目標があっても、努力してもなかなか思う通りにいかないと悩む人も多いでしょう。でも今、活躍している人も、最初からうまくいっていたわけではありません。華やかなイメージが強い元ピチカート・ファイヴでシンガーの野宮真貴さんは、実はデビューから10年は鳴かず飛ばずの売れない日々を過ごし、ブレイクしたのは30歳のときでした。
一方、昨年、はじめての小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』が大ヒットした燃え殻さんは、40歳をすぎてはじめて本気になれるものに出会ったといいます。
そんなお二人が、それぞれの下積み時代について語り合う第2回です。
(構成・須永貴子 撮影・菊岡俊子)

歌手になれると信じていたから心が折れたことはない

燃え殻 野宮さんが歌手を目指したのは、かなり小さい頃だったんですよね?

野宮 小学生の頃から歌手になるって決めていました。

燃え殻 すごいなー。

野宮 歌が好きというのが第一の理由ですけど、人見知りで、学校で一言もしゃべらないような子供だったんです。だから、歌手になって大好きな歌で自己表現できたら、他人としゃべらなくて済むと思ったのね。おしゃれも好きだったから、素敵な衣裳を着てスポットライトを浴びて好きな歌が歌える歌手になるしかないと思って。

燃え殻 引っ込み思案でも、人前で歌えるんですか?

野宮 不思議ですよね。中高生のときにロックやニューウェーブに出会って、同級生の女の子たちがアイドルを追いかけている中で、「自分だけが知っている、絶対的に好きなものが私にはある」というものができたら、他人のことが気にならなくなりました。

当時はロック好きの女の子なんて、クラスにひとりくらいしかいなくて、その子とライヴへ行ったり、バンドを組んで放課後練習したり。そこから引っ込み思案がなくなりましたね。

燃え殻 音楽が自信と居場所をくれたんですね。それ、わかります。僕もそういう「クラスに1人」みたいな存在に憧れました。高3のとき(1987年)にJ-WAVEが開局したんです。授業中に、頬杖をつくふりをして、イヤホンのコードを袖口から出して、洋楽や渋谷系を聴いていると、「人とは違うものを摂取している俺は今、青春してる!」という感覚がありました。ロックは何が好きだったんですか?

野宮 KISSです。知ってます?

燃え殻 はい。それも意外だなー。

野宮 最初は、T-REXやデヴィッド・ボウイのグラムロックに夢中になって、その延長上にKISSがあって。女子が聴いてもわかりやすいストレートなロックだったし、キャラクターの立ったルックスも面白くてファンになって。「自分もできるかも」と思って、バンドを始めて。

私は興味を持ったものは、すぐに「これなら自分もできるんじゃないか」って思ってしまうので(笑)。そのための勉強や練習をする意識がごっそり欠落しているんですけど、なんとか形にしてしまう。

燃え殻 それ、野宮さんの長所です(笑)。

野宮 40年前の武道館の初来日ライブは、高校生だからお小遣いも限られているなか、頑張って2日間行きましたね。ファン同士で仲良くなって、情報交換をするんですけど、グルーピーの子から「本番前日に武道館でリハーサルがあるらしい」という情報を手に入れて、友人と2人で会場に忍び込んだりして。

燃え殻 えー!?

野宮 当時KISSは素顔が非公開だったので、「リハーサルに忍び込んで、なんとしても素顔を見てみたい」と思ったんです。

燃え殻 想像力と行動力がすごい!!

野宮 バイトの人に紛れて、アリーナ席のパイプ椅子の設置を手伝う振りをしながら、バックステージを探索したり。でも、明らかに高校生だから、怪しいと目をつけられ、最終的にはつまみ出されました(笑)。

燃え殻 いい話ですねー。

野宮 燃え殻さんは、10代の頃から文章を書くことが好きだったんですか?

燃え殻 高校時代の3年間、1人も友達ができなかったんです。どうにかして存在感を示さなければいけないと思って、中高6年間の毎日、誰にも頼まれていないのに、わら半紙で学級新聞を作って教室に貼ってました。内容は、4コマ漫画、担任の先生のネタ、犬が入ってきたニュース、天声人語、最近思ったこととか。

野宮 好評だったの?

燃え殻 全然(笑)。最初は恥ずかしかったんですけど、だんだん「続けなければ」という使命感が芽生えてしまって。あれはあの頃の自分が生きる拠り所の1つでした。深夜ラジオにハガキを書いて、とんねるずさんに読まれることもそうでしたけど。

野宮 書く仕事をしたいとは思わなかった?

燃え殻 どこかで思っていたのかもしれないです。でも、そんなことを言うのはおこがましいと思っていました。専門学校に入ると、周りの生徒たちが、どんどん人生を諦めていくんですよ。「俺たち何もできないよ」ってずーっと言ってるんです。現役のコピーライターの先生が言った「お前らの9割は、ろくな人生にならない」という言葉も、今もはっきりと覚えてます。

野宮 えー!

燃え殻 そんな先生の著書を教材という名目で買わされるっていう(苦笑)。野宮さんは、人生をあきらめそうになったり、心が折れそうになったりしませんでした?

野宮 ピチカートに入る前の10年くらいは下積み時代でまったく売れていなかったので、本当だったら心が折れてもおかしくなかったと思うし、親や友人から「好きなことを10年もやったのだから、もう気が済んだでしょう?」と言われてました。でも、ここで終わるわけにはいかないと心に誓っていたので、アルバイトをしながら地道に音楽活動を続けていました。音楽関係のバイト以外にも、美容部員や印刷所で時刻表の写植のバイトをしたこともありますよ(笑)。

燃え殻 僕だったら、その仕事で心が折れそうです(笑)。

野宮 何事も経験。様々なバイトを通して、いろんな人に出逢って人生勉強になりましたね。それに、単純作業は嫌いじゃないの(笑)。でも、なるべく好きな音楽の近くに身を置いてチャンスを手に入れたかったので、他のアーティストのバッキングボーカルや、CMの歌唱の仕事も積極的にしていました。CM歌唱は、相場がわからなかったので、たぶんすごく安いギャラでやってたのかもしれない。だから使い勝手が良いからなのか、当時はけっこうお仕事頂いていましたね。

燃え殻 どんなCMをどれくらい?

野宮 100曲くらいは歌ったと思います。シャンプーの「ティモテ」とか、紙おむつは全社。

燃え殻 紙おむつコンプリート(笑)。声がCMに向いてますよね。言葉が聞き取りやすくて心地よい。

野宮 譜面が読めないので、作曲した方に「一度だけピアノでメロディーを弾いてください」と現場でお願いして、その場で覚えて歌っていました。一回聞いたらメロディーを覚えられる特技はあの頃に身につきました。何事も、経験はのちに役にたつものなんですよね。

燃え殻 その10年間、どんな心境だったんですか?

野宮 デビュー前に親の手前1年間OLをしていたときも、「私はここにいる人じゃない」と思っていましたし、デビュー後の下積み時代も「私はこれで終わる人じゃない」、「歌手として成功する」という、根拠のない自信を持ち続けていたんですよね。周りから何と言われても、自分の人生なので。

燃え殻 強い! すごい!

(第3回に続く。4月14日公開予定です)

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