新書『広く弱くつながって生きる』の著者・佐々木俊尚さんと、小説『メゾン刻の湯』の著者・小野美由紀さん。おふたりが「これからのつながり方」について対談しました。最終回は、質疑応答編です。

 

 

衰退しつつある郊外を盛り上げていくには?

お客さん 先ほど佐々木さんのお話の中で、郊外がこれから衰退していくというお話をされていたかと思うんですけれども、最近、何か特有の魅力というものを発信していきたいという取り組みが東京郊外のあちこちで起こっているんですね。衰退していく郊外に対して自分たちがそれに抗うかのようにしてでもその地域を守りたいという意識が出てきたんじゃないかなというふうに思ったんですけれど、それについてはいかがでしょうか。

佐々木 首都圏の郊外だったら、別に観光客が来るとか、そういう話じゃないわけで。そこに住んでいる人たちがすでにいっぱいいるわけだから、その中でゆるやかなコミュニティをどう作るかということを考えたほうがいいんじゃないのかな。

 でね、たとえば集まる場所がないというのはあるんですよ。福井の美浜町で。古い民家を改造して、コミュニティスペースを役場の行政の予算で作ったんです。誰も来ないだろうと思ってたら、あに図らんや、地元の人たちが毎回一〇人、二〇人集まって、みんなでお茶を飲んで談笑して大賑わいになっている。

 なんでそれが成功したのかというと、なんとなくゆるやかに集いたいんだけど、そんな場所も何もなかったから集えなかったという、ただそれだけの理由なわけです。別に積極的に会話に参加しなくても、ただ隅の方でコーヒー飲んで、ニコニコしているだけのおじさんとかもして、それはそれでちゃんと認識されている。そういう場所があって、そこにハブとなる魅力的な人がいればいいんです。

「ゆるやかなつながり」を作るには?

お客さん お二人のように著名な方とか、SNSにフォロワーがたくさんいるとかそういう人はいいと思うのですが、ごく普通の人は、どういう方法で「ゆるやかなつながり」を作っていけばいいのでしょうか。

小野 私もそれはすごく、ほんとにすごく感じているんですよね。女性の貧困とか、子供の貧困とかっていうのもまさにその話だなと思っていて。独居老人の話とか。環境的にそういう孤立する立場に置かれてしまった人は、個人のテクニックの問題でどうこうなるものじゃないと思うんですよ。ただ、弱さをシェアしやすい社会には少しずつなっていっていると思うので、弱い存在がつながり合えるようなシステムだったり、人に頼りやすくするサービスだったりという、個人が依存先を増やす仕組みを社会的に作っていく必要がすごくあるなと思っています。

佐々木 人間の所属する空間って、公と共と私があるとよく言われていて。パブリックとプライベート、その間に共。日本って共の部分がすごく乏しいと言われ続けている。結局それは会社みたいなものがそこを代替しちゃっていたので、会社が消滅した瞬間に共がなくなってしまったということが起きているわけですよね。共の部分をどうやってこれから作っていくかというのが、たぶんわれわれ日本人の社会の課題で、いまそれがないものだから個のブランディングだ、自己啓発だというふうにみんなが騒いでいるという状況になっちゃっているんじゃないのかな。

 そもそも日本人が固定的なムラ社会とか、企業社会みたいなのに属するようになったのってそんなに古い話じゃないんですよね。室町時代まで遡ると、固定的なムラ共同体って存在していない。どこかで畑を耕しているんだけど、その畑を耕している人がお寺にも所属し、地主にも所属し、貴族にも所属して、いろいろな関係の中で網の目のようにつながっている。こういう網の目の人間関係って室町の人間関係の特徴だとよく言われているんです。

 だからもう一回、われわれの日本社会にそういう公・共・私の共みたいなものが軸となり、ゆるやかにつながれるようなネットワーク的なコミュニティみたいなものをつくり上げていくという必要が今の時代にはあるんじゃないのかなと。

町内会長になってしまったのですが…。

お客さん 町内会長になってしまったのですが、町中で比較的新しくできたマンションは三〇代、四〇代の人が中心で、乳飲み子から小学校低学年のお子さんがいる。一方で、古いマンションのほうの人はもうおじいさん、おばあさんばっかり。真ん中辺は五〇代、六〇代。それぞれが共通の何かでつながるというのが非常に難しくて。

小野 いま聞いていて、なんでつながりたいのかなって思いました。なんで上の世代と下の世代を繋げたがっているんですか。

佐々木 いや、でも地域共同体ってそこがつながったほうがいいよねというのはやっぱりあるわけですよ。ほんとは老若男女関係なしにゆるやかにつながっていればいいってあるんだけど、今の状況だとお年寄りが強すぎるんですね。ゆえに若い世代が敬遠するというのはすごくあって。そこを、だからどううまくかいくぐるかというのが、たぶん今後しばらくは課題かな。

