「誰にも言えないモヤモヤした思いを受け止めるのが小説」。
そう言う作家の窪美澄さん。
4月に発売された最新作『じっと手を見る』の第1話を書き上げたのは2011年3月。東北大震災の直後だった。
それから7年がたち完成した作品は、生と死を強烈に意識する、介護士として働く男女の恋愛小説となった。
(インタビュー・文 瀧井朝世  写真 高橋浩)

ネガティブな状況をあえて書くのではない

 顔をあげれば目の前に富士山が見える町。そこで介護の仕事に就く若い男女を中心に、人の心の襞をじっくりと描く『じっと手を見る』。窪美澄さんの最新連作長篇である。

 冒頭の一篇「そのなかにある、みずうみ」を書いたのは二〇一一年三月と、ずいぶん遡る。二〇〇九年に「女による女のためのR─18文学賞」で大賞を受賞、その作品を含む連作集『ふがいない僕は空を見た』を刊行した翌年だ。

「(当時は官能小説というテーマで作品を募集していた)R─18文学賞でデビューしたということもあり、小説誌が官能特集を組む際に短篇を依頼されることが多かったんです。巻頭の『そのなかにある、みずうみ』も、そうして依頼されたものでした。三月二十日あたりが締切で、最初の濡れ場を書き終えた時に地震があり、そこから日を追うごとに、小説どころではない状況になって。怖かったけれど自分は小説を書こうと決めて、椅子に身体を縛り付けるようにして書き上げたのを憶えています。そこから連作にしないかという話があり、年一回ほどポツポツと書き進め、最終的に二〇一七年に最終話を書き終えました」

 幼い頃に両親を喪い、祖父と暮らし、今は特別養護老人ホームで介護士として働く日奈。その祖父を亡くして一人きりになった彼女を何かとかまって面倒を見るのが、専門学校で一緒だった元彼の海斗である。

 日奈と海斗が学校案内パンフレット用にインタビューを受ける場面がある。実はそれが、本作の出発点にも繫がっている。

「小説家としてデビューしたあともライターの仕事をしていて、甲府市内の介護福祉専門学校の学校案内を作る仕事を頼まれ、その学校の十八歳の男の子、女の子に取材して作っていたんです。

作中に出てくるライターのように〝休みの日は何をしているの?〟なんていうチャラけた話をしていたんですが(笑)、その時に自分よりも彼らのほうがよっぽど、リアルな人生で直面しているものが大きい、と感じたんですね。彼らには、この場所で食べはぐれてしまわないように介護の仕事を選んだ、という切実さがあった。そんな彼らに惹かれたんです」

 だから官能小説の短篇依頼があった時に、彼らを書こうと思った。

「官能の場面から始まる話ではあるけれども、人の生き死にに接する介護士さんの仕事や、人と人との触れ合い、人が生きては死んでいくという繰り返しを書きたいと思いました。日奈ちゃんの住む家の庭の雑草のように、茂っては枯れ、また茂って……というようなことですね」

 若くして身よりがいなくなった日奈については、

「彼女がなぜ介護の仕事を選んだのかを際立たせたくて。自ら進んで選んだわけだけれど、こうしたバックボーンがあってこそ、という感じを出したかったんです」

 一方、別れた後も彼女を心配して面倒を見る海斗については、

「日奈ちゃんがおじいさんを亡くして食欲もなくし不安定な状態になった時、がんがん踏み込んでいった人。人の世話をするのが好きな男の子ですが、まあ、重たいですよね(笑)」

 そんな彼も、家庭に事情を抱え、家族のために稼ぐ必要に迫られている。

「日奈ちゃんにしても海斗にしても、あえてそういう環境の人を選んだのではなく、こういうことは当たり前にあると思っています。私はよく〝ネガティブな状況や人を書きますね〟と言われますが、今の時代ってこれが普通じゃない? と思う。若い世代に話を聞くと、家庭に何か事情があることをオープンに話すんですよね。特別なことじゃないんです。実際にそういうバックボーンを持っている人がいるから書いているんです」

 登場人物がみんな大学を卒業して上場企業に勤めているような小説は、自分にとってリアリティがない、とも。

「もちろんそういう小説があっていい。でも、そうじゃない人たちの小説がもっとあってもいいと思う。上下に分ける言い方はしたくないけれど、小説はいわゆる世の中の上層部で生きている人たちだけのものではない。今の時代でスムーズに生きている人たちの話は私が書く必要はないかな、と」

 生まれた町で生きることを当然としている日奈。休日を過ごすのはショッピングモールと、小さな世界で暮らしている。

「彼らに取材した時に、東京や海外に行くという話は出なかったんです。となると、休日も県内で遊んで気持ちをはらして完結しているんだろうなと想像しました。それはテラリウムのようなもの。壜の中の植物が、水をあげなくても空気中の水分で育っている。閉じているけれど豊かで静かできれい。そういうものを書きたかった」

 しかし、日奈のテラリウムの中に入り込んできた人物がいる。学校案内パンフレット作成のために東京から来た編集プロダクションの社長兼デザイナー、宮澤だ。彼はその後、日奈の家を訪ねるようになり、二人は男女の関係となっていく。

