ついこの間、雪が降ったというのに、いつの間に桜の満開の報せを聴いた宵、幻冬舎plusの竹村編集長が、我が家にふらりとお越し下さいました。

 竹村さんは、この連載のご担当でもいらっしゃるのですが、そもそも私たちの出会いは、仕事とは無関係でした。

 何年か前のとある秋の日、久しぶりに会う古い友人が、紹介したい方がいるので、とお連れになったのが、竹村さんでした。
 奇しくも、その日は竹村さんの誕生日で、会話の途中でそうと知り、近くに住む友人に急なお願いをして、慌ててバースデー・ケーキをご用意した顛末を、今でもおもしろく思い出します。

 初めて出会った私たちが意気投合したのは、とある雑誌の連載コラムについての話題でした。

 私と竹村さんは共通して、子供の時分に、母親の購読していた「暮しの手帖」という雑誌の「すてきなあなたに」というコラムを読んでいた、ということがわかったのです。

 無署名の書き手の方が綴るそのコラムは、とても不思議な空気を湛えた文章でした。
 書き手の方について、文章から読み取れる情報は、おそらく女性だろうということくらいでした。
 近所のマロニエ並木の下を歩く、というような描写がさりげなく出て来るところから、外国暮らしの方ではないだろうか、と思わされることもあれば、東京を舞台にしていると思われるエピソードが登場することもあり、どのような方がこの文章を書いていらっしゃるのだろう、と読む側の想像をかき立てるところがございました。
 高い教養や知識や経験を得て、外国の文化や風物にも馴染んだ、人生の中盤にさしかかった年代の女性を私は想像しておりました。
 お友達を手作りのご馳走やデザートでおもてなしする、というようなエピソードには、ちょっとした料理のアイディアやもてなしのコツがしのばせてあり、また、路上の物売りから買った安価なアクセサリーを合わせたら、クローゼットにしまい込んでいた洋服が、見違えるように素敵に見えたというようなエピソードには、お洒落のヒントが隠されていたり、「すてきな」生活の工夫や知恵がさまざまに散りばめられた文章でした。

 私や竹村さんがその連載を読んでいたのは、昭和の後期です。
 戦後30年余りを経て、日本はすっかり豊かな国になった、と人々が感じていた時代の中にあって、物質的に豊かになるだけではなく、心の豊かさも育てて行かなければならない、ということを提唱するような連載だったと、今、思い起こすのです。
 戦中や戦後の大変な生活を経験した、私や竹村さんの母たちの世代が、「暮らしの手帖」という雑誌や、その中の「すてきなあなたに」というコラムを愛読していたのは、真に豊かな暮らし、とは何なのか、模索・探究したい思いがあったからではないでしょうか。

「すてきなあなたに」にはいつも、美しい暮らしや人としてのあり方が、丁寧な文体で綴られておりました。
 小学生や中学生であった私や竹村さんにとって、「すてきなあなたに」で語られる料理やお洒落のエッセンスは、決して実用的なものではありませんでしたが、それでも私たちは、その連載を毎号楽しみに読み、そこに描かれているあれこれに憧れを抱きました。

 あの憧れは一体何だったのだろうと、私と竹村さんは話し合いました。
 人が人として美しく生きること。人を慈しみ、大切に物を扱い、自分を律し、生きて行くこと。人生のすべてを楽しむこと。そして、人生は楽しいばかりではないと知ること。
「すてきなあなたに」は、そんないろいろについて、考えるきっかけを私たちに与えてくれていたような気がいたします。

 初めてお会いしてから、一年ほどが過ぎたある日、私と竹村さんは、あの「すてきなあなたに」のような連載をしたいですね、というやり取りをいたしました。
 そこを出発点として始まったのが、この連載です。
 私たちの試みは必ずしも成功しているとは言えないでしょうが、一回一回、試行錯誤を繰り返しながら、私と竹村さんはこの連載を作っております。

 ご近所にお住まいになる竹村さんは、折りに触れ、我が家を訪れて下さるのですが、不思議なことにそういった機会には、私たちは仕事の話をほとんどいたしません。
 仕事の話をしたい時には、きちんと別にスケジュールを立てて、その時には純粋に、仕事の話だけをするのです。

 桜が満開の日、竹村さんからお越しになるというご連絡を頂き、スーパーマーケットに買い出しに赴いたところ、売り場のあちらこちらに、春の食材が輝くように並んでおりましたので、春尽くしのメニューと洒落こんでみることにいたしました。

 ホワイト・アスパラガスはバターでソテーして、半熟の目玉焼きを載せ、パルメジャーノと塩胡椒を振り、全体を混ぜながら召し上がって頂きます。
 小肌は、塩と酢・味醂と昆布で締めました。
 蛍烏賊のボイルは、軽く茹でた菜の花と辛子味噌で頂きます。
 筍は重曹と茹でて、灰汁を抜き、そのままお刺身で。
 馬刀貝は砂抜きをして、ワイン蒸しにいたしました。
 浅蜊のむき身と大根を出汁で軽く煮て、お汁物に。

 旬の食材とスパークリング・ワインと、楽しい会話を楽しみながら、春の宵はゆっくりと更けて行きました。

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