのだと、頭が理解した。
「御遺体を清めさせて頂きますので、しばらく御退室願います」と言われ、談話室のようなところで待っている間に、Iちゃん家族と伯母が再び戻って来た。KちゃんやSちゃんは、「お爺ちゃん!」と声をあげることもなく静かに泣いていて、Iちゃんはもう気丈にいろいろな手続きをこなしていて、私はといえば、壁にかかったカレンダーの六曜を見ながら、今日は友引、月曜日は仏滅、火曜日は大安。ってことは、このままだと月曜日にお通夜で火曜日にお葬式? お葬式って大安関係ないんだっけ? などと考えていた。頭の中に来週の締切りが浮かぶ。レギュラーの書評原稿2本、イレギュラーの書評原稿2本、新連載の対談まとめ1本、文庫の解説1本。どれをどれぐらい、延ばしてもらえるか。こんな状況で、そんなことを考えている自分は、どうかしてると思いながら、考えていた。
 亡くなった伯父は、父(パパリン。しかしこの呼び方、こういうときに文章にするとチャラけてるので以下一般モードで)の姉の夫で、私とは血の繋がりはない。だけど父方の6人いた伯父&叔父のなかで、私も弟も、この伯父が一番好きだった。お堅いサラリーマンのほかのオジさんたちと違って、中学の美術教師で、洋画家でもあった伯父は、茶目っ気と遊び心のある人で、子供の頃から明らかにお堅い職業には就けそうもなかった私たちにとって、一番話しやすく、ともすれば父よりも私たちを理解してくれている、と思える存在だった。私が幼稚園に通っていた頃の2年間、江古田の祖父母宅で、Iちゃん一家とは一緒に暮らしていたこともあり、なんというか他の親戚とは違ってとても「近い」という思いが私たちにはあった。それは母も同じで、舅姑小姑たちとの暮らしのなかで、ちょっと浮世離れした伯父は息を抜ける存在だったのだと思う。
 夜10時。施設は今夜中に出なければいけない。10時半、伯父の入っていた互助会の車が来て、後日、通夜・告別式を行った会館へ一緒に行き、納棺をすませたのが深夜1時。
 祖父母のときは、子供だったので記憶になく、大人になってから納棺に立ち会うほど親しい親戚が亡くなったのも初めてで、なんだかずっとぼんやりしたまま時間が過ぎてしまった。母と一緒に自宅マンションに戻ったのが午前2時。
 まったく眠れず、この日記を書きながら、自分が泣かなかったことに今、気付いた。

こちら、精進落としのお弁当の一部。でも東京って今は普通に通夜ぶるまいでも魚料理とか肉料理とか出るよね。以前、地方の葬儀に参列したとき、精進落としまで本当に魚類&肉類食べなかった(家でも)ので、驚いた記憶が。今回の通夜ぶるまいは、お寿司と天麩羅、煮物などで、子供用には唐揚げなんかもあった。冠婚葬祭って地方によって風習が全然違うから戸惑う。
違う店で買ったのに、Iちゃんと同じ靴だった。ちなみに、誰のかわからないけど、もう1足、同じものがあった。恐るべしシマムラー!

家に帰ったら、猫ズ妹がなぜかお風呂のなかにいた。なんでー! パパリンと留守番するのがイヤだったのー?

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