「宮澤さんも、実は自分の中に欠損を抱えた人。日奈ちゃんとは寒流と暖流くらい交じり合わないものなのに、でも化学反応みたいなものが起きる。それが恋愛というものですよね。本来は出会うはずのない人と不意打ちで出会って、そこで喜びや悲しみが生まれる。

日奈ちゃんにとって、よるべない状態でいる時に宮澤さんの手は掴みたかったものだろうし、彼は自分がいる世界ではないものを見せてくれる人でもあるんですよね。それは精神的なものだけでなく、フィジカルな、自分の身体の扉を開けてくれるものでもあった。それも彼女にとっては大事なことだったんです」

 宮澤は裕福な家庭に生まれたものの空虚さを抱えて育ち、学生時代に編集の仕事を始めて会社を作り、当時からつきあっていた恋人と結婚した。だが今は、仕事も結婚生活も行き詰まっていて……。本作では日奈や海斗の視点のほか、宮澤視点の章もある。その「柘榴のメルクマール」は本誌の創刊号に掲載された一篇で、彼の来し方と本音の部分が生々しく吐露されている。

「創刊号に書くということで力が入りました。私は、こんなふうに人の内面や、考えてはいけないような思いを、作家たちが傷跡を残すように書いているものが小説だなと思うんです。この一篇には、宮澤さんがどうしてこういう人になったのかということと、小説ってなんだということの、両方を書きたい気持ちがありました」

 柘榴がはじけた時のような鮮やかなものが、みんなの心の中にもあるはず、と窪さん。
「そういうものを隠していたり、簡単な言葉で片づけてしまったり。それに対するモヤモヤを受け止めるのが小説じゃないかなと思うんです。宮澤さんが感じている怯えや気持ち悪さは、私の中にもある。自分の気持ちを宮澤さんに託したところがありますね」

年齢が最も表れてる手。枯れる、茂るの象徴に

 平成三十年の今、小説を書く意味がどこにあるのかはずっと考えている、と窪さんは言う。

「今、娯楽がたくさんある中で、小説の立ち位置ってなんだろうって考えますね。SNSなどを通じて情報としての文字はたくさん入ってくるけれど、どれも心の中には残らない。でも小説の中の言葉は残るんじゃないかなって。だから小説には希望がある。そう信じて小説を書いている人はたくさんいると思います」

 また、海斗にも新たな出会いはある。その女性、介護施設で働く畑中真弓の視点の章も本作にはある。屈託なく、自由に振る舞うあまり同僚から顰蹙を買う彼女は、実はシングルマザーでもある。

「老いた人と若い人が出てくるので、もうひとつ、子どもの要素を入れたかったんです。畑中さんは、ケアする老人には優しくできるけれど、自分の子どもへの愛情はうまく表現できない。彼女には別にモデルがいるわけではないですが、私はそういう人に目がいきがちなんです。それに、お節介な海斗がシングルマザーに出会った時、しかもその子どもに事情があると分かった時、どうするのかも見てみたかった」

 別れる人、出会う人、町を出ていく人、とどまる人……。各章ごとに時間は流れ、彼らの人生の景色も変わっていく。なかには、一度は別れたものの、再び出会う二人もいる。

「その時は別れてしまったけれど、お互いにいろんな経験を経て削れたり尖ったりしてもう一回会ってみたら、案外合うこともある。終わってしまった縁も、もう一度繫がることも書いてみたかったですね」

 そして月日を経て彼らがたどり着く地点は、執筆当初から構想していたわけではない。

「最初から全体のプロットを作り込むのでなく、一篇一篇その短篇だけに集中して書いて、次の締切が近づいたらまた考える、という感じでした。ラストについても、書き進めるにつれこんな感じかな、とぼんやりしたものが出来てきましたが、最初から考えていたわけではないんです。ソフトランディングさせて、機首をちょっと上げるような着陸でないと、余韻が残らない。バッドエンドにしたくないとは漠然と思っていました」

 ただし、窪さん自身は突き落とされるような結末も嫌いではない。

「気分が落ちた時に映画の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観るのも好きなんですけれどね(笑)。でもそれは特異な好みのようです。エンターテインメントとして千何百円か払って本を買ってくれる人には、余韻として温かいものを残したい気持ちがあります」

 表題は作中の海斗の章のタイトルからとったもの。担当編集者たちから強い推しがあったという。

「手って、人間の腕が枝だとすると葉っぱみたいなもの。小さい頃は水分を含んでぷっくりして厚みがあり、次第に年齢が表れていく。それもまた、枯れる、茂るということの象徴になるなと思って。それに、若い手のひらが乾いた手のひらの人たちを介護する様子、人と人が手を握りあう場面など、実はアイテム的に手がよく出てくるんです。だからタイトルの提案を聞いて腑に落ちました」

 比較的長い時間をかけて完成された本作。その間には少年犯罪の周辺の人々を描く『さよなら、ニルヴァーナ』や、近未来社会の夫婦の姿を見つめる『アカガミ』など衝撃作、意欲作にも取り組んできた。

「振り返ると、二〇一一年の頃はふんわりとしたものを書いていたなと思います。その後に自分が書くものの中に暗さ、切実さが出てきて。『柘榴のメルクマール』の中にも世代論を書きましたが、時代を書くことにも意識的になってきた気がします」
 本作の一篇一篇に、そんな作家・窪美澄の変遷も感じ取れるかもしれない。
(『小説幻冬」2018年5月号より)

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