4月10日に発売されるやいなや、4月12日にどどんと重版がかかった能町みね子さんの『うっかり鉄道』。読めば読むほどおもしろい&(たぶん)電車旅に出たくなる本書から、一部を抜粋してお届けします。

*   *   *

鉄道の日に、いちばん好きな駅へ(神奈川/JR鶴見線・国道駅)

 まだ取材の計画など何もない段階で、いきなり担当のイノキンさんがメールしてきました。10月14日は鉄道の日だから手っ取り早くどこでもいいから取材しよう、と。思いつきにもほどがあるな。
 どこでもいいって言われても。日本(の鉄道網)は広いよ。九州行ってもいいの?

「予算も考えて、近場で!」

 ま、そうだよねー。関東の近場はだいたい乗ったことあるんだけど、いちばん好きな駅に行くってことでどうですかね。
「乗りつくしてるんですか!? さすがです!」
 いや、つくしてるって言うと大ごとになるけど……。乗るために乗る、みたいなことはあんまりしてないよ!
 イノキンさんは、私を鉄道の師匠のように敬ってきます。ちがうってば。マニアなつもりはないんだってば。ただちょっと旅行が好きで、移動手段ではちょっと鉄道が好きで、ちょっとのんびりしたもの(各駅停車)のほうが好きなだけです!

 で、そんな他称鉄道マニア(自称はしない)の私がいちばん好きな駅は国道駅なのです。
 JR鶴見線・国道駅。京浜東北線も走ってる鶴見駅の、となりの駅。
 あれはもう20年近くも前(そんなに前なのか……)幼い私は初めて鶴見線に乗ったのだ。

 それは中学校の同級生に鉄道マニア(自他ともに認める逸材)がいたからです。どういうわけか、私はその子に誘われて鶴見線小さな旅に行ったのです。そのとき、国道駅はただ通りすぎただけだった。

 でも、私は見逃さなかった。ホームの隅っこにあった、一面を完全に赤錆で覆われた駅名看板を! 「こくどう」の字も読めないほど全面錆びている!
 何あれ! キャーステキ!

 キャーステキはそんなところで言う単語じゃないだろう。
 錆びた看板に魅かれるなんて、ずいぶんと珍種の中1だと思うのですが、私は残念ながら今でも錆びた看板が大好きなのだ。
 これはおそらく誰かに影響されたことではないのです。人生、一貫して錆とか廃墟とかが好きなのです。先天性の病気か何かなんだろうか。


 その錆び看板は私に強烈な印象を残しました。でも、おこづかいも少ない田舎の中学生はすぐにまたそこに行けるわけじゃない(友達もいない)。夢を膨らませながら数年の時は流れ、私はある日ついに国道駅を目指して旅に出た!

 ……はずなのに、それがいつなのか思い出せない。
 高校のときのような大学のときのような。たぶんひとりじゃないんだけど、誰と行ったのかも思い出せない。
 だって、胸躍らせて行った国道駅に、もう錆び看板はなかったんですもの……。
 さすがに撤去されちゃったか、と落ち込みながら、高架のホームから階段を下りてみた。
 とんでもない異空間だった。

 びっくりです。錆び看板の存在なんてかすむほど、ここはすばらしい駅だったのだ!
 ホームから降りると、鉄道の高架の真下に通路が延びていて、左右が家や商店でふさがれています。

 通路はところどころが大きな電球で照らされているだけなので、昼でも薄暗い。何にたとえたらいいか、地下文明というか、ラピュタというか、本当はいい奴なのに出来心で悪事に手を染めた男が映画のラストで殺されてしまう場所というか。

 屋根をささえる柱はアーチ状で、荘厳でゴシックな雰囲気も感じる。滅びの美を感じさせる異様な佇まい。昭和5年に駅ができたらしいんだけど、大きなつくりはおそらく開業以来変わってないと思う。

 この高架下の並びは、商店街と言いたいところだけど、店がないです。店の遺跡しかない。
 基本的に無人駅なのだけど、改札部分には駅員が入るスペースの木製の枠だけが残っています。30年以上前に無人駅になったんですって。この木枠がまた、何十年にもわたって人に触られたことで年季が入ってつるつるになってしまっていて、ほんといい味出してる。

 この昭和遺跡が私は大いに気に入ってしまって、それから何度行ったか分からない。最近は年1回くらいで行ってる。ひとりでも行ってるし、いろんな人を連れて行ったりもした。風流を解する私のお友達は皆ここを気に入ってくださるのだ。

 さて、東京方面からだと鶴見から乗り換えるのが早いに決まってるんですが、変則ルートを取ってみました。
 川崎から南武線で尻手に出て、そこから南武線支線で八丁畷。八丁畷から京急(京浜急行)で花月園前。花月園前から国道まで、徒歩(この両駅は歩いて5分の距離)。

 なんでこれをやったかというと、八丁畷駅も好きな駅ランキングでトップ100に入るくらいのところだからです。八丁畷の駅もちょっと変なつくりなのです。京急の向かいのホームに行こうとして跨線橋の階段を上がると、上がった所がJRのホームになってる。JR八丁畷のホームは、高架の上にポツンとひとつあって妙に日当たりが良く、大きなライブのステージみたいです。ギターソロとか弾きたいね。弾けないけど。
 ここは小津安二郎の映画「お早よう」にも使われているんですよ。ふつうに映画を見てたら「あれ? ここ八丁畷じゃね?」と気づいてしまった私がいるんですよ。
 やっぱりマニアじゃないんですか? いえ、違いますってば! 怒るよ?

