今多くの人が、自分の生き方について考えている時代です。1年後もどうなっているかわからない、そんな急激な変化の中で、生き方の指針が必要だという、ある種の危機感のようなものが私達に芽生えているのかもしれません。
哲学者岸見一郎さんの新刊『成功ではなく、幸福について語ろう』では、人から見える「成功」と自分固有の「幸福」を切り分けて考えることを提案しています。


勢いや高揚感で、人を駆り立てる「幸福感」の危険性

 哲学者の三木清は、幸福感と幸福は違うといっています。例えば、薬を使ったり、あるいは、お酒を飲んで酩酊状態に陥り、気分がよくなるのは、幸福ではなく幸福感です。

 世の中のことを考えても、非常に耳に心地のよいスローガンを声高に叫ぶ人がいます。皆で守り立てようと盛り上がる。そういう時、高揚感、幸福感がありますが、はたしてそういうものが幸福といえるのかというとこれも疑わしい。

 たしかに、その時は気持ちよかったけれども、後で考えたら本当にそれでよかったのだろうかと思うことがあります。そんな高揚感に浸っている間に、世の中が自分の思ってもいない方向に進むということはよくあります。ですから、幸福と幸福感とはまったく違うということを知っていなければなりません。

 さらにいえば、幸福感と区別された幸福は、非常に知的なものですから、どうすれば幸福になれるのかということについて知的な判断をしなければならないので、その時の勢いや高揚感で選び取られるようなものではないのです。

 感情的なもの、あるいは、感覚的なものに訴えて人を駆り立てようとするもの、あるいは、そういったものに酔う社会は非常に危険です。

成功ばかり追い求めていると、幸福は見えづらくなる

 三木は、幸福と幸福感は違うということを前提に次のようにいっています。

「成功するということが人々の主な問題となるようになったとき、幸福というものはもはや人々の深い関心でなくなった」(『人生論ノート』)

 成功することが幸福なのだと皆が思うようになると、幸福とは何か、真の幸福とは何かということを誰も考えなくなります。三木は戦前の哲学者なのですが、三木が残した本を読むと、今の時代のことをいっているのではないかと私はいつも思ってしまいます。

 続けて、三木は、「成功と幸福を、不成功と不幸を同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった」といっています。

 たしかに、そのあたりのところを私たちは無反省に受け入れていて、例えば、よい学校に入ってよい会社に入り、裕福になることが幸福だと考える人がいますが、三木はそれは成功であって、幸福ではないといっているのです。

成功は嫉妬され、模倣される

 何が違うかというと、まず、幸福は各自においてオリジナルなもので、質的なものです。他方、成功は一般的なもの、量的なものです。

 幸福は各自においてオリジナルなものであるというのは、幸福はその人だけに当てはまるのであり、その人にとっては幸福であることでも、他の人にとっては、幸福であるとは限らないということです。

 幸福が質的なものであるというのはこういう意味です。量的なものであれば、他の人が真似ようとします。誰でもできそうなことであれば、真似ようとし、追随する人が出てきます。『嫌われる勇気』は本当におかげさまでベストセラーになりましたが、ベストセラーというのは量的なものです。本がベストセラーになると真似ようとする人が出てきます。同じような装丁の本がたくさん書店に並んだりするのです。別に同じ色の本にしたら売れるわけではないのですが、ベストセラーになることを量的な成功と見る人は真似ようとするのです。

 しかし、私にとってベストセラーになったことは成功ではなく、幸福なのです。もちろん、たくさん売れているということは、本当にありがたいことですが、私の幸福は量では測ることはできません。『嫌われる勇気』や『幸せになる勇気』が、本当に届くべき人の手に届き、その人の人生が変わったというようなメールを頂く時に、本を書いてよかったと思います。幸福と成功にはこのような違いがあります。これが第一点です。

何かを達成しなくても幸せになれる

 二つ目は、幸福は存在に関わり、成功は過程に関わるということです。三木によれば、成功は進歩と同じく直線的な向上として考えられます。他方、幸福には本来、進歩というものがないということを指摘しています。幸福は存在だというのです。過程ではありません。今をこうしてここで生きていることが、そのままで幸福であるという意味です。どういうことかというと、幸福であるために何かを達成しなくてもいいということです。

 しかし、成功はそうではありません。よい学校に入らないといけない。そして、よい会社に入らないといけない。そういうことを達成しなければ成功したとはいえないと考え、成功と幸福を同一視している人にとっては、成功していない今は幸福ではないことになるわけです。

 しかし、人は何かを経験したから幸福になるのではありません。逆に、何かを経験したから不幸になるのでもありません。幸福については「なる」という言葉は使えないのです。つまり、私たちは幸福に「なる」のではなく、幸福で「ある」のです。

  『嫌われる勇気』の中には、「人は今この瞬間に幸福になれる」と書きました。今この瞬間に幸福になれるということは、その前は幸福でなかったという意味ではなく、実は私たちは既に幸福で「ある」のに、そのことに気づいていないだけなのです。ですから、そのことに気づくという意味で、私たちは幸福に「なる」のです。そういうことを知れば、何かを達成しなくても、今このままで幸福であるということに気づいた時に、人はその瞬間に幸福になるといえます。

 以前は不幸だったけれども、今幸福になったのではなく、ずっと前から幸福であるということに気づかなければならないという意味です。そういうことを三木はいおうとしています。

 他方、成功するためにはいろいろなことを達成しないといけません。幸福かと問われた時に、幸福でないと思う人は、まだある目標を達成できていないといいます。好きな人に出会い、その人と結婚さえできれば、幸福になれると思っている。しかし、これは三木のいう幸福ではありません。

 目標を達成したら幸福になれると思っている人がある目標を達成したら、その目標を達成した途端に、また新しい目標を作り出します。蜃気楼のように、いつまで経っても幸福に到達することはできません。そのような人は幸福を成功と混同しているのです。

 三木はいっていないことですが、幸福は存在に関わり、成功は過程に関わるという違いに加えて、これは幸福と成功がどう違うかといえば、成功は幸福の手段であるということです。ただし、多くの人が成功すれば幸福になれると考えているということですが、実際に成功が幸福の手段であるかはまた別問題です。

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岸見一郎『成功ではなく、幸福について語ろう』

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