嘘だとわかって読めば、わかるのに…

WOLF-CHILDREN AND FERAL MAN (Singh & Zingg 1942) 原本

翻訳本 J.A.L.シング著『狼に育てられた子 カマラとアマラの養育日記』(1977年 福村出版)
 

 どんな人にも多かれ少なかれ経験のあることだと思うが、人はあまりにも衝撃的な話を聞かされると、興奮して感情が高ぶったり、衝動的・短絡的になって、物事を判断する力が鈍ってしまったりする。息子から電話で「オレオレ。やくざの車にぶつけてしまった!」と泣きつかれて驚き、詳しく状況を知る前に金をだまし取られてしまう詐欺も、そういった心理の隙を利用される代表的なケースだ。

 そして、こういった「衝撃→興奮→短絡的判断」の罠にはまるのは、なにもお年寄りや感情に流されやすい人ばかりに限らない。人には「知的興奮」という状態が存在する。

 この『狼に育てられた子 カマラとアマラの養育日記』(J.A.L.シング著)は、「狼に育てられた子はこうなるのだ!」という証拠写真のインパクトが強く、二人を捕獲するときの描写にもなんだか迫力があって、すっかり物語の世界に入り込んでしまう。いまでは写真などいつでもスマホで撮って加工までできてしまう時代だが、そんなことが一般的になったのは、たかだかここ数年の話。

「オオカミ少女の姿が! しかもこの時代の写真が残っているとは!」

 ……なんて具合に「写真が存在すること」そのものが「貴重なこと」と無条件に判断されやすく、肝心な「その写真の真偽」にまで意識がいかないという罠がある。

 また、狼の巣穴を発見する以前、シング牧師はジャングル原住民の集会に参加して、酒を飲むなど歓迎されたりするのだが、そこに姦通罪を犯したという男女が連れてこられ、女は髪を切られて追放、男は木に縛りつけられ、串刺しにされて処刑されるというシーンが登場する。

「こっ、怖すぎる! こんな野蛮な場所なら、狼に育てられた野生児がいてもおかしくない!」

 ……という具合に、私は、強烈な偏見と先入観を持ってしまった。

 当時は世界中の多くの人が、この本の端々からそのような偏見と先入観に惑わされ、『シング牧師とオオカミ少女の世界』という世にも奇妙な物語に飲み込まれたのかもしれない。

 カマラとアマラの話が浮上した時代は、いまのように情報網も発達していないし、ハンディカムを持って未開のジャングルに潜入するようなテレビ番組もない。まだ見ぬインドの森の中に暮らす不思議な村人の姿など想像もつかなかっただろうし、「インドのジャングル」というだけで、勝手な妄想が膨らむところもある。

 さらに、学者であれば、「知的好奇心」を掻き立てられる。「大発見だ!」と快哉を叫びたくなる心理状態も起きるだろう。知的好奇心、知的興奮は、学者が学者をつづけるための原動力でもあると思うが、それによって「本当に学術的価値があると判断するに足りうる資料か?」と思考する力を麻痺させる罠でもあるかもしれない。そこには「これを発表すればすごい注目を浴びるぞ」という名誉欲をそそられてしまう、人間らしい心の動きだってあるだろう。

 しかし、ウソだと知って、いま改めてこの本を読みなおしてみると、騙されていたのが恥ずかしいぐらい笑えるような記述ばっかりだった……。

 紹介していこう。まず、カマラとアマラの様子がすごすぎる。

 