 八丁畷ホームには、すみっこに「ホームヨシ!」という車掌の確認用(?)の標示
がある。イノキンさんはそれを見てテンションが上がっていた。お嬢さん、そういうのはきっと今後たくさん見ることになるんですのよ。


 八丁畷で京急に乗り換え、花月園前駅で下車。
 花月園前でわざわざ降りたのも、ちょっとしたポイントがあるからなのです。
 花月園前踏切。
 京浜東北線、東海道線、横須賀線、京急本線、ほかにたぶん貨物線とか(この本では細かいことは特に調べません)、えらい本数の線路が走っている、日本一長いといわれる踏切。中洲まである踏切。

 この危なっかしい踏切の前には、やっぱり「急いでいる方は駅構内の歩道橋をお使いください」みたいな看板がやたら貼ってあります。長すぎて、渡っている途中で今にも警報器が鳴り出しそう。そんな踏切を、命知らずの特攻野郎である私たちは平然と渡るわけだ。渡りながらイノキンさんは写真なんか撮っちゃったりしてね!
 ……いや、拍子抜けだった。踏切の開いている時間はけっこう長かった。まあ今は平日の昼。ラッシュ前ですからね。朝晩はきっと開かずの踏切なんでしょう。


 こうして徒歩で花月園前駅から国道駅へ向かう。国道15号に沿って歩いて行くと、鉄道の高架が現れます。その下の真っ黒い口が駅の入口。
 高架の下、滅びの美は滅びてなかった。いつ来ても癒される絶望的な感じ。生きる目的が分からなくなったあらゆる悩める大人に来てほしい駅だなあ。
 うれしい誤算は、国道駅の下の国道下が開いてたことです。
 ええと、意味が分かりにくいですかね。
 国道駅の直下にある「国道下」という焼き鳥屋が開いていたのです!


 国道駅の暗い通路にあるお店は、看板で見る限りは「三宝住宅社」「衣料・雑貨 フリーウェイ」「国道下」「お酒とお食事 とみや」「釣船荒三丸」など多数ありますが、今まで私はどれひとつとして開いているのを見たことがなかった。

 ほとんどはシャッターが固く閉じられて看板が薄汚れ、闇のオーラがただよっている。私は壊滅したものと思っていた。その並びに住宅もあるんですが、壁が今にも崩れ落ちそうで、扉に大穴が開いてたりする。もうどっから見ても生きてる感じがしない。壁の間に、かがめばどうにか通れる通路みたいなものが1か所だけぽかんと開いていて、そこからわずかに日が漏れています。そこをくぐって駅の外に出ると、何があるわけでもなくとても狭い路地が続いている。壁には、「小便するな」と書いてある。怒りに震えた相田みつをみたいな字。

 ……そんなところですよ。商売なんか行われてないと思っていた。
 私は今までたいがい休日にここに来ていた。平日の夕方以降にここに来るのは初め
てだったのです。そうか、国道下は平日夜なら開いているんだ! まだここはとても元気だ! うれしい!
 お店の前にテーブルを出して焼き鳥をほおばる家族づれもいる。しかし、たぶんここは駅構内。自由でいいね。
 こんな駅でも「構内駐輪お断り」なんて書いてあるんですが、「構内にテーブルを出して飲酒」はOKなんでしょうか。OKだよね。そうでなくっちゃね。残念ながらあんまり時間のない私たちは、焼き鳥をテイクアウトすることにしました。
「おいくらですかー」
「50円!」
 安すぎ!! 東京の下町より安いよ。

 いつか国道下でゆっくり飲みたいと思いつつ、私たちはホームベンチで焼き鳥を食べた。電車は案外ひんぱんに来るし、けっこう混んでる。
「どう……ですか、私とテツ旅をするとこんな感じになっちゃうんだけど。一駅観察しまくるだけで終わっちゃったり……」
「いえ、いいです! ここ、いいですよ! もっといろいろ知りたいです!」
 なぜか鉄道を知ることに貪欲なイノキンさんと、鉄道マニアを否認する私の旅はまだ始まったばかりなのです。


※続きは文庫『うっかり鉄道』でお楽しみください。

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『うっかり鉄道』目次

1 鉄道の日に、いちばん好きな駅へ(神奈川/JR鶴見線・国道駅)
2 富士と工場のテーマパーク(静岡/岳南鉄道)
3 平成8年8月8日の奇蹟(関東一円/八のつく駅)
4 平成22年2月22日の死闘(千葉/JR京葉線)
5 あぶない! 江ノ電(神奈川/江ノ島電鉄)
6 最南端の最新モノレール・ツアーズ(沖縄/ゆいレール)
7 琺瑯看板フェティシズム(北海道/JR宗谷本線・留萌本線)
8 最寄り駅から空港まで歩こう(熊本・鹿児島/JR肥薩線)
9 あったか土佐の小さすぎる日本一(高知/土佐電気鉄道) 
 

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能町みね子『うっかり鉄道』

錆びた看板に初めて魅かれたのは、能町みね子が中1の時だった。そんな著者が全国ローカル線を計画性不十分にめぐるとどうなるか。「平成22年2月22日の死闘」「琺瑯看板フェティシズム」「あぶない! 江ノ電」など、タイトルからして珍妙な乗り鉄イラストエッセイが出来上がるのです。本書を読めばあなたも鉄道旅に出たくなる……たぶん!