来客の多い一週間でした。

 久しぶりに予定のない土曜日、我が家の愛犬が朝食のタイミングになっても、起き出してきません。
 連日の来客で、お客様の接待係として活躍する彼も、少しくたびれ気味のようです。

 私も、今日は家族の食事を作る以外は何もしない日、と決めました。

 お客様向けのよそ行きの料理ではなく、いつも通りの我が家の定番のメニューを、なるべく手間をかけずに作りましょう。

 そういったメニューは、我が家では「茶色い料理」と呼ばれています。

 醤油や味噌、ケチャップなどで調味した家庭料理は、どうしても茶系統の色合いになってしまいます。

 子供の頃、学校に持たせられた、母の手作りのお弁当のことを思い出します。

 母が詰めるお弁当のおかずは、大体、茶色でした。

 友達の一人がいつも持ってくるお弁当の、赤いプチ・トマトやウィンナ・ソーセージ、緑の野菜などが彩りよく、美しく盛り付けられているさまを見るにつけ、私は自分の茶色いお弁当が恥ずかしくてなりませんでした。

 ある日、私は、その友達と自分のお弁当の決定的な違いに気づきました。

 玉子焼きが違うのです。その友達のお弁当の玉子焼きは、きれいな黄色なのですが、私の玉子焼きは、茶色でした。

 家に帰り、私は母に言いました。

 明日からは、黄色い玉子焼きを作って。茶色い玉子焼きは嫌だから。

 母の返事はにべもないものでした。醤油を入れなければ、玉子焼きは黄色になるけれど、砂糖と塩だけで味つけした玉子焼きは美味しくないわ。

 翌日、お昼の時間にお弁当を開くと、玉子焼きは相変わらず茶色でした。

 白だしなどというものの存在が、あまり一般的ではなかった時代でした。

 大人になり、自分で料理をするようになり、おもてなしの際には、彩りに気を遣って作るのですが、あり合わせの食材で、家族の食事を手早く用意しようとすると、不思議なことに、料理がみな茶色になってしまいます。

 私にとって、子供の頃に食べていて馴染み深く、また一番好みでもある料理が、「茶色い料理」なのかもしれません。

 茶色い、少しジャンクなものが食べたくなり、残り物の野菜と挽き肉を使って、キーマ・カレーを作ることにいたしました。

 玉葱、茄子、パプリカなど、冷蔵庫にある適当な野菜を刻みます。

 油を敷かないフライパンを熱し、挽き肉を入れ、塩・胡椒をして、色が変わるまで炒めます。

 肉から脂が出て来ますので、そこに先ほど刻んだ野菜を入れて、更に炒めます。野菜に火が通りましたら、市販のフレーク状のカレー・ルーを振り入れます。

 フライパンの中の水分でルーが溶けにくいようであれば、水かワインを少し加え、溶かして行きます。

 味を見ながら、仕上げに少々、めんつゆを加えるのが、私のやり方です。

 炊きたてのご飯にたっぷりと載せて頂く、出来たてのキーマ・カレーは、私にとってしみじみと落ち着く、「茶色い料理」の味わいでした。

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