●狼に育てられたカマラとカマラの特徴●

◎あごの骨が発達し、高くなっていた。噛むときに上下のあごの骨の間に窪みができた。明らかに普通の人間とは違っていた。

犬歯4本が牙のように長く、尖っていた。

◎口の内側が、血の色のように真っ赤で、人間の生まれながらの色ではなかった。

四つ足で走ると、非常に早くて追いつけない。

◎ひざの関節などが固いまめで覆われ、突起し、重かった。

夜11時を過ぎると瞳がカッと見開かれ、暗闇の中で、青いぎらぎらする独特の光をおびた。夜中には、その青い目の光だけで、あとは何も見えなかった。

◎毎晩、22時、午前1時、午前3時に遠吠え。

◎野原で野鳥や動物の死体に群がるハゲタカやカラスと喧嘩して追い払い、その肉を非常に残忍な様子で食べた。

◎中庭で飼っていた鶏をくわえて、四つ足で高速で走って茂みのなかに隠れてしまい、再び茂みから出て来た時には、唇に羽毛と肉片がちょっぴりくっついていた。シング牧師の妻が愛情表現をまじえて(食べたのかと)質問すると「はい」とうなづいた。

 

 どんな1歳半と8歳の少女やねん。

 いまならわかる! わかるんだよ!

 夜中に遠吠えする人間は、うちの近所にもいるが、いくら狼に育てられたからって、人間の眼光が暗闇でギラギラ青く光るわけがないし、肉食で育ったからって、牙が長く伸びたりもしない。

 しかも、鶏を生のままムシャムシャ食べておいて、人間に語りかけられて「はい」と素直にうなずく、その知能と行動と野性のアンバランスさはほとんどギャグの世界だ。

 そして「四つ足で走るとすごく速い!」ということを示すものとして、証拠写真が存在するのだが、これも、いま見るとなんだかおかしくて笑えてくる。1942年に初公表されたカマラの姿だ。

 写真のタイトルは…

「非常に速く走っているときのモード」

出典:WOLF-CHILDREN AND FERAL MAN by Singh & Zingg

 

 いろいろツッコミたい。

 エクソシストみたいになっているこの写真、あまりにカマラの四つ足走行が速くて、ブレて写ってしまったということを示したいらしい。だが、それならば、走っているカマラだけがブレたり、カマラの身体の輪郭が、左から右に向かって尾を引くように不明瞭に写らなければならないのに、そういった物理的な現象が起きていない。

 この写真は、カマラの全身の輪郭も、背景の木、葉っぱ、地面の雑草、木洩れ日も含めて、バキッと静止した状態で撮影されたものが、スライドされて二重にプリントされているのである。フィルムに二重露光したものだろう。

 わかる。わかるのだ。いまなら。でも、当時はこれを見て

「おおおお、狼に育てられると、こうやってすごい速さで走っちゃうのか!」

 なんて思っちゃったのだ。世界中の学者たちが。

 

ずーっと、「オオカミ少女」とされてきた写真。 
出典:WOLF-CHILDREN AND FERAL MAN by Singh & Zingg

 

 カマラの成長記録として撮影されたという写真を「フェイク」とわかった今、改めて見ていくと、撮影日が年単位で違うのに、映っているテーブルクロスのしわの寄り方が完全一致していたり、庭の花の咲き方がまったく同じだったり、写真の角度が寸分違わず一致していたりとあやしいところがいくつも見えて来る。

「三脚をセッティングして、カメラの前でいろんなポーズをとらせ、ねつ造した日記の日付に都合よく合わせて利用したのでは……」

「この子のこと叩いて、皿からミルクを飲むようにさせたのでは……」

 シング牧師を知る人々からの「まったく信頼できない男」という証言があるから、こんな想像もしてしまう。

 そして、こうなると、カマラがニューヨークの心理学会から招待されるや、急に病気になって死んだという記述もずいぶん都合のよい話に見えて来る。

 しかもシング牧師著「狼に育てられた子」には、シング牧師の姿は、遠目からの集合写真などでしか確認できないのに、カマラ死亡の際に「死亡診断書を書いた」という医師の顔写真だけは、なぜかしっかりと掲載されていて、「この実在の医師が、権威あるお医者さまが、カマラの死亡を確認したんですよ!」とアピールせんばかりなのだ。