小野 すごく簡単で、若い世代にお金をあげたらいいだけですよ。くれたら、速攻でありがとうございますって遊びに行きますよ。それだけの話ですよ(笑)。

佐々木 あと若い人にちゃんとやってもらって、年配者は口を出さないとかね。

小野 若い人がおもしろいと思うことをやるのが一番いいんじゃないですか。おもしろくないと動かないよね。

佐々木 でもね、意外にいろいろな試みもあって、最近団地の活性化ってURとかは一所懸命やっている。団地ってコミュニティスペースがちゃんとあって、緑もたくさんあって散歩もできるし、イベントスペースでイベントもできるし、住民同士がつながりやすいという構造だから、単なる住まいではなくて、もうちょっとゆるい共同体みたいなのを作れないかみたいな試みもあちこちで起きているんですよね。

強い共同体を求める動きはどんなものになっていったら良い?

お客さん 今、ゆるいつながりというのと、もう一度強い共同体を、というようなものとが混在している状態だと思うんですけど、強い共同体を求める動きはこのあと、どんなものになっていったらよいんですかね。

佐々木 強い共同体っていうと、とくに年輩の人はどうしても求めちゃうんですよね。で、その強い共同体に若い人が入ってほしいと思う。だから、よく田舎とかで夏祭りの実行委員会に若い人も入れなきゃとか言って、ものすごく命令して、仕事をさんざんさせて、若い人はそれでいやになって、翌年辞めちゃうみたいなケースはすごく多いわけです。そこをどうやって解きほぐすのかが、たぶんこれからの課題になってきている。そもそも強い共同体を作るのをやめましょうという話をまず周知徹底することと、あと、仲良くしなきゃいけないという圧力をやめること。

 それこそ銭湯とかを作って、コミュニケーション圧力を作らないで、なんとなく存在を認知されるような状態に持っていくほうが、僕は共同体としては健全なんじゃないかなと思うんですよね。

 団地とか、マンションとかの共同体の設計の中でどうやってゆるやかに居場所を作るということができるかということをデザインできるような仕事というのが、たぶん今求められているんじゃないかなと思います。

小野 そうですね。今の話を聞いて思い出したのが、銭湯を研究しているギリシア人の方とお話ししたときに、その方が「日本には『広場』がない、けど、銭湯が日本の広場だ」と言っていて。ああ、確かにそうだなと。

佐々木 町の中心が駅とか、市役所というのは不健全だよね。

小野 そうですね、ほんとに。とくに空間的に、ただ座ってボーッとする場所みたいのがどんどん潰れていっている感じはするので。ホームレス防止とかで、いらないものを建てちゃったりとかして、それはすごく変わってほしいなと思いますけどね。

「つながらなくてもいい」という割り切りが人をつなげる

お客さん 最近、多様性を認めようという動きが高まっていますよね。「多様性を求めない人」を認めるのも多様性の一つだと思うんですけど、多様性を求める人はわかり合おうとしてしまうエネルギーが強すぎて、あまり人をそっとしておいてくれないように感じるんです。なので「つながらなくてもいい」という割り切りが人をつなげるんだなというのは、おもしろいなというのを感じました。

佐々木 ほっといてもらう自由ってあるじゃないですか。そこはすごく僕は大事なんじゃないかなというね。しゃべる自由もあるけど、ほっといてもらう自由もあるし、その両方を認めることがほんとの多様性なんじゃないかな。

小野 多様性というのはそもそも人々がそれぞれ違うことであることのはずなんですけれども、それをもう何が何でも認めろという文脈で使われると単なる同調圧力ですよね。わかり合うことが前提で、すべて話せばわかるというわけではない。

佐々木 要するに理解し合わなければいけないという原則が強すぎるという話でしょ。

小野 多様であることが是で、絶対的なものとなると、それは前の繰り返しになってしまう。

佐々木 それはね、ポリティカル・コレクトネスの議論ってすごくあるんだけど、たとえばLGBT、たとえばゲイを「気持ち悪い」と内心で思ってしまう自由はあるのです。。ただ、それを口に出すのはまた別。ただし内面にあるその気持ち悪いと思う気持ちは許容する。そしてゲイの人がいることは絶対に否定しない。そこの両立をさせることがたぶん一番大事で、そこで無理矢理、いやいや、ゲイは気持ち悪くないだろ。ちゃんと理解しろよというのはやりすぎだよねというね。マイノリティに対する違和感というのはみんな持っているわけです。その違和感をなかったことにするのも、それはそれで人間の本質的には無理があるかなという、そういう話ですよね。