 

出典:WOLF-CHILDREN AND FERAL MAN by Singh & Zingg

「そうです、私が死亡診断書を書きました。カマラは確かに生きていて実在しました。死にましたので、もう確認のしようはありませんが」
インド・ミドナプール S.P.サルバディカリ博士

 

 もうひとつ言えば、この本、非常に不思議なことに、シング牧師の地元裁判所の判事、E.ウェイトなる人物の「宣誓供述書」からはじまっている。

 

 宣誓供述書(一部抜粋)

 私は、シング氏を個人的に知っており、子供たちについて書かれたことすべてが真実であることを確信している。私はまた、シング氏の孤児院で、二人の少女のうち年長の子にさまざまな機会に会ったことのある人たちからも話を聞いた。彼らは、シング氏の記述、例えば、子供たちの歩行や行動のしかたの説明が、その通りであったことを確認した。
 私は、シング氏の誠実さは絶対に信頼しうるものだと心底から断言する。

 ミドナプール地方判事 E.Waight
出典:「狼に育てられた子 カマラとアマラの養育日記」(J.A.L.シング著/中野善達・清水智子訳/福村出版)より

 

 この供述をしている判事は、シング牧師の知人であり、よくよく読むと、「その通りであったことを確認した」のは、宣誓した本人ではなく、「彼ら」……つまり、カマラを見たことがあるよ、と言った近所の人達である。

 判事本人は、カマラとアマラを見たことはなく、「シングさんと僕は知り合いだし、シングさんは嘘つきじゃないです!」と言っているにすぎないのだ。わざわざ裁判所で。

 こんなあやしいお墨付き、あるか?

 

組み込まれたら、もう取り消せない!

 いまとなってはわかる、あやしすぎるフェイク論文。

 しかし、今でも世界中の大学でカマラとアマラの話をベースにした授業が行われている。ありとあらゆる分野の学術論文の土台となってしまっており、あまりにも広範囲にわたって染みわたっているがために、この論文について論破する人が何度現れても、消えることはないのだという。

出典:The individual and society(SociologyExchange.co.uk,2012

 

  新潟大学人文学部教授・鈴木光太郎氏の著作『オオカミ少女はいなかった』(ちくま文庫)によると、学問の世界において、否定されたり反証が出たりしても、死に絶えることなく何度もよみがえるこのような話のことを「神話」と呼ぶという。たとえ間違っていても、根拠がなくとも、そうであることを期待し、信じたい人々がいるのだ。

 教育は人間にとって非常に重要な位置づけであると証明できる。

 だから狼に育てられたら、人間らしくないもの、狼らしいものに育ってほしい。

 人は遺伝子だけでなく、環境によって影響を受けて変化するものであり、育てられた環境に高度に順応するという仮説を証明したい。だから、狼に育てられたら、眼光がぎらぎら光って牙が長く伸びた人間になってほしい。腐った生肉だって食いちぎってほしい。

 狼に育てられた人間が、この世に存在していてほしい。

 オオカミの乳汁は、とてもじゃないが、人間には消化できない成分でできているという事実は、すでに科学的に証明されちゃっているけれど。

 人は自分が信じたいことを信じてしまう。信じたものの上に土台をつくり、どんどん足場を踏み固め、立場を確立してしまうと、もう、その根拠がいまさら嘘だったなんて言われても、それを認めるわけにはいかなくなってしまう。

 私がはじめて騙された本、30年かかってやっと騙されたと気づいた本の話であった。

 

(参考文献)
『狼に育てられた子』(J.A.Lシング著/中野善達・清水知子訳/福村出版)
『野生児と自閉症児』(Bベッテルハイム他著/中野善達編訳/福村出版)
『狼にそだてられた子』(アーノルド・ゲゼル著/生月雅子訳/新教育協会)
『増補オオカミ少女はいなかった』(鈴木光太郎/ちくま文庫)

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