最前列にいたお客さん ゲイなんか普通の人間関係だったらつき合えるけど、俺に恋愛感情を抱かれたら、気持ち悪いってことですよね。

佐々木 まあ、そうでしょうね。それは個人の自由。ただ、それを口に出すのは良くないということと、そういう気持ちがあることを逆に否定するのも良くないというね。そういうことだと思います。

小野 はぁ~~~……(沈黙)

 私はいまの彼の発言に対して、本当にあと二時間話せるぐらい、すごくモヤモヤ、モヤモヤ、モヤモヤしたものが溜まり狂っていて、ほんとに気持ち悪いんですけど。

 例えばセクシャルマイノリティの人の割合が7%と言われていて、この会場のキャパが80人だから、80×0.07で5、6人はこの会場にいるはずなんですよね。きっとその人たちは「いやいや俺はお前好きになんねーよ」って心の中で突っ込み入れてると思いますが。ゲイだって全ての男を好きになるわけじゃない、選ぶ権利あるだろ、って感じだと思うよ。

 この場でこういう発言が起きてしまうこと自体が、私はすごく抑圧というか、「性的に男性にとって不都合な存在」が冷遇される時代の名残のように感じてしまい、今、すごくモヤモヤしていますけど、うまく話せる自信がないので、後日何かに書きます。

 ただ、最初の質問者さんは決して「多様性」自体が気持ち悪いんじゃなくて、それを「認めろよ」と押し付けられるのが嫌なんですよね?押し付けを感じたら、それは多様性じゃない。偽物の多様性です。それは分かる。けど、多様性を認めろという人々の声が大きくなっているのは、これまで「同性愛者気持ち悪い」というステレオタイプな偏見が社会に蔓延していたからで、しかもそれを口に出すのが当たり前、それで傷つく人がいるということを考えない人があまりにも多かったせいで、存在を隠したり、声をあげられずにいた人々が、今、やっと声を上げ始めたところなんだから、なんかそれを、いや、多様性を認めない自由もあるじゃんと言われたら、ちょっとそれも私は違うなというか。

「本当にあなたが認めたくないものはなんなの?」と聞きたい。ヘイトスピーチも表現手段の一つでしょと言ってるのと同じ。「マイノリティに対する違和感はなくならない」と言うけど、マイノリティというのは社会の文脈が作り出しているだけだから、そんなの歴史的に見れば、社会が変わればアッサリ無くなったりもする。例えば今、黒人を差別するような発言をする人はほとんどいないでしょ?それと一緒です。それだけ伝えておきます。

(終わり)

 

書籍紹介

佐々木俊尚『広く弱くつながって生きる』

新聞記者時代、著者の人間関係は深く、狭く、強かった。しかしフリーになり、リーマンショックと東日本大震災を経験して人とのつながり方を「浅く、広く、弱く」に変えた。その結果、組織特有の面倒臭さから解放され、世代を超えた面白い人たちと出会って世界が広がり、妻との関係も良好、小さいけど沢山の仕事が舞い込んできた。困難があっても「きっと誰かが少しだけでも助けてくれる」という安心感も手に入った。働き方や暮らし方が多様化した今、人間関係の悩みで消耗するのは勿体無い! 誰でも簡単に実践できる、人づきあいと単調な日々を好転させる方法。

小野美由紀『メゾン刻の湯』

どうしても就職活動をする気になれず、内定のないまま卒業式を迎えたマヒコ。 住むところも危うくなりかけたところを、東京の下町にある築100年の銭湯「刻(とき)の湯」に住もうと幼馴染の蝶子に誘われる。 そこにはマヒコに負けず劣らず“正しい社会”からはみ出した、くせものばかりがいて――。 「生きていてもいいのだろうか」 「この社会に自分の居場所があるのか」 そんな寄る辺なさを抱きながらも、真摯に生きる人々を描く確かな希望に満ちた傑作青春小説!

この記事をシェア
この連載のすべての記事を見る

★がついた記事は無料会員限定

佐々木俊尚『広く弱くつながって生きる』

人間関係に振り回されない30の方法
○年賀状だけの関係性が転職成功を呼び込む
○誰に対しても「たまに会う人」というスタンスをとる
○「ささやかでも誰かが助けてくれる」生き方とは?
○ボランティア、サークル活動、副業を始める
○夫婦は、共通の友人が少ないと長続きする
○大事なのは「弱いつながり」を沢山作ること
○遊ぶのも「インプット」という仕事
○プライバシーはあえて公